167 悪役令嬢は夜風に微笑む
夜風がマリナの髪を揺らした。
ふわりと流れ込んだ瞬間、耳元にマシューの声が聞こえた。
「……っ!よかった……!」
ガバッ。
布団をはねのけて起き、ジュリアとアリッサを揺さぶった。
「ねえ、聞いて!二人とも」
「んー、何?」
ジュリアは眠そうに目を擦ったが、エミリーが心配で寝つけずに本を読んでいたアリッサは、すぐに起き上がってマリナの傍に座った。
「連絡が来たわ。大丈夫、無事よ」
「本当に?」
「よかったー。で、いつ帰ってくんの?」
マリナは辺りを見回し、一際小さな声で言う。
「分からないわ。ロン先生が怪我させられていて、二人とも……」
「エミリーちゃんも怪我を?」
「いいえ。……ただ、ドウェインが」
「ドウェインて、あの魔法科のキモい奴?」
「キモいって言っちゃダメよ、ジュリアちゃん」
「だってあいつ、廊下ですれ違うと私の脚をじろじろ見てくるんだよ」
「そうね。いい噂は聞かないわね。エミリーは彼に狙われているらしいわ。だから、コーノック先生に匿ってもらうって」
「コーノック先生は王宮にいるんじゃないの?魔導士の独身寮があるじゃん」
「だから、よ。魔導士の多い場所なら、エミリーの魔力の痕跡を辿れないし、王宮は強固な結界が張ってあるの。王宮で働く魔導士か、五属性以上のエミリーやマシューでなければ突破できないようなね」
「なーるほど。ドウェインが入れない場所、ってことか」
「マシュー先生は六属性だから、二人を連れていけたのね」
マリナはうんうんと頷いた。
「結界を突破しないで正面から入ったら、限りなく怪しいもの。魔導士寮は国家機密を扱う部署だから、誰でも立ち入れる場所ではないわ」
「あれ、ちょっと待って」
「何?」
「エミリーが抜けたら、劇はどうなるのさ?魔法使い役が空いちゃう」
「そうよ。アイリーンが代役をやりたがったら、堂々とレイ様に接近できるチャンスを与えちゃうよ」
「魔法使いの役、よね……マシューは何とかするとは言っていたけれど……」
言葉が少ないマシューからの伝令魔法は、必要最低限の内容だった。エミリーが無事であること、ロンと共にリチャードの元で保護されていること、劇は何とかするということ。この三つだけだ。
「明日の練習、どうなるかな」
「エミリーちゃんは、風邪を引いて休んでるってことにしない?」
「そうね。風邪を引いただけなら、代役を立てるまでもないもの」
「いいね。アリッサ、名案だ!」
ジュリアがバシッとアリッサの肩を叩き、アリッサが痛そうに眉を顰めた。
「とにかく、アイリーンが入り込む余地はないと思わせなくちゃ。犯人がアイリーンかどか分からないけれど、アイリーンにとっては都合がいい状況よ。ミスコンだって、手強いライバルが一人減ったわけだし」
「エミリーはミスコンには出ないって言ってたよ?代わりに私が出るもん」
「ジュリアちゃんも気をつけてね。ライバルだと思われたら、どんな目に遭うか……」
その夜の三者会談は遅くまで続いた。
学院祭は三日後だ。自分達の誰が欠けても、アイリーンは隙を狙って入ってくる。乙女ゲーム『とわばら』のイベントのように、攻略対象と後夜祭のファーストダンスを踊らせるつもりはない。
「ゲームの通りなら、セドリック様と踊るのね……」
「レイ様とは絶対に踊らせないんだから!」
胸の前で握りこぶしを振って、アリッサが鼻息を荒くした。
「アリッサと踊るより、踊りやすかったりして……」
「ひどぉい!ジュリアちゃん!自分はダンスが得意だからって。……私だって頑張ってるのに」
「冗談だってば。ま、アイリーンがリオネルと組むようにすればいいよね。殿下とレイモンドとアレックス、それとハリー兄様とは踊らないように」
攻略対象である三人の婚約者と、隠しキャラ候補のハロルドを守るには、それしかないとリオネルにも言われている。
「難しいわね。『みすこん』は脱落した順に五位、四位、三位……と決まるのよね。男子の方が先に順位が確定するし」
「失敗したね。女子から先にすればよかったのに。生徒会で段取りするんだし」
生徒会役員のマリナとアリッサが渋い顔をし、ジュリアは手をひらひらさせて、
「今晩はこのへんにしとこ?私、眠くなっちゃった。おやすみー」
と自分のベッドにもぐった。
◆◆◆
翌日。学院祭まであと二日となった。
劇の練習は、台詞覚えの良いレイモンドが主役を務めることで、打って変わってはかどるようになっていった。
「セドリック様とお兄様が、アレックスの台詞をカバーして。……完璧だわ」
マリナは感心して深く頷いた。
「アレックス君、この前の選挙の時の、神がかった演説はまぐれだったのね……」
台詞のほとんどをセドリックとハロルドに肩代わりしてもらった長兄役のアレックスは、ひたすら堂々と胸を張って立っているだけである。
「何て言うか……間抜けな絵面だね」
「あら、ジュリアでもそう思うの?」
「アレックスはあれでいいの!」
姉妹が話をしている側と反対の舞台袖では、アイリーンがじっと劇の練習を見守っていた。見守っていると言えば言えなくもないが、実際はじっとりとした視線で監視している。
「……ねえ、マリナちゃん、ジュリアちゃん」
小声で話しかけたアリッサは、アイリーンに気づかれないように人差し指で指した。
「何しに来てるのかな?役があるわけでも、舞台係でもないのに」
「不気味ぃ」
「台詞を全部覚えているって言うためよね」
「王女の台詞はアドリブなのに?」
アイリーンに覚えさせないために、王女の台詞は台本から外してある。完全なアドリブなのだ。
「となると、魔法使い役かしらね」
エミリーが練習に姿を現さないと知り、アイリーンの表情が緩んだのを、マリナは見逃さなかった。
――知っているんだわ。エミリーが来ない、本当の理由を。




