185 悪役令嬢と吼えるラスボス
「おらぁっ」
ドゴ。
砂埃が舞い上がり、棍棒が練習場の砂地にめり込む。
「どこ見てんの?そんなんじゃ当たらないよ!」
ジェレミーの攻撃を軽々と躱したジュリアは、息を弾ませて反対方向へ走る。
――そう。ついておいでよ。あんたの脚がくたくたになるまでね!
元々機動力の低いジェレミーは、動作も緩慢ですぐ見切れる。しかし、力だけはある。剣に替えて持ってきた棍棒の威力はすさまじい。何か所も壁が壊されている。剣の一撃を受けたことがあるジュリアは、棍棒に当たるのだけは回避したかった。敏捷性と持久力ならこちらに分がある。ひたすら走ってジェレミーをくたびれさせればいい。
「この……ふざけやがって!」
ジェレミーはジュリアに向かって一直線に走ってくる。重そうな足音が近づくと、ジュリアはにやりと笑った。
「よっ、と」
寸前で避けられ、ジェレミーは壁に激突する。
「うっ!」
「そろそろ、決めてあげようかな」
懐に走りこんで一撃を繰り出せば試合は終わるはずだ。練習場の壁にかけられた時計に目をやる。
――アレックスの出る劇が始まる!もう行かないと。
レナードに追い立てられて、アレックスは講堂へ行った。劇の準備をしているはずだ。
午後の授業開始のベルが鳴った。劇はこのベルが開始の合図だ。
「遅れちゃうじゃない!」
と剣を握り直し、ジェレミーの様子を見た。
――え?何か、変……?
先程までと雰囲気が一変している。目が赤く輝き、髪の毛が逆立っている。元々筋肉質だった腕がさらに太くなっているような気がする。ジェレミーは肩で息をしながら、大きく開けた口から涎を垂らした。歯が尖っているようにも見える。
「嘘。何、ラスボス化しちゃってんの!?」
怖いと言いながら親に縋りつく子供達の声がする。やはり、ラスボスに見えているのは自分だけではないのだ。
――ベルが鳴ってから、変だ。もしかして……。
「ジュリアちゃん!気をつけろ!そいつはおかしい」
観客席からレナードの叫びが聞こえた。おかしいのは分かっている。
――私が倒さなきゃ、誰が止めるのよ!
「潰してやる!」
吠えるように叫んだジェレミーは、ジュリアに向かって棍棒を振り回した。
◆◆◆
エミリーはぐったりしたスタンリーを抱え、観客の声に周りが見えなくなっていた。がやがやとした喧騒、目の前の傷だらけの男。転移魔法で連れ出せば、もっと怪我が悪化するかもしれない。
「スタンリー!スタンリー!お願い、目を開けて!」
――ダメだ。
絶望しそうだった。
魔法が使える世界に生まれて、何でもできると思っていたのに。
自分はなんて無力なんだろう。自分達とヒロインの争いに巻き込まれ、傷ついて苦しんでいる彼を助けることができないなんて、何のための魔法なんだろう。ヒロインが持つ光属性を嫌うあまりに、光魔法を勉強したこともなかった。悔しい。
――力が、欲しい。彼を癒す力が欲しい。
白いローブに赤い染みができていく。傷が開いているのだ。
「あ……」
アメジストの瞳を見開き、エミリーはゆっくりと瞼を落とした。いけない。このままでは彼が死んでしまうかもしれない。
――嫌だ。私のせいで、誰かが死ぬのは。もう、見たくない!
四姉妹の両親は、遠方の親戚の結婚式から帰る途中で事故に遭った。その日はエミリーの誕生日で、三人の姉が誕生会の準備をしていた。
『恵美里の誕生日だから、披露宴が終わったらすぐに、高速で帰るよ』
『お土産もたくさん買ったわよ。楽しみにしててね』
結婚式場から出る時に家の電話にかけたのだろう。留守番電話に残されたメッセージが、両親の最後の言葉だった。姉達は恵美里のせいではないと言っていたけれど、両親は恵美里のために、雨の高速道路を帰ろうとしていたのだ。高速に乗らなかったら、スリップしたトラックに追突されることもなかった。
転生する時、姉達には言っていないが、密かに願っていたことがある。
魔法が使える生活。それから、自分のせいで誰も死なないように、だ。
人と関わらないように邸に籠っていたうちはよかった。王立学院に入学してから、エミリーの人間関係は急速に広くなっていった。同時に、彼らを失う怖さが膨れ上がる。
とうとう、恐れていたことが起こったのだ。
エミリーの目の前で、人が一人死にかけている。少し変わっているけれど、純粋な好意を自分に寄せていた上級生が。
――四人の願いを叶えたなんて、嘘じゃない。私の願いは……。
ズン。
頭の先から地面へと何かが流れ込み、エミリーはビクンと背筋をしならせた。
――な、に……?
身体の奥から何かむず痒いような衝動が起こり、末端へと急速に広がっていく。幼い頃に経験したあの喜びに似ている。
――この、感じ!
「スタンリーの怪我を治したいっ!」
絞り出すように叫んだエミリーの身体を金色の光が取り巻き、一瞬、爆発するように魔法科練習場の中に広がった。




