132 悪役令嬢と昏い瞳の婚約者
毎朝女子寮の前の恒例行事、王太子一行とハーリオン侯爵令嬢四姉妹の挨拶は、その日突如として取りやめになりそうになっていた。
「確認するぞ。本っ当に行かなくていいんだな?」
レイモンドの厳しい視線が注がれているのは、ベッドの中で寝具にぐるぐる巻きになり、登校拒否をしている王太子セドリックだった。朝食に起きて来なかったのを心配して部屋を訪ねたところ、困惑した侍従がレイモンドに泣きついてきたのだ。
「い、行くもんか!」
「ほう。理由もないのに授業をサボるか」
「サボ……ってない!僕は具合が悪いんだ!」
と叫ぶ王太子は、血色も良く声も張りがある。レイモンドには病気の兆候を見つけられない。
「百歩譲って具合が悪いのだとして、病名は何だ。ぐうたら病か?」
「違う!」
「この間風邪を引いた時、マリナが見舞いに来たから、味をしめたんだろう?」
「マリナ……」
カタツムリのようになっていたセドリックの顔色が変わった。レイモンドは僅かな動揺を見逃さなかった。
「何があった。仮病の原因はマリナか」
「ううう……」
「分かりやすいな、お前は」
片眉を下げて、レイモンドは腰に手を当てセドリックに顔を近づける。
「放っておいてよ」
「放っておけるか。引きずってでも連れて行くぞ。……女子寮の前にな」
「悪魔だ」
「悪魔で結構。俺には褒め言葉にしか聞こえないな」
フッと笑うと、一気に寝具を引き剥がした。
「ひいっ」
「今だ!」
レイモンドの声に、待ち構えていた侍従と侍女がベッドに走り寄り、セドリックの服を着替えさせる。
「や、やめ、うわあああ!」
◆◆◆
「レイ様達、遅いねえ」
アリッサが首を傾げる。毎朝リアルモーセを再現する人だかりは、時間が遅くなったせいか徐々に人数が減ってきている。
「……先に行く」
待ちきれずエミリーが歩き出し、人垣が左右に割れていく。
「私も行こうかな。先に行って練習場の場所取りしたいし」
ジュリアが俊足で駆けていくと、残されたマリナとアリッサは顔を見合わせた。
「どうする?マリナちゃん」
「そうね……」
毎朝一緒に登校すると約束していたわけではないが、待たずに行ってしまっては、彼らに悪いような気がする。
「ギリギリまで待ちましょう」
「うん……レイ様は時間を守らないことなんてないのに」
ぼそっと呟いたアリッサの瞳に、歩いてくる四人の影が映る。
「来た!」
全速力でレイモンドに駆け寄り、アリッサは腕に飛びついた。本人は最高速度で走っているつもりだったが、生徒達には軽い駆け足にしか見えなかった。
「お待ちしておりました、レイ様!」
「おはよう、アリッサ。待たせてすまない。……セドリックがご機嫌ナナメで」
「え?」
アメジストを瞳を瞬かせて振り返ると、マリナに向かって歩くセドリックは、牛のようにゆっくりだった。
――牛歩戦術?
いつもの爽やかな笑みはどこにもない。引きつった顔で足の半分程度進んでは立ち止まる。
「どうなさったんですの、殿下は」
「朝からあんな調子だ。あれだけマリナに首ったけだったのに、会いたくないと言ってな。何か痴話喧嘩でもしたのだろう」
「喧嘩?マリナちゃんは何も言ってなかったのに……」
なかなか辿り着きそうにないセドリックに業を煮やし、マリナは自分から歩み寄り、
「おはようございます、セドリック様」
と最上級の令嬢スマイルで挨拶をした。
「……おはよう」
明らかにいつもの彼ではない。
顔からは表情が消えており、マリナの瞳を見ようともしない。
「……?」
具合でも悪いのだろうか。最近、急に寒くなってきたように思う。また風邪を引いたのかもしれない。
「失礼いたしますわね」
セドリックの腕を引き、手首を掴む。脈は幾分速いようだ。次に顔色を見る。セドリックより背が低いマリナは、斜め下から見上げることしかできないが、じっと見ていると頬が赤く染まってきた。手を伸ばして額に触れると、ついにセドリックが声を上げた。
「や、やめてくれ!」
「熱は……なさそうですわね」
「熱?だ、大丈夫だ。風邪ではないから」
「それならよろしいのですけど……心配で」
安堵の微笑を浮かべたマリナに、セドリックは意外そうな顔をした。
「僕のことが心配?……ははっ、嘘ばっかり」
乾いた笑い、そして突き刺すような視線。マリナは彼の心に芽生えた闇に気づいてしまった。
「僕があげたサファイアの髪飾りはどこにあるのかな?」
「!」
――アイリーンに奪われたことをご存知なの?
「……君が捨てた髪飾りを、親切にも僕のところへ届けてくれた生徒がいてね」
「捨てた?捨ててなどおりません!昨日、当家の従僕が騙されて……」
「苦しい言い訳だね、マリナ」
美しい王太子は昏い瞳で自嘲した。
「本当のことですわ」
「僕が迷惑なら、はっきり言ってくれていいんだよ?僕からは何も受け取りたくないと」
「誤解ですわ、セドリック様!」
セドリックとマリナのやり取りを遠目に見ながら、アリッサはいつレイモンドにイヤリングの話をされるかと気が気ではなかった。二人の瞳の色を組み合わせた花の形のイヤリングは、目下のところ盗まれたまま見つかっていないのだ。アイリーンが持っているのか、それとももう、マリナの髪飾りのように処分されてしまったのか。
「……アリッサ、少し尋ねてもいいか」
――ついに来た!
「は、はい……」
婚約者の問いかけに震える声で答え、アリッサは観念して瞳を閉じた。
今日も更新が20時台に間に合いませんでした。反省です。




