162 地下倉庫にて
乙女ゲームヒロインによる暴力シーン(魔法等)があります。
苦手な方は飛ばしてください。
学院の校舎の地下にある倉庫に、スタンリー・レネンデフォールは横たわっていた。
地下室の床は湿っており、頬に冷たい感触が伝わる。今すぐに起きて寮に戻らねば、王太子殿下やレイモンド・オードファンに伝えなければと思うものの、身体が全く動かない。
痛い。
どこが痛いのか、それすら分からない。
魔法の衝撃で弾け飛んだ眼鏡はどこかに行ってしまい、視力が悪いスタンリーには辺りの様子を知る術がなかった。真っ暗だ。それだけは確実だ。
『私を主役にしてほしいの』
あの女を主役にするのと引き換えに、自分はエミリー・ハーリオンを守れるはずだった。
どこで間違ってしまったのだろうか。
ぼんやりと考えながら、スタンリーは次第に意識が遠のくのを感じていた。
◆◆◆
「スタンリー、お前に客だ」
放課後、三年二組の教室にスタンリーを訪ねてきた人物がいた。
「なあ、お前、あんな可愛い子とどこで知り合ったんだ?大劇場の最前列チケットでもちらつかせたのか?」
嫌味を言われても気にしないのがスタンリーの流儀だった。可愛い子と聞いて、何度か自分を訪ねて来ていたエミリー・ハーリオンではないかと心が躍った。
だが。
「お久しぶりです、先輩」
廊下に出た彼を待っていたのは、ピンク色の髪をツインテールに結んだ少女だった。
「君は……」
分厚いレンズの眼鏡を上げ、スタンリーは眉を顰めた。会いたくない相手だった。
「嫌ですよぉ、スタンリー先輩ってば。私のこと、もう忘れちゃいました?」
流し目で彼を見つめ媚態を作る少女、アイリーン・シェリンズは、唇に人差し指を当て、考えるような仕草をした後
「ちょっとだけ、付き合ってもらえますよね?」
と強い力で彼の腕を掴んだ。
連れて行かれる先はどこなのだろうか。アイリーンは地下倉庫へ続く入口を開け、階段を数段下りてから、続いて入ってくるようにとスタンリーを促す。
「入ってはいけない場所だよね?先生に怒られるよ?」
「あら?先輩は臆病者ですねえ」
振り返ったアイリーンは口だけで笑う。目が一つも笑っていない。
ゾクリ。
スタンリーの背中に悪寒が走る。ついて行ってはいけないと、頭の中で警鐘が鳴る。
「行きましょう?」
再び強い力で手首を引かれる。アイリーンは華奢な少女なのに、何故こんなに強い力が出るのだろうとスタンリーは慄いた。
◆◆◆
地下倉庫には雑多な器具類が無造作に置かれていた。殆ど要らないものを放り込んでいるという感じだった。アイリーンが何故自分をこんなところへ連れてきたのか、スタンリーには分からなかった。
「話とは何かな?」
恐る恐る尋ねる。彼女とは距離を取りたいが、手首を放してもらえない。
「劇のことよ」
「あれは……『マデリベル』は僕の手を離れたんだ。僕の力ではどうにも……」
リオネル王子の発案で、男女逆転のマデリベル物語が演じられるらしい。脚本を書いたのはスタンリーだったが、配役が男女逆になったことで、言い回しを多少変えているようだ。こうなるとほぼ、自分の生んだ作品だとは言い切れなくなっている。
アイリーンはぶつぶつ言っているスタンリーに向かって
「役立たず」
と一言言い放ったかと思うと、掴んでいた手首を放し、掌上に緑色の渦巻きを発生させ、すぐに容赦なく彼に向かって投げつけた。
ガゴン。
木製の看板が二つに割れて倒れた。
「な……ま、魔法!?」
腰を抜かしたスタンリーは、尻餅をついたまま出口へと逃げようとした。
「あんたが役立たずだから、私のシナリオが狂ったじゃないの!」
ブワッ。ガラガラガラ……。
突風が吹き、スタンリーの頭上にあった補習用の床材が彼を目がけて振ってきた。
「ぐうっ……」
体中で板の衝撃を受け止め、蹲るようにその場に倒れる。
「痛い……何するんだ……」
「何って、消えてもらおうと思って」
「消える……」
「私があんたに主役にしてって頼んだと知られたら困るのよ。あくまでもあんたが自発的に私を主役にしたの」
「違う!僕はお前なんか主役にしたくなかった!主役になれなければ、舞台装置に魔法をかけて、彼女を害すると……」
ダン!
倒れていた看板をアイリーンが蹴り、大きな音が闇の中にこだまする。
小首を傾げて大きな瞳を輝かせ、アイリーンは再び掌に輝く魔法球を発生させた。
「さっきのは、風魔法ね。……こっちは光魔法。雷撃で仕留めてあげる」
光る球が次第にバチバチと弾ける音を立てる。禍々しい輝きに照らされ、アイリーンの瞳がギラギラと光った。
スタンリーは這いつくばって出口へ向かおうとするが、目の前にハイソックスを履いたミニスカートの脚が立ちふさがった。
「あら、どこに行くの?折角先輩のために雷撃を出してあげてるのに……」
「通してくれ。僕は……」
震える声が地下室に響いた。アイリーンはクックッと楽しそうに笑う。
「……ねえ、先輩」
俯いたままスタンリーは答えなかった。
「エミリーに踏まれたくて、魔法使いの役に自分をねじ込んだんでしょう?残念ね」
「……っ、どうしてそれを……」
はっと視線を上げると、アイリーンは狂気に満ちた微笑を浮かべていた。
「書き換える前の脚本を見たのよ。……あんたがきちんと仕事をしているか、確認するためにね。でも、配役は思い通りにいかなかった。あんたが不甲斐ないせいで」
「あ、あれはリオネル王子が……」
言い終わらないうちにアイリーンの手から雷撃が放たれる。直撃を受けたスタンリーの身体が光りに包まれてビクンと跳ね、ドサリと床に倒れた。倒れる瞬間に眼鏡が転がる。
ガチャリ。
アイリーンが眼鏡を踏み、粉々に壊れた音がしたが、スタンリーには様子が見えていない。
「踏まれるの、好きなんでしょう?……お望み通り、踏んであげるわよ!」
ガツ。
虫の息で横たわるスタンリーの腹を、少しだけ踵の高いアイリーンの靴が容赦なく踏みつける。
「……っく……はっ……」
「……」
彼を冷たい表情で見下ろし、アイリーンは靴音を響かせて地下倉庫を出て行った。




