24-2 悪役令嬢はドレスを脱ぐ(裏)
王太子殿下に変態警報発令中です。
【王太子セドリック視点】
母上は僕を見捨てられたのだ。
毎日、剣の稽古を嫌がって脱走したり、魔法の練習をさぼっている僕だから、天使と会える機会を作ってくださらないのだ。
僕が天使と出会った日。母上に相談したら、思い当たる令嬢が四人はいると言われた。同じ髪と目の色なら、会ってみなければ誰が僕の天使か分からない。
あっ。ついいつもの癖で呼んでしまった。
僕の天使なんて、言ったら彼女はどう思うだろう。
驕っていると罵られるだろうか。
剣の練習でできた傷、手のひらのマメがつぶれた程度でも、彼女は回復魔法で治してくれた。剣の練習が嫌で泣いていたと知り、何だそんなことでしたの、と呆れ顔だったけれど。
氷のような銀色の髪も、冷たく僕を見る紫色の瞳も、絵画で見たどの天使よりも神々しい。彼女の持つ迫力に圧倒されて、名前を尋ねるどころかこちらから名乗ることも忘れてしまい、知り合いになるきっかけすら失ってしまった。
◆◆◆
母上が父上に、女の子が欲しかったと言っているのを聞いたのは、そんな頃だった。
この国では、女子には王位も爵位も継承権がない。だから、僕という王太子が必要なのは認めても、母上は本心では女の子が欲しかったのだ。
衝撃だった。母上には溺愛されている自信があったのに。
部屋で一人べそをかいていると、父上の側近の騎士団長が、息子を連れてきて僕に紹介した。十一歳にもなって泣いているところを見られるなんて恥ずかしい。
「ヴィルソード侯爵嫡男、アレクサンダーと申します」
「皆アレックスと呼んでおります。よろしければ殿下のお相手をさせていただけないでしょうか」
「わかった」
不貞腐れていた僕は、ぶっきらぼうに返事をして、騎士団長を下がらせた。残されたアレックスは、おろおろして肩をすくめている。
「なんだ」
「いえ、あの……」
明らかにこいつには、泣いていたことを気づかれている。いたたまれなくなって、僕は廊下に飛び出した。
「殿下!」
アレックスが後ろから追ってくる。こっちは全速力で走っているのに、次第に差が詰まってきているのはどうしてだろう。ちっ、父親と同じ体力馬鹿か。
何とか振り切って、手近にあった客用寝室に飛び込むと、奥の窓辺にもたれて座り込んだ。全力で走ったのは久しぶりだ。間もなくアレックスが部屋に入ってきた。
「来るな」
「ですが……殿下が心配でしたので」
「来るな、と言っている。ぼく、は……」
視界がぼやけて歪んだ。涙が溢れる。
「お辛いことがあったのですね。大人には無理でも、僕に打ち明けてみませんか」
初対面のこいつに打ち明ける義理はない。
「嫌だ」
「では、しばらく隣にいさせてください」
アレックスは僕に何も言わず、黙って隣で座っていた。ドアが開き、声がするまでは。
「誰かいるの?」
高い声。子供のようだ。
「その声、ジュリアンか?」
アレックスの知り合いか。なら、騎士の子の誰かだろうか。泣いているところを見られ、言いふらされでもしたら困る。
「何してんの、アレックス」
声の主は窓際へ大股で歩いてきた。上質な赤い上着を着た銀色の髪の少年である。先日の天使を髣髴とさせるものの、優雅さの欠片もない。
「うん。今日は練習場に行く父さんについてきたんだけど、それで……」
ジュリアンの後ろには、ピンク色のドレスに銀髪の少女がいた。
「!」
僕は息を呑んだ。
ああ、また逢った。僕の天使!
しかも僕はまた泣きべそをかいている。何てことだ!
涙と鼻水でぐしょぐしょの顔面をハンカチで拭き、なんとか体裁を整えた。
「ああ、子守を押しつけられたわけね」
「こも……!ぶ、無礼だぞ!」
なんてやつだ。この鼻水がついたハンカチを顔につけてやろうか。
「無礼?何のことかな。泣き虫のくせに、むむむっ」
「ジュリアン!やめとけよ!」
アレックスが少年を止めた。泣き虫なのは自覚している。もうどうでもいい。
「あの……」
天使のささやきが聞こえた。
「大変失礼をいたしました。ハーリオン家当主の娘、マリナと申します。」
マリナ!
彼女の名はマリナというのか。なんて心地よい響きだろう。僕は心の中で反芻した。
今日も後光が差しているかのように美しい。礼をする姿勢も完璧だ。
「……セドリック殿下?」
まずい、少し現実逃避していたようだ。彼女に冷たい視線で射抜かれ、僕は壁に磔にされたように動けなくなった。
「……いい……」
はっ。
つい心の声が漏れてしまった。
彼女の視線には毒がある。誘惑する、なんてものじゃなく、痺れさせる何かがあるのだ。一瞬マリナが嫌そうな顔をした。まずい、聞かれたか。
「あ、ああ。そうだ。僕がセドリックだ」
気迫を奮い立たせ、僕は名を名乗った。
泣いていた理由を言うと、彼女は呆れたようだった。この間も同じ表情を見た気がする。
「お母さんに置いて行かれて寂しかったんでしょ?」
「なっ、僕は、そんなっ……」
とことん失礼な奴だな。マリナの兄弟じゃなかったら、とっくの昔にやっつけ……られそうにないな。何か強そうだ。怖い。また泣きそうだ。
「寂しくなんてありませんわ。殿下のお傍には、アレックス……ヴィルソード侯爵家のアレキサンダー様もいらっしゃるではありませんか」
ああ、天使。
微妙に話を逸らしてくれるなんて、君は素晴らしいよ、マリナ。
「う、うん。はい、いらっしゃりました」
君はもう一度言葉づかいを習った方がよさそうだね、アレックス。
「母上は、女の子が欲しかったんだ。だから、僕じゃダメなんだ」
「いいじゃん、男の方が騎士になれるもん。女の子は動きにくいドレスを着なきゃならないし、自由に木登りもできないんだよ」
「セドリック殿下、私があなたのご希望を叶えてさしあげますわ」
マリナは僕を見つめた。動悸が激しさを増す。
彼女が何を考えているのか、予想はついたが……。
細い白魚のような指先が、僕の上着の襟元をくすぐり、僕は声を上げそうになった。彼女はクラヴァットに手をかけ、手慣れた手つきでするすると解いていく。日常的に他の誰か、男の服を脱がしているのだろうか。軽い嫉妬を覚える。
「くっ……」
服を脱がすのを止め、マリナは僕の瞳に視線を戻す。
「殿下を、王妃様が望まれるよう、王女様にしてさしあげますわ」
上着を脱がされ、彼女の指がシャツのボタンを外し、両肩に手が回されると、彼女の息遣いをより近くで感じ、僕は一層緊張した。
十一歳にして大人の階段を上ってしまうと思った。
「私にお任せください。殿下」
マリナはそう言うと、僕の胸に白い手を滑らせた。
◆◆◆
ドレス姿の僕を見て、母上はそれはそれは喜んでいた。厳密に言うと彼女のドレスは僕には小さく、背中のボタンは開いたままにしかできなかったが。マリナに着せてもらったと言うと、喜びが増したようで、親友のハーリオン侯爵夫人と何か話していた。
「よかったですね、殿下」
マリナが僕に声をかけた。
「ありがとう、マリナ。君のおかげだ。母上は嬉しそうだ」
「いえ。私は着替えをお手伝いしたにすぎません」
着替えをお手伝い、と彼女の口から聞いただけで白い指が僕の肌を滑る様を思い出し、僕の鼓動が早まり、顔が赤くなっているのが分かった。
「あら、殿下。髪に花びらが……」
マリナが髪に触れそうになり、僕は過剰に避けてしまった。かえって首筋に彼女の手が触れ、身体がビクンと反応してしまう。
「うふふ。楽しそうね、セディ」
それを母上が目を細めて見ていたことに、僕は気づいていなかった。




