137 悪役令嬢は生徒会室で憤る
生徒会室に入ってきたエミリーは、顔に死相が出ていた。
「ど、どうしたの、エミリーちゃん」
アリッサが駆け寄り、崩れ落ちそうなエミリーを支えた。
「レイモンド、いる?」
年上であろうと、攻略対象は呼び捨てにするのがエミリーの常だ。そうでなくとも、今は言ってやりたいことが山ほどある。
「レイ様は先生を呼びに職員室に行っちゃったの……すぐ戻ると思うけど」
「そう」
姉の瞳が揺れている。本気で妹を心配しているのだろう。
生徒会のメンバーと実行委員の役割分担を決め、彼らが初日の仕事をしている間、アリッサはレイモンドと二人で生徒会室に残り、次の手筈を整えていた。
「スタンリーに話をつけた」
「劇の脚本家ね」
「あんな変態だとは思わなかった」
思い出すだけでも虫唾が走る。
エミリーの脚を間近に見たスタンリーは、ひれ伏して女神のように彼女を崇め、思い余って脚に触れ、こともあろうにキスしてきたのだ。驚いたエミリーが胸元を蹴り飛ばすと、近くの机に顔をぶつけて鼻血を出しながら、自分好みの脚に蹴られたと恍惚の表情を浮かべていた。
――あり得ないわ。あいつが私を主人公にしようと、劇なんか出ないんだから。
「大丈夫?顔色がよくないわ。寮に帰ったほうが……」
「レイモンドに文句を言うまでは帰らない」
アリッサはレイモンドを溺愛しているから、彼がスタンリーと同じ趣味があっても許してしまうだろう。相談したところで曖昧に躱されるだけだ。
廊下から足音が聞こえ、エミリーは居住まいを正した。
レイモンドが戻って来たのだ。すました顔で椅子に座る前に、散々詰って凹ませてやらないと気が済まない。
ドアが開いた。
「レイモンド!あんたのせいで変態男に脚を……!」
アメジストの瞳に怒りを滲ませ――人形のように無表情のエミリーは、そこにいた人物を見て固まった。
「コーノック先生……」
アリッサが呟いた。黒いローブを着た長身の男、魔法科教師のマシュー・コーノックは、エミリーの言葉に顔面蒼白になった。
「……脚?何があった?エミリー!」
赤い左目が煌めき、魔力が漏れてあたりに広がっている。エミリーだけに分かるシトラスミントの香りが漂う。膝をついて視線を合わせ、左手を取って腕輪を確認した。校舎の中では流石に抱きついたりはしないのだ。
「何でもない」
「お前が怒っているのは魔力の揺れで感じた。誰かに何かされたのか?」
「え、い、いや?」
明後日の方向を見つめる。スタンリーの奴はいつかコテンパンにのしてやりたいが、本当のことを言えば、学院祭が終わらないうちにマシューが息の根を止めてしまいそうだ。劇の発表ができないのは困る。生徒会役員をしている姉達にも迷惑がかかる。
「言え」
「言わない」
「どうしても言わないつもりか」
ギラリ。
赤い瞳が妖しく光った。
――ま、魔王?
ここで怯むわけにはいかない。レイモンドを詰るのは後日にして、逃げ出す方がよさそうだ。しかし、ドアと自分の間には、黒衣の六属性魔導士が立ちはだかっている。
「……転移魔法を使うのか?無駄なことを」
マシューが魔法で光りはじめたエミリーの身体を抱きしめると、魔法の発動が止まった。
――無効化されてる!
エミリーは焦ったが、全く表情に出ていない。
「俺も詳しく聞きたいことがある。別室に移動するとしよう」
「きゃっ」
「こうでもしないとお前はすぐ逃げ出すからな」
「コーノック先生、生徒会室にご用事があったのでは?」
アリッサが引き留めようとする。エミリーがお姫様だっこされているのを見て、心なしか赤くなっているようだ。
――見てないで助けてよ!
目で訴えても、姉は口元に手を当ててふふふと微笑むばかりだ。
「生徒会に用はない。俺はエミリーの魔力の揺れを感じて、確かめに来ただけだ」
「まあ、エミリーちゃんを探しに?」
目を丸くして楽しそうな姉に、エミリーは軽く絶望した。
「仕事は終わったのか」
「はい。脚本家との交渉が今日のお仕事でしたもの」
「まだ仕事が残って……」
いる、と言い終わらないうちに、エミリーとマシューは白い光に包まれて姿を消した。
「エミリーちゃんたら、マシュー先生にものすごぉく愛されてるんだわ……いいなあ、ああいうの、ちょっと羨ましい……」
自分がレイモンドにベロンベロンに甘やかされていることを棚に上げ、アリッサはほぅと吐息を漏らした。
うっとりしている自分を、冷たい視線で射抜く男が戸口に立っていると気付かずに。




