163 悪役令嬢は秘密の小部屋に行く
寮の部屋で湯上りのエミリーが長い髪をリリーに編んでもらっていると、不意に魔法の気配がした。
「……風魔法」
ふわりと髪が風に靡き、耳に囁きが聞こえた。
「……リリー」
「エミリー様、どうなさいました?」
「出かける支度を」
「今からですか?もう夜も遅いですよ」
「いいの。……呼ばれたから」
エミリーが立ち上がり、無造作に椅子に置かれた黒いローブに手を伸ばす。
「そちらは洗うつもりで……」
「……いい。これで十分」
「エミリーちゃん、どこに行くの?」
薄緑色のネグリジェの上に、フリルがたくさんついた白いガウンを羽織ったアリッサが、黒いローブを引っ張った。
「……野暮用?」
「明日じゃダメなの?危ないよ」
パジャマを着てベッドの上に胡坐をかいたジュリアが引き留める。
「行く。……朝まで戻らなかったら、マシューに聞いて」
すぐに無詠唱の転移魔法が発動した。
「あ、待ちなさい!エミリー!」
マリナの手が空を斬り、あやうくその場に転びそうになった。
「マシューに聞けってどういうこと?」
ジュリアが首を傾げた。
◆◆◆
エミリーが転移した先は、学院の医務室だった。
正確には医務室の奥の部屋である。ロンが治癒魔法の研究をしている空間だ。
「来たね」
「……はい。何でしょう、ロン先生」
ロンは赤紫色の髪を撫で、視線だけでベッドを指した。
「あんたの知ってる奴でしょ?」
エミリーがベッドに視線を移すと、そこには金髪の痩せた男が寝かされていた。身体には毛布がかけられているが、鎖骨から上と脛から下が見えている。裸のようだ。
「……スタンリー。三年の」
「王都中央劇場の息子だよね?演劇好きの変な奴」
「そう。学院祭の脚本を頼んで……」
ゆっくりと頷き、ロンはエミリーの瞳を見つめた。
「ねえ、こいつと何かあった?」
「何かって?」
「スタンリーはね、地下倉庫で倒れているところを、床材を取りに来た作業員に見つけられたのよ」
「地下倉庫に?」
何故そんなところにいたのか。それも倒れていたとなると……。
「制服は脱がせたけど、所々焦げていたわ。あたしが呼ばれて行った時、辺りに魔法の気配が充満してた。かなり激しくやられたみたいね。治療に時間がかかったもの」
腕組みをして水色の瞳を眇める。
「私が呼ばれたのは、何故ですか?」
「分からない?」
「はい」
「助け出されたスタンリーがね、あんたの名前を呟いたのよ」
「私……?」
ドキン。
エミリーの心臓が大きく音を立てた。
脚本をリオネルに書き換えられてから、彼は劇の練習にも顔を出していない。普通科三年の彼と自分は、日常の接点がなかった。
「そ。初めは犯人の名前なのかと思ったけど、焦げた服に残る魔法の痕跡はどうみても光魔法だったから、違うなって思って。あんた光魔法はダメなんでしょ?マシューが言ってた」
「はい。光魔法だけは難しくて」
「そうよねー。でね、あー、これはあんたのことが好きなんだって思ったわけ」
「……ええと?」
「スタンリーの怪我はあたしが責任をもって治したわ。だけどね、意識が戻らないのよ。『大好きなエミリーちゃん』が呼びかけたら、目を覚ますんじゃないかと思って」
それでこんな夜遅くに呼び出したのか。朝になれば自然に目覚めるのではないかとエミリーは思った。
「ね?頼むから、とっとと起こしてくれない?」
「どうやって……」
「優しく囁いてやってよ。……ってか、なるべく急いで欲しいんだよね」
「……え?」
バタン!
医務室のドアが乱暴に開けられた音がした。
「あー、間に合わなかったか……」
ロンは悔しそうに呟いた。
ドカドカと重そうな足音が聞こえ、奥の部屋に男達が踏み込んできた。
「エミリー・ハーリオン、及びロン・メデリッシュ。殺人未遂と犯人隠匿の罪で逮捕する!」
兵士の一人がエミリーの手首を掴んだ。ロンが目で威嚇しながら、兵士の腕を払う。普段の気が抜けたような、女性的で親しみやすい彼の面影はそこにはなかった。
「ちょっと待て。俺達はスタンリーを治療しているんだ。せめて彼が目を覚ますまで……」
「黙れ。そうやってとどめを刺すつもりだろう。騙されないぞ!」
兵士の手には金色に光る手錠と、紫色に光る手錠が握られている。
――あれは、魔力を抑制する手錠!?
「作業員の話を聞いた魔法科の教師から通報を受けた。手錠は二種類必要だとな」
あっという間に兵士達はエミリーとロンの周りを取り囲み、羽交い絞めにして手錠をかけた。
「やめろ!その子は関係ない!」
ロンは赤紫の髪を振り乱して叫んだ。
「関係ないだと?殺人未遂を起こした犯人だぞ」
「……私はやってない!先生も治療しただけなのに!」
兵士に抱えられ、引きずられるように歩きながら、エミリーはスタンリーを目覚めさせなかったことを悔いた。彼の意識が戻りさえすれば、ロンと自分の無実は証明できるのだ。
どうにかしてこの状況を姉達やマシューに伝えたい。魔法を発動させようとすると、手首がジンと痺れる。手錠が魔力を吸い取っているのだ。魔力を吸われすぎれば倒れてしまう。
――魔法は、使えない……。
地下倉庫でスタンリーを見つけたのが仕組まれたことだったとしても、作業員はありのままを報告しただけにすぎない。スタンリーがエミリーの名を呟いたと話したのも、特に他意はなかったのだろう。だが、報告を受けたのは……。
「ドウェインか……」
マシューに敵対心を持っている魔法科教師のドウェインは、エミリーに不祥事を起こさせ、担当の指導教官である彼を学院から追い出そうとしている。さらに、ロン先生はマシューの兄の親友らしく、学院内ではマシューの味方だ。
「あの偏執狂が……許せねえ」
ロン先生が悔しそうに呟いた。
兵士が踏み込んできて以来、女言葉が抜けている。
「ほら、さっさと歩け!」
「……っ!痛いっ!」
エミリーが小さく悲鳴を上げた時、ロンはギリッと奥歯を噛み兵士を睨み付けた。




