126 悪役令嬢は悲痛な叫びを聞く
教室に寄って荷物を取り、マリナとアリッサは生徒会室の前まで来た。ドアを開けようと手をかけた瞬間、
「もう終わりだ!どうしよう!」
と悲痛な声が聞こえてきた。
「今の……」
アリッサがマリナを見つめる。
「……セドリック様よね」
何があったのだろうか。一国の王太子が泣きそうな声で訴えるほど、深刻な問題らしい。
「入るわよ」
「うん」
目で合図しあって二人でドアを開けた。
「キャッ!」
マリナが室内を見渡す前に、アリッサが短く悲鳴を上げた。
「やあ」
そこには頭に木の枝をつけた妖怪、ではなくグランディア王国セドリック王太子が、この世の終わりのような顔をしてレイモンドに縋りついていた。
「まったく。いい迷惑だ。この木の枝は何だ。さっさと捨ててこい」
絶対零度の視線を向けられても、幼い頃から慣れているセドリックは怯まなかった。諦めたレイモンドが頭から鉢巻きと小枝を取り、手に持っていた枝とひとまとめにして部屋の隅へ置いた。
「で?何が終わりなんだ?手短に話してくれ」
セドリックはレイモンドとマリナを交互に見て、少し躊躇っているようだった。
「え、うん。……マリナが僕を捨てて」
「何のことですの?」
「……僕を捨てて、リオネル王子を選んだんだろう?自習室から出てくるところを見てしまったんだっ!」
んだっ、だっ、だっ……。
声が室内に響き、レイモンドはこめかみを押さえた。
セドリックは最後は半ば叫んでいた。サファイアの瞳が大きく見開かれ、大粒の涙がぼたぼたと床に落ちていく。
「……セドリック様?」
――そんなに泣くことかしら?
マリナは内心やれやれと苦笑したが、泣いている王太子の手前、笑いそうになる顔を引き締めた。
「私もジュリアちゃんもエミリーちゃんも一緒だったんですよ?」
アリッサが首を傾げる。
「マリナちゃんと二人きりではなかったんですから、ね?」
「泣くほどのこととは思えないがな。お前は少し、妄想がすぎる」
「う、ううう、うう……」
床に正座をして俯き、セドリックは震えていた。表情を窺うことができず、マリナは屈みこんで彼の手を取った。
「泣かないでくださいませ。私がセドリック様を裏切って、リオネル殿下を選ぶなどありえませんわ」
「ほ、んとう、に?」
しゃくり上げながら鼻水をすする。美男子も形無しである。
「はい」
「約束してくれる?」
「お約束しますわ。リオネル殿下をえら……」
「僕の誕生日は二人きりで過ごそうね」
――ん?
動きを止めたマリナは、次の瞬間、抱きついてきたセドリックの腕に包まれていた。
「約束だよ?朝と昼にバルコニーで挨拶したら、あとは自由なんだ。どこにも行かないで僕の部屋で過ごそう」
途端にセドリックは、饒舌になって上機嫌で予定を話し出した。
「あの……」
腕の力を弱めてほしいと言う隙もなく、華やかな笑顔を向けるセドリックに頬ずりされる。
――生徒会に顔を出さないで帰ればよかったかしら……。
マリナはどっと疲れた。
◆◆◆
「……何だったんだ」
頭痛がするのか、額を押さえたレイモンドは、音もなくアリッサの隣に立った。
「殿下のお誕生日まであと一か月ですよね」
「祝日だから、外出許可を取ればいいだろうな。まあ、マリナはセドリックの妃候補だから、王族に関わる用事なら間違いなく許可されるだろう」
「……マリナちゃん、困ってますよ」
「一言もいいとは言っていないが、セドリックは決定事項だと思い込んでいるようだ。これをまた勘違いだと指摘すれば泣くんじゃないか。リオネル王子が現れてから、随分と不安定になっているんだ。……ところで」
「はい」
「君はどう思っている?リオネル王子を気に入ったのか」
緑色の瞳が眇められる。いつの間にか腕が腰に回され、アリッサは逃げられなくなっていた。
「リオネル殿下は……変わった方、ですね」
「俺は、気に入ったのか、と聞いている」
前世で同じ乙女ゲーム『とわばら』をプレイした同志として、リオネルは貴重な友人である。自分達四姉妹が生き残る方法を考える上で、彼女のアドバイスはありがたい。
だが、友人として気に入ったと言ってしまっていいものだろうか。
「気に入らなかったら、長いことお話をしたりしません」
「そうか」
レイモンドは意外にもあっさりと引き下がった。
「……?」
「リオネル王子は、他国の臣下と既成事実を作った令嬢を、決して妃に迎えないだろうがな」
「き、既成事実……」
――レイ様の視線が痛いわ。
真っ赤になったアリッサは、横を向いて呼吸を整えた。
「君がリオネル王子を選ぶと言うなら、俺にも考えがある」
――考えって、既成事実を作る用意があるってことよね?
再び呼吸が乱れ、アリッサは胸に手を当てた。
はくはくと息をする彼女を見たレイモンドが耳元で
「苦しいなら摩ってやろう」
と囁くと、鼓動が急に速まり、アリッサはぺたりと座り込んでしまったのだった。
◆◆◆
「学院祭の実行委員が決まったと、各クラスから報告が来ていますね」
遅れてやってきたマクシミリアンが、職員室でもらってきた報告用紙を捲りながら話し出した。
「おや。アリッサさん達の妹さんが委員になったんですね」
「剣技科一年はリオネル殿下が委員に?大丈夫でしょうか」
キースが心配する。リオネルの語学力なら、グランディア語も十分理解できているとは思うものの、やはり認識の誤りが生じてしまいそうだ。
「一年生は初めてですし、あまり重要な役割を任せられませんから、殿下には広告塔になっていただきましょう。よろしいですよね、会長?」
「……」
「会長?」
「あ、うん。いいよ」
マリナとの楽しい休日を思い描いて心ここにあらずだったセドリックは、マクシミリアンの言うことには間違いがないと思っているのか適当に返事をした。




