02 悪役令嬢は剣を習う
「旦那様、申し訳ございません。もう、倅には怪我をさせたくないのです。あれでも私の後を継がせ、人並みの庭師にはするつもりでおります」
庭師のペックはそう言うと、雇用主であるハーリオン侯爵にひれ伏した。
「そうか」
侯爵は頭を抱え、溜息をついた。
「お前の倅なら、年も上だし、大丈夫だと思ったのだが……」
庭師の息子は十歳。ジュリアより二つ年上だ。
「旦那様」
「何だ」
執事のジョンが口を挟む。
「ジュリアお嬢様は、剣の基本をしっかり学ばれた方がよろしいのではと。庭師の息子では、お嬢様の能力を持て余してしまいます」
「では、私の友人に頼むとするか」
「それがよろしゅうございますね」
侯爵は馬車を回すよう執事に言いつけると、上着を羽織り、娘達の部屋へ向かった。
◆◆◆
「剣を習うって、本気なの?ジュリアちゃん」
「自衛手段が必要じゃん。私、魔法のセンスなさそうだもの」
それは否定できない、と姉妹の誰もが思った。先日、ハーリオン侯爵が娘の家庭教師にと連れてきた魔導士は、ジュリアの手から魔法の波動が全く出ないため、疲れ果てて帰ってしまった。
「魔法の先生、次は来てくれるかなあ?」
「来ないわよ。帰り際に迷走の魔法をかけておいたから。だってあいつ、ジュリアのことあからさまにバカにしてた」
「エミリー?」
「大丈夫。時間が経てば切れる。五時間で」
「ご、五時間……」
ジュリアが絶句した。いくら自分を酷く貶したとはいえ、相手は魔法の家庭教師だ。相当の実力があるはずなのに。あの家庭教師は侯爵邸を出てから、付近の街を五時間も迷子になっていたのだろう。
「魔法を教えに来るなら、少なくとも私より実力がある魔導士じゃなきゃ。あんなの不合格!」
「そうね。魔法はきっと新しい先生が教えてくださるわ。でも……」
「剣は、ダメ?」
「ダメっていうか、教わりたいのはジュリアちゃんだけだもの。私は興味ないなあ」
「お父様にお願いするの?」
「うん。ジョンにはちょっとしゃべったんだけどさ」
ジョンとは父侯爵に仕える執事である。仕事ができる男だから、何かの折にジュリアが剣を習いたがっていることを伝えてくれるだろう。
ノックの音がし、部屋のドアが開いた。
◆◆◆
「出かけるぞ、ジュリア」
「お父様だ!やったー!私だけお出かけ?」
やったーやったーとジュリアはベッドの上でジャンプした。フリルで品よく飾られたマリナの寝具があっという間にぐちゃぐちゃになる。
「ああ、そうだ。マリナ、アリッサ、エミリーは留守番だ。また今度連れて行ってやる」
エミリーの頭を撫で、ベッドの上で飛び跳ねていたジュリアを横抱きにし、ハーリオン侯爵は部屋を出た。銀髪が乱れたエミリーは少し迷惑そうな顔をした。
後に残された三人は、ドアが閉まると同時に溜息をついた。
「うわあ、お父様、強引!」
マリナが寝具を直しつつ、口に手を当てて、きゃ、と呟く。
「普段は単なるイケメンだけど、俺様が入るとちょっとかっこよくない?」
アリッサが身を乗り出して、他の二人に問いかける。確かに二十八歳の父は、四人の子持ちには見えない格好よさではある。何か急ぎの要件なのか、出かけるにしては着崩した服も、茶色がかった金髪が少し乱れていたのも絶妙な色気を感じさせた。
「……ジュリアがうるさかったから、連れてってくれて助かった」
エミリーが布団に身を沈めると、二人は「そこかよ」とつっこんだ。
「でも、なんでジュリアちゃんだけ?私もお父様とお出かけしたぁい!」
アリッサは自他ともに認めるファザコンである。侯爵の容姿は勿論、耳元で囁かれると痺れるような艶のある低い声も好きだ。よって、父の膝の上に抱かれて本を読んでもらうのが日課である。
「アリッサはこの間、図書館に連れてってもらったでしょうよ」
「だって、私が読んでる間、お父様ったら帰っちゃったのよ」
姉妹は父に同情した。アリッサは一度読みだしたら、シリーズを読破するまで帰らない。家に連れ帰ってくるのに苦労したようだった。
「ジュリアが庭師のペックの息子をコテンパンにしたから、怒られると思っていたのに」
ジュリアを迎えに来た父は、怒っているどころか、どこか嬉しそうだった。
「あれ、そう言えば……ジュリアちゃん、ドレス着てなかったよ」
「男装で出かけるの?お母様、後で何て言うかしらね」
◆◆◆
ハーリオン侯爵は傾国の美女とも言われる美しい妻を溺愛しており、妻にそっくりな娘達に甘い。例え心からの「お願い」でなくとも、娘の願いを聞かなかったことはない。そんな彼が次女ジュリアのお願いを叶えたのは、ジュリアが四歳の頃だった。
「お父様、ジュリアは騎士様になりたい。だから、剣を習いたい」
一時の気の迷い、どうせすぐに飽きると思って許可したが、なかなかどうして、ジュリアは剣の稽古に飽きることはなかった。手加減してくる下男や、使用人の子供達を相手にしていてもつまらないらしく、強い相手と戦いたいと愚痴をこぼしていた。庭師の息子に怪我をさせたとあっては、もう潮時だろう。侯爵は馬車の中で、隣に座る娘を撫でた。
「お父様?」
「いいかい、ジュリア。これからお父様のお友達の家に行くんだよ。お前と同じ年の子がいるから、仲良くするんだよ」
友達ができると聞いて、ジュリアの心は躍った。
「わあ!嬉しい。一緒に騎士ごっこしようっと。……あ、その子、女の子?」
「女の子がいる家に、わざわざお前を連れていくと思うかい?」
ハーリオン侯爵はにっこり笑った。
「じゃあ、その子、強い?」
侯爵は目を細めて黙って頷き、ジュリアの顔がぱあっと喜びに染まる。
「お父様、大好き!」
飛びついたジュリアを抱きとめると、侯爵は窓の外を眺め、もうすぐだよ、と言った。