134 悪役令嬢は朝練の順番を待つ
剣技科練習場で、先に練習をしていた上級生の試合を見ながら、ジュリアはぼんやりと座り膝に頬杖をついていた。
「アレックス、遅いなあ……」
登校したらすぐに練習場に向かい、二・三回試合をしてから教室に行くのが日課である。何かがあって男子生徒四人組が現れず、痺れを切らして先に来てしまったのが良くなかった。
「ひーまー」
つい、口から洩れてしまった。
背後でくすりと笑う声がし、トントンと肩を叩かれる。
「おはよ、ジュリアちゃん。何やってんの?アレックスは?」
レナードは辺りを見回し、赤髪の少年がいないことを不審がっている。それほどジュリアとアレックスはいつも一緒なのである。
「あー、うーん。今朝は一緒に来なかったから」
「へえ。喧嘩でもした?」
愛嬌のある猫目が細められる。この男の悪戯な微笑は上級生女子にも人気がある。ジュリアはアレックス以外の異性に興味がなく、攻略対象らしいレナードのカッコよさに気づかない。
「してない。何かね、今朝は王太子殿下達が女子寮に来なくて」
「そうか!今朝の!」
レナードはぽんと手を打った。
「レイモンドさんが部屋から出たがらない殿下を引っ張って歩いていたんだ。授業に出たくないのかな。殿下も我儘を言いたい時があるんだね」
セドリックは我儘王太子ではないのか?とジュリアは疑問に思った。学院に入るまで彼の性格を知らなかったレナードからすれば、今のセドリックは完璧な王太子なのかもしれない。
「だから遅かったのか……あ、先輩達終わったみたい」
「次なの?」
アレックスが来るより早く練習試合の順番が回ってきてしまった。次の組に回してしまえば、始業時刻に間に合わないだろう。どうせなら暇そうなレナードを誘って練習したほうがいい。朝の練習試合は、ジュリア達二人が最終組になるだろうと予測したのか、順番待ちをしていた生徒達は、次々に練習場を後にしていく。
「うん。……ねえ、一緒に練習しない?」
「俺がジュリアちゃんの誘いを断るわけないでしょ」
軽くウインクしたレナードは、ジュリアの肩に手を置いた。というか、肩を抱かれている。
――あれ?
いつもより近い距離にジュリアの中で警報が鳴る。狼狽えているのを隠そうと軽口を叩こうとするが、至近距離から明るい青の瞳がじっとこちらを見つめている。
――い、居心地が悪い!
急に振り払うのも失礼か、いや、馴れ馴れしすぎると文句を言うべきか。
「レナード、ね、ちょっ……」
「ん?」
肩を抱いて隣に立つレナードが、ジュリアの顔を覗き込む。
――ち、近いっ……!
ガン!ガランガラン……
重そうな金属が床に落ちた音がした。
物音が大きく、ジュリアの背筋がびくりと震えた。
「何、今の音……」
レナードの手を振り払って音のした方を見れば、長剣を金属製の鞘ごと床に落とし、アレックスが呆然とこちらを見ていた。
「アレックス、おはよう。時間なくなったけど、皆で練習……」
「お前ら……」
「?」
アレックスは金色の瞳にうっすら涙を浮かべ、震えながら口をぱくぱくさせている。
「何、してたんだよ!」
「何って、練習?」
先に練習を始めたのが癪に障ったのだろうか。随分と心の狭い……。
「これから練習するところだったよ。ね、ジュリアちゃん?」
「うん」
キッ、とジュリア達を睨む。
「ごめんて。先に練習してて悪かったってば」
「練習?俺が言ってるのはそんなんじゃない!お前ら、今、キスしてただろ!」
ただろ、だろ、ろ……。
三人しかいない広い空間に、アレックスの声がこだました。
「してないよ?」
「うん。したいと思ったことはあったけど」
レナードがさり気なく爆弾発言をし、ジュリアがブーツの踵で足を踏む。
「痛っ」
「余計なこと言わないで!」
「アレックスが来た方からだと、キスしてるように見えたのかな?」
「多分ね」
自分達の立ち位置とアレックスが入ってきた入口の角度を見て、ジュリアは納得した。が、アレックスには説明が通じていなかった。
「何を二人でこそこそと……っ、うっ……」
――泣いてるの!?
父の騎士団長ヴィルソード侯爵は感激屋で涙もろい男である。アレックスも涙もろいのか、気持ちが昂りすぎて泣き出してしまった。
「あ、待って!」
回れ右をして落とした剣を拾い、アレックスは練習場を走って出ていく。ジュリアは全速力で走って彼に追いついた。腕を掴んで立ち止まらせ、進行方向に回り込んだ。
「泣くほどのことじゃないでしょ!キスなんかしてないって、何回言ったら分かるの」
「ジュリアは、レナードがいいのか?俺が、俺がっ……」
「俺がどうしたの?」
「殿下やレイモンドさんみたいに、宝石を渡さないから……」
しょぼん。
アレックスの頭に垂れた耳が見えそうだった。
「そんなことあるわけない」
「家に手紙を書いたんだ。ジュリアにペンダントを贈りたくて。……父上が理解してくれなくても、母上なら分かってくれると……」
「気長に待つから、ね?」
顔を傾けて微笑む。アレックスの顔が赤くなった。
「……ああ」
――やけに素直だな。
背が伸びて大人びているのに、中身がまだまだ子供っぽいアレックスを、ジュリアは堪らなく可愛いと思った。と、同時に、少しからかいたくなった。
「ねえ、どんなのにしたの?ペンダントは」
「お前に似合う色の。制服を着る前は、いつも金の刺繍がある赤い服を着ていただろ。あれ、似合ってたから」
「ふうん……」
自分の髪と瞳の色だと気づいているのだろうか。
「嫌だったか?」
「私の好きな色だから嬉しいよ」
「本当か?よかった!」
ぱあっと笑顔になったアレックスを見て、抱きつきたい衝動に駆られた。ジュリアが頭を下げさせるように首に抱きつくと、アレックスは満足そうに吐息を漏らした。
「子供の頃から大好きな色なの。この、赤と金が!」
髪をくしゃりと撫で、瞳を見つめてようやく、アレックスはジュリアの言わんとしていることに気が付いた。
「赤……あっ!」
赤くなっていた顔がさらに真っ赤になった。くすくすと耳元で笑われ、挑戦的な紫の瞳に見入ってしまう。
「ジュリア……」
「だからね、ペンダントは急がなくていいんだ。アレックスが傍にいてくれれば」
逞しくなった腕で背中をきつく抱きしめられた。熱を帯びた金の瞳が細められる。
――キス、しちゃいそう。
アレックスは顔を傾け、ジュリアの唇を――塞がなかった。
二人の耳にチャイムの音が聞こえたからだ。
「げっ!」
「鳴った!一時間目何だっけ?」
走りながら会話をする。息が切れないのは普段の鍛錬の成果である。
「えっと……あ、アスタシフォン語じゃない?」
「マジか?俺、宿題やってねーよ!」
バイロン先生に叱られる予感をひしひしを感じつつ、絶望の雄叫びを上げるアレックスを連れて、ジュリアは剣技科の教室へと急いだのだった。
頑張れアレックス。




