21 悪役令嬢の悪夢 1
煌びやかな衣装に身を包んだ男女が談笑する大広間。ここがどこなのかマリナには分からない。先ほどから続く胸の不快感が、彼女を椅子に縛り付ける。それは、壇上の椅子で王にしなだれかかる母親の姿を見たからではない。
――気持ち悪い。
貴婦人が放つ香水の匂いに吐き気がする。扇子で顔を覆うもあまり効果がない。
帰りたいな、と溜息をついた時だった。
人々がざわめく。多くの視線を感じてマリナは委縮した。
――何事?
部屋の中央を見れば、王太子セドリックがピンク色の髪をした女性をエスコートしている。これからダンスを始めるようだ。
「まあ、王太子妃様のお立場が……クスクス」
「王太子様はあの方に夢中だな」
「なんて仲睦まじい……」
貴族が口々に噂している。
本来エスコートされるべきなのは、王太子妃であるらしい。
「妃殿下」
――妃殿下って私なの?
自分の手は白く長い指先をしている。わずかな膨らみしかなかった胸は豊かに盛り上がり、胸元が開いたデザインのドレスが妖艶さを引き立てている。
――成長してる!
声をかけた主を見れば、二十代後半の騎士のようだ。正装である騎士服がよく似合う。
「お加減が優れませんか。先ほどから拝見しておりますと、お顔の色が……」
――ずっと見ていたの?
「ええ。人ごみに酔ってしまったのかしら」
「ご退出なされてはいかがでしょう。陛下や殿下には私から言伝を頼みますから」
ちらりと王太子を見れば、満面の笑みでヒロインを抱き寄せている。こちらを気にする素振りもない。
「そうね。お願いできるかしら」
名も知らぬ騎士に連れられ、マリナは会場を後にした。
◆◆◆
「勝手に会場から消えたな」
猛烈な吐き気に襲われベッドに横たわるマリナを見下ろして、青い瞳を冷たく輝かせ王太子は言った。
「公務を放り出して、騎士とお楽しみとはな」
――何を言っているの?具合が悪くて……。
騎士はふらつくマリナを支えて部屋まで連れて来てくれた。ただそれだけなのに。
「ちが……」
「やはり君には、あの女の血が流れているのだな。父上を誑かし、母上を離宮へ追いやった娼婦の血が」
「私は、本当に具合が悪くて」
ベッドから起き上がる。身体が重い。
「どうだかな。体調が悪いというが、何日も続けば疑いたくもなる。公務に出たくないだけなのだろうかとな」
マリナは反論しようとしたが、胸が苦しくて話せない。
――何なのこれ!そうよ、夢なんだわ。夢なのに責められるって最悪よ。
「フン。図星か。まあ、いい。今後は公務に出なくていいぞ」
「あの方が、王太子妃の代わりを務めてくださるのですか」
「代わり?彼女は君より何倍も素晴らしい。本物の王太子妃にしようかと思うほどだ」
――これ、あれじゃない?悪役令嬢が妃になって、妊娠してるのに追い出されるっていう……。この気持ち悪さもきっと悪阻なんだわ。
マリナは若くして前世を終えており、出産の経験はないが、経験者の友人の話から何となく推測できた。
「殿下、私っ……!」
私、殿下の御子を身籠っているのです、と言おうとして、マリナの声が出なくなった。
――どういうことよ?王太子に知らせるなってことなの?
「結婚式から三月もたたないうちに、他の男を部屋に連れ込む女を、いつまでも妃の座につけておくわけにはいかないからな」
「連れ込んでなんかいません」
「じゃあ、そいつの方から君に言い寄ったとでも?王太子妃に言い寄った男がどうなるのか、知らないわけではあるまいに。一晩の遊び相手を切り捨てるとは、流石悪名高い女は違うな」
死罪。マリナの脳裏に、あの騎士が断頭台に上る姿が浮かぶ。
――殺してはならない。
「私を介抱してくれただけです。何もありません」
「……女官長が、お前の体調を私に報告してきた」
王太子はベッドの上のマリナの頬に触れ、次第に手が首へ、首から胸元へ、そして腹部へと降りてくる。
「君が、子を身籠ったと」
――知ってるの?
マリナの目が見開かれる。王太子の手が離れる。
「私が君を抱いたのは、結婚式の夜だけだ。……その後何人の男に身体を許した?」
「……!」
――また声が出ない!
パクパクと唇を動かすマリナを見て、王太子は小さく笑った。
「人数も思い出せないか。無理もない。王太子妃の座につくために純潔を守ってきても、結婚したら男漁りを始めるとは」
初夜はどうだったのか分からないが、話からするに彼が自分の初めての相手なのだろう。王太子もそれは分かっているようだ。自分の子の可能性もあるのに。
「この子は、紛れもなく殿下の御子です」
「悪いが、君の話は信じられない」
背を向けて立ち去る王太子に、マリナはベッドから降りて呼びかけた。
「信じてください、セドリック様」
重苦しい音がし、部屋のドアが閉められた。
マリナは腹部に鈍い痛みを感じ、蹲るようにその場に崩れた。
◆◆◆
バサッ!
マリナのベッドから寝具が一気に落ちる。隣で寝ていたアリッサが驚いて毛布から顔を出す。
「んん……どしたの、マリナちゃん……」
跳ね起きたマリナは、肩で息をしながら真っ青な顔をしていた。
確認するように自分の手や胸を見る。
――いつも通りだわ。
子供の手、平らな胸に安堵する。
「な、何でもないわ。ちょっと、夢見が悪くて」
「そぉ……ん、次はいい夢見られるといいねぇ」
ふにゃあと笑って、アリッサは再び毛布に潜り込んだ。




