144 悪魔の囁き
魔法球を灯し、フローラは図書室で借りた恋愛小説を読んでいた。
「ふう……素敵ですわ。こんなに想いあって……」
自分もいつかは恋愛ができればいいとは思うが、今は他人の恋バナを聞いているほうが、恋愛小説を読んでいるようで楽しい。
少なくともそう思っていた。彼女が現れるまでは。
ノックの音に気づき椅子から立ち上がり、使用人が帰ってしまったことを確認して自分でドアを開けた。開けた瞬間にフローラは後悔した。会いたくない人物が立っていたからだ。
「こんばんは」
「あなたは……」
ピンクの髪の女子生徒だ。彼女にはいい印象をもっていない。
「フローラ・ギーノさんよね」
「ええ」
「私はアイリーン・シェリンズ。選挙にも出たから知ってると思うけど」
「存じておりますわ。魔法科の一年生でしょう?」
「そう。……ねえ、大事な話があるんだけど、部屋に入れてくれないかしら」
アイリーンは瞳を細めた。長い睫毛が揺れる。
「お断りしますわ」
「あら、強情ね」
「アリッサさんを酷い目に遭わせるような方とは、お話しすることはございませんもの」
緑の瞳に怒気を漲らせて睨むが、アイリーンは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ふぅん。じゃあ、仕方がないわね」
フローラに顔を近づけて、アイリーンは意味ありげに微笑む。
「な、何をするつもりですの?」
「私が気づいていないとでも思ってる?」
「気づく……とは?」
無意識にスカートを掴んで弄んでいた。緊張が走った。
「アリッサに取って代わりたいんでしょ、レイモンドが好きだから」
「なっ……」
「アリッサがいなくなれば、レイモンドはあなたに振り向くかもしれないわよ?ふふっ」
アイリーンは可愛らしい顔を悪魔のように歪めて、目を爛々と輝かせた。
◆◆◆
ハロルドが手紙を封筒に入れた後、コーディが寝室へ呼びに来た。
「お客様がいらしてます。どうします?」
「こんな遅い時間に、誰です?」
レイモンドだろうか、とハロルドは思った。学院祭実行委員に選ばれておきながら辞退したため、人手が足りず困っているとでも言われるのか。
「いいえ、違います。えっと……」
名前を言われて覚えられなかったのか、コーディは口ごもった。従僕としてはまだまだスキルを身に付けなければいけないようだ。
「分かりました。中に入っていただいてください」
夜着の上にガウンを羽織り、ハロルドが寝室を出ると、居間に待っていたのはレイモンドではなかった。
「夜分遅くに申し訳ございません。ハーリオン先輩」
マクシミリアンが恭しく礼をする。
「いえ……」
特に親しくもない彼と、夜遅くに話すことはない。ハロルドは椅子に腰かけたものの、話を早々に切り上げようと考えていた。
「ご相談があるのです。アスタシフォンへ輸出する植物のことですが」
「……何故私に?」
彼とは特に親しく話した覚えはない。頼られる理由が思い浮かばなかった。
「先輩は植物にお詳しいとか。研究題材も植物の品種改良だと伺いました」
「確かに、作物の研究をしていますが……あくまでも食料になる作物や、花卉くらいのものですよ。私の知識など微々たるもので、あなたが図書館で調べてもすぐにお分かりになる程度です」
「ご謙遜を」
目を細めたマクシミリアンの真意は読み取れない。ハロルドが歓迎会の司会を務めた時に彼とも何度か話す機会はあった。しかし、無条件で信用するのは怖いと感じていた。
「輸出する植物と仰いましたが……」
「私の父は貿易会社を経営しておりまして、アスタシフォンのリオネル王子が我が国へ滞在される間に販路を拡大せよと指示をうけました。幸い、王子は学院祭実行委員になられましたので、この機会に売りこもうと思うのです」
「そうですか。では、王子に直接お尋ねになられるのがよろしいのではありませんか。こちらで売りたいものとあちらが欲しがるものが、必ずしも一致するとは限りませんよ」
早く追い出してしまいたかった。嫌な予感しかしない。
「仰る通りです。……私は交易品に、花の種を入れようと考えております。グランディアには珍しい植物が多い。必ずアスタシフォンでも喜ばれるでしょう」
「私はあまりお勧めしません。あちらで自生している花を駆逐してしまいかねません」
「ふふ。何も、花を育てようというのではありませんよ」
「……まさか……」
マクシミリアンは声を上げて楽しそうに笑った。笑い声が止んだ時、彼の表情は一変していた。瞳に狂気が宿っている。
「花なんか育ててどうするのです?種を薬として売れば、いくらでも金が手に入るのに。アスタシフォンは内紛の多い国。……例えば、ユーデピオレなら、王侯貴族が先を争って欲しがるでしょう」
「ユーデピオレの種は貴重です。国外に持ち出せません」
「ピオリなら?」
低木に白い花が咲くピオリと、ユーデピオレは近い樹種だ。種はどちらも細かく、一見して見分けがつかない。
「どこにでもあるピオリの種を、貴重なユーデピオレの種として売ったら……と?嘘をついて売るというのですか?」
「解毒作用のあるユーデピオレでも、効果が出るか否かは運次第、服用しても解毒されず死に至ることもありますよね」
「人の生死にかかわることです。そのようなことは即刻やめるべきです」
ハロルドが幾分強い調子で言うと、マクシミリアンは話すのをやめた。じっと見つめて、再び饒舌に語りだした。
「あなたが賛成しても反対しても、私はどちらでもいいのですよ。ベイルズ商会は『ユーデピオレ』の種を売るのです。植物の研究者であるハロルド・ハーリオン氏の助言を受けて」
「私は認めません!詐欺の片棒を担ぐ気はありません。すぐに出て行ってください!」
椅子から立ち上がったハロルドは、少しよろけてマクシミリアンを引っ張り、ドアへと押し出した。
「そのように睨まなくてもよいではありませんか。すぐに出て行かなくとも状況は変わりません。私があなたの部屋にいたと、何人もの生徒が知っているのですから」
はっとして左右の廊下を見渡す。三年生が多い階は、一階の娯楽室から引き揚げてきた生徒達が行き交っている。左側にある部屋のドアが開き、レイモンドがこちらに気づいた。
「ハロルド?……マックス、お前は……」
明らかに取り乱した様子のハロルドと、飄々として取り合わないマクシミリアンを交互に見ている。
「お前達が友人同士だったとは知らなかったな」
呟きを聞いたマクシミリアンは満足そうに笑み、ハロルドは瞳に困惑の色を浮かべた。




