161 悪役令嬢は劇の練習を見る
「お前のような役立たずは、煙突の掃除でもしていろ!」
「そ、そんな!兄上!……」
「……?」
「……ねえ、次、誰?」
セドリックがひそひそとレイモンドに近寄って呟く。レイモンドは黙って目の前に頽れているアレックスに視線を移す。
二人に目を配りながら、ハロルドがゆっくりと語る。
「……私達の兄上は、人でなしでも、鬼でも、悪魔でもありません。ですよね?マデリベル?」
「そ、そうでした。兄上は人でなしでも鬼でも悪魔でもありませんよね……あれ?」
ダン!
「ひっ……」
冷たい視線でアレックスを睨んでいたレイモンドが、とうとう堪忍袋の緒が切れて、アレックスの目の前で足を踏み鳴らしたのだ。
「いい加減にしろ、アレックス。お前は何回台詞を忘れたら気が済むんだ。次の台詞を思い出すようにハロルドが助け舟をだしたのを、まさかそのまま復唱するとは」
セドリックが台本を捲る。
「次の台詞は、『この人でなし!鬼!悪魔!』だよ。こんなの簡単じゃないか。レイを前にしたらすらすら出てくるだろう?」
「……どういう意味か後でじっくり説明してもらうぞ、セドリック」
「僕はアレックスに演技指導をしているだけだよ?」
生徒会メンバーが多く含まれる演劇の練習は、生徒達が校舎から出た後、下校のチャイムが鳴る頃に講堂のステージで行われている。主演のマデリベル役のアレックスは、台詞を覚えられず、覚えていても噛んでしまい、散々な出来であった。
「忙しいのに皆集まっているんだ。お前一人の不出来で進行が止まっている。俺達は短時間で劇を仕上げる必要がある。台詞くらい一晩で覚えろ」
「すみません」
人でなし・鬼・悪魔を地で行くレイモンドが、緑の瞳を怒りでぎらつかせながら、アレックスを引っ張って立たせた。叱っても面倒を見るところが彼らしい。
「……もういい。次の台詞、セドリックのところから再開しよう」
「分かった。……うーん、僕が主役になりたかったなあ」
「無理だ。王太子がいじめられ役など聞いたことがない」
「アレックスははまり役だけど、なんか、つまんないんだよなあ」
ぶつぶつ言っているセドリックの背中を一つ叩き、レイモンドは立ち位置につかせた。
「……ああ、そうだっ!」
「どうした?」
「レイはマデリベルの台本を全部覚えてるんだよね?」
「……それがどうした?」
「アレックスは台詞が多くて覚えられないんだよ。だから、レイが主役をやればいいじゃないか!」
『僕って天才』と顔に書いてあるようなドヤ顔で、セドリックは腰に手を当てて頷いた。
「……馬鹿なことを」
「名案でしょ?一番記憶力がいい人が、一番台詞が多い役をやるんだもの。間違えようがないよね?」
「代わってくれるんですか、レイモンドさん!」
アレックスが金の瞳をきらきらさせて、縋りつく子犬のようにレイモンドを見ている。
「お願いします!お願いしますっ!」
「ほら、アレックスもこう言ってるしさ。考えてみてよ、レイ」
笑顔でアレックスの肩を叩くセドリックの横で、レイモンドは眉間の皺を一層深くしてこめかみに青筋を立てた。
◆◆◆
教室に忘れ物をして、講堂に直行できなかったマリナは、遅れて練習に参加した。
セドリック達が練習している姿を見て驚愕した。
――ど、どうしてレイモンドがいじめられているの?
「煙突掃除で真っ黒だな、マデリベル。なんて汚らしいんだ。美しい僕の傍に寄らないでくれ。汚いのが移るじゃないか」
セドリックがシッシッとレイモンドを追い払う。
「どうせ汚れると分かっているのですから、あなたに服など必要ありませんよね?部屋にある上着は私が着てさしあげます。あなたは庭師の爺さんが着古したシャツでも着ていなさい」
ハロルドがボロボロの服をレイモンドの顔目がけて投げつける。
「お前達、そんなドブネズミに構っている時間はないぞ。何と言っても今日はお城の舞踏会だ。着飾って王女様の目に留まるよう……留まるよ……とま」
「……おい」
ボロ服を手で払ったレイモンドが、跪きながらアレックスを睨み付けた。
「ひっ……」
「俺にこんな真似をさせておきながら、また台詞を忘れたのか?」
「うっ……せ、台詞が長くて……」
練習の様子を見つめているマリナ達には、レイモンドがイライラしているのが手に取るように分かった。
「よし、分かった。……セドリック、ハロルド、頼みがある。アレックスの台詞を代わりに言ってくれないか」
「台詞はすべて記憶していますから、構いませんが……」
「それだとアレックスのおいしいところが全然なくなってしまうよ?」
「仕方がないだろう?アレックスが演じる長兄が、一言でも話し出すと総崩れになってしまうのだからな」
その後も主役のマデリベル、もといレイモンドが進行を仕切る形で練習が進んでいく。
「レイ様大変だわ。生徒会のお仕事だけでも手いっぱいなのに……」
眉を八の字にするアリッサは、溜息をついて隣に座る姉を見る。
「いいぞ!兄様!アレックス、もっとやれ!」
マデリベルと兄達の格闘シーンに目が釘付けになっているジュリアは、もっと派手な技が出ないかと期待しているようだ。
「……はあ。劇が仕上がるのはいつなのかしら」
マリナは学院祭までの残り日数を数え、椅子で眠りこけているエミリーにそっと膝掛けをかけた。




