151 悪役令嬢は演劇イベント粉砕を目論む
セドリックを説得した後、マリナは普通科三年一組の教室にハロルドを訪ねた。
「ハロルドなら、もう帰ったぞ?」
入口の傍にいた生徒が、近くにいた何人かに聞いている。
「ついさっき出たところだ」
「追いかければ間に合うんじゃないか。……ほら、あの脚だし」
「そうですか。ありがとうございます」
アイリーンの策を阻止するためには、マリナはどうしても演劇を成功させる必要があった。
夜の話し合いで、リオネルは言った。
「全部揃わなかったら、イベントは発動しないよね。だったら、ヒロインが入り込める隙を一つ一つ塞いでいくしかないよ」と。
学院祭の演劇で、ヒロインが攻略対象の好感度を上げるイベントが起こる条件は、三つ。
一つ目は、攻略対象が劇に参加すること。これは絶対だ。
二つ目は、ヒロインに嫌がらせをする悪役令嬢が劇に参加すること。攻略対象の相手役をやりたがった悪役令嬢が、ヒロインに嫌がらせをし、攻略対象がかばうのだ。嫌がらせがなければかばう必要もない。
三つ目は、ヒロインが攻略対象に相手役として推薦されるか、劇の裏方として参加していること。アイリーンが相手役として推薦される可能性はまずない。問題は裏方として参加していても、主役の侯爵令嬢が『不慮の事故』に遭い、ヒロインが代役として主役を務める流れになることだ。セドリック達がアイリーンを相手役に選ばない以上、自分が主役になるために侯爵令嬢を『不慮の事故』で消そうとするだろう。
――消されてたまるもんですか!
マリナは両手で自分の頬を叩き、
「お兄様を追いかけるわよ!」
と気合を入れた。
ハロルドと気まずいなどと言っている暇はない。
イベントが完成する三つの条件のうち、攻略対象を参加させないことについては、マリナ達もリオネルも難しいと思っていた。学院祭は王都だけではなく国外からも来場者がある。例年見目麗しい生徒や高位貴族の子を選んで出演させているのだ。王族が在籍していれば必ず出演するという暗黙の掟がある。
『マデリベル』の話が演劇の題材になっていることから、起こりうるイベントはセドリックの好感度を上げるものと推測されるが、セドリックのイベントを狙っているとも限らない。マリナ達が演劇に集中している間に、他の攻略対象がアイリーンの毒牙にかかるかもしれない。レイモンド、アレックス、そして未だ明らかになっていない『とわばら』の隠しキャラの疑いがあるハロルドも、オトされればヒロイン側に有利になる。
これには一つの解決策があった。
攻略対象を一か所に集めるのだ。魔法が使えるセドリック達は用心しているし、魔法に自信がないアレックスにとっても彼らが近くにいれば安全だ。アイリーンが魅了の魔法をかける機会を減らすことができる。ハーリオン家四姉妹も常に目を光らせる。
ところが、攻略対象全員を劇に出演させるためには、男性が演じる役が少ない。元々の劇では、男性キャストはマデリベルの父と王子くらいなもので、魔法使いを入れて何とか三名だ。女性キャストの枠が多ければそれだけ、虎視眈々と代役を狙うアイリーンが入りやすい上に、高位貴族令嬢であるマリナ達が出演しなければいけなくなる。
そこで、リオネルの案で役の男女を逆転させることにした。
攻略対象を出演させる枠が増え、女性キャストが減る。一石二鳥である。
女性キャストを減らすことで、『ハーリオン侯爵令嬢』が『ヒロイン』に対して嫌がらせをするイベントを、アイリーンが強制的に仕立てられなくする。劇に出演する女子生徒は、アリッサの友人のフローラと、短時間しか出番のない魔法使い役のエミリー、最後に二言三言話すだけの王女役をする誰か、である。エミリーはマシューがくれた腕輪で物理攻撃にも耐性があると言っていた。攻撃力防御力ともに四姉妹の中では最強だろう。
王女役を最後まで決めないでおくのは、アイリーンに狙われるのを防ぐためだ。マシューを除く攻略対象三名が出演するとなれば、アイリーンは必ず王女役をやりたいと言い出すだろう。王女役に決まっている令嬢が舞台に立てなくなるように、何か仕掛けてくるに違いない。それこそ『不慮の事故』に見せかけて。
マリナは姉妹全員と攻略対象を守るために、ハロルドを説得したいと思っていた。
縁談を勧めるよう父に手紙を出し、結果的に彼を傷つけたであろうことは分かっている。だが、どうにかして自分の意図を理解してもらい、了解を取り付けたい。
昇降口を出ると、秋風がチェックのスカートを揺らした。
◆◆◆
男子生徒はマリナの長い銀髪が廊下の角を曲がって見えなくなったのを確認し、
「行ったぞ。あれでいいのか?」
と、廊下側の壁に寄り添うようにして立っているハロルドに言った。
「ええ。……ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
力なく笑うハロルドは、少しやつれてはいるが凄味のある美しさはそのままだ。伏せられた瞳を縁どる長い睫毛が陰を作る。
「いいけどよ、……何で妹に冷たく当たるんだ?」
「仲が悪いわけじゃないんだろ?」
「話くらい聞いてやっても……」
ハロルドはゆっくりと首を振った。
「これでいいんです」
校舎を出たマリナは、振り返って三年の教室を見上げた。
一番端から順に窓を眺めると、金髪の人影が見えた。
――今の、どう見てもお兄様だわ。
ハロルドに似た雰囲気の生徒は、同じクラスにいなかったはずだ。まだ帰っていなくて、自分と行き違いになったのかもしれない。
「ダメもとで話してみるしかないわね」
彼が逃げないうちに教室に着こうと、マリナは『廊下は走らない』ポリシーを曲げることにした。




