120 悪役令嬢と消える腕輪
「アリッサ様ぁー!」
廊下の向こう、かなり遠い位置から手を振る人影がある。マリナと一緒に教室を移動しようとしていたアリッサは、通り過ぎる生徒達に注目されて面食らった。
「フローラちゃん……」
スカートを翻し、オレンジ色の髪を振り乱しながら、フローラは全速力で二人の傍へ駆けてくる。令嬢の振る舞いとしては完全にアウトである。
「はあ、はあ、はあ……」
呼吸を整え、フローラは二人に挨拶した。取ってつけたようなお嬢様風挨拶である。
「アリ、アリッサ様!わたくし、やりましたわ!」
「慌てなくていいわ。ゆっくり話して頂戴」
マリナがフローラの背中を撫でた。
「学院祭の実行委員、ですわ!わたくし、立候補して委員になりましたのよ」
「二組の委員はフローラちゃんなのね」
「ええ。わたくしとぼんくらな男子が」
「ぼんくらって……」
「あのような男が役に立つとは思えませんけれど、わたくしが二人分働きますわ。アリッサ様やマリナ様のお手伝いができれば」
「ありがとう、フローラちゃん」
アリッサがフローラの手を取り、ぎゅっと握った。
「助かるわ。本番までよろしくね」
「お任せください!……歓迎会の時のように、またあの女がアリッサ様に近づこうとするのでしょうか……。わたくしが近くで目を光らせておりますから、ご安心なさってくださいませね」
あの女と聞いて、アリッサの顔が曇った。マリナは妹の不安を見逃さなかった。
「アイリーンは委員になるかしら。エミリーだけではなく、アリッサも狙われているものね。油断できないわ」
「狙われていると、レイモンド様にはお話しになりましたの?」
「うん……レイ様も何かお考えがあるみたい」
「彼も四六時中アリッサと一緒にいるわけにはいかないでしょうし、準備が始まったら私もできるだけアリッサと行動するようにするわ」
「わたくしはお傍を離れませんわ!わたくしの大切なお友達、アリッサ様に害を及ぼす者は許しません」
鼻息荒く腕を振り上げている。感激したアリッサがフローラの腕にしがみつき、マリナは二人を見て苦笑した。
◆◆◆
二時間目の後の休み時間に、エミリーは魔法科教官室へ向かっていた。次の時間は魔法実技の授業だが、マシューはいつも時間ギリギリに来る。アイリーンのいるところでは話はできない。必然的にこちらから出向くことになる。
「はー」
溜息しか出ない。
マシューの言い訳を聞かず、散々拒否して寮に逃げ帰ったのだ。今さら関係を修復できるものだろうか。そもそも、彼がアイリーンに腕輪を渡した理由が分からない。あの腕輪は、ゲームでヒロインが彼の心を手に入れた証として登場する。アイリーンを毛嫌いしていたのに簡単に腕輪を渡してしまうとは信じがたい。
考え事をしながら歩いていると、あっという間に教官室の前に着いてしまった。
「……仕方ない」
ドアをノックしようと拳を作り、裏側で触れた瞬間、
「……ぅあぁっ!」
エミリーの身体に電流が流れた。立っていられず、その場に頽れた。
――ナニコレ!
アイリーン除けの罠が日々進化しているのだろうか。
しかし、感じた衝撃は嫌ではない。寧ろ、甘く痺れる何かだ。
「……はあ、……はあ」
荒い息を繰り返していると、中から物音がしてドアが開いた。視界に黒いローブの裾が見えた。
「エミリー?」
両手と両膝をついたまま見上げる。マシューは驚いた表情でエミリーを見つめていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫に見える?」
「……いや、うん……」
「またドアに罠をしかけたの?……おかげで酷い目にあった」
ローブの裾を叩いて土埃を払う。ふらついたエミリーをマシューが支えた。
「アイリーンのための罠は張っていない。……お前を捕らえる罠は張ったが」
――え……。
腕を掴まれた状態で、エミリーは表情を硬くした。硬くしても柔らかくても、無表情なのには変わりはない。
「私を?」
「……中に入れ」
マシューはエミリーの腕を掴み、腰を抱きこむようにして室内に入れた。
――強引すぎる。絶対良くない気がする。
導かれるままに奥へ進む。マシューは一人用の肘掛椅子に座り、横に立ち口をつぐんでいたエミリーに、
「ここに座れ」
と指をさして促した。
「ここ?」
「そうだ。ここだ」
「ここって、あなたの膝の上?」
「そうだ」
――何を考えてるんだ、こいつは!
「アイリーンの腕輪の話も聞かないうちに、膝に座ると思う?」
「……分かった」
少し苛立ちが見えるマシューは、椅子の脇に立ったままのエミリーを見つめ、両手を大きな掌で包んだ。親指でエミリーの手の甲を撫でている。
「アイリーンに渡したのは、魔力を抑える腕輪だ」
「私と同じね」
「違う。……魔法の授業には影響がなかっただろう?」
確かに言われてみれば、マシューがいないところで魔法が使えなかったエミリーに比べ、アイリーンの腕輪の自由度は高かった。
「私のより使いやすそうね。……私は実験台?」
拗ねた口調でそっぽを向く。マシューがふっと笑う気配がした。
「あの腕輪には、お前に魔力で干渉できないように、力を封じる効果がある。もちろん、防御も必要だ」
キン。
澄んだ音がして、マシューが撫でていたエミリーの手首に重みが加わった。
「また!」
腕輪をもらったとアイリーンに知られたら、嫌がらせをされるに決まっている。
「やめて。……外して」
「これは俺以外外せない。普段は魔法で形が見えないようになっている」
「見えてる」
「俺がお前に対して魔法を使ったから、腕輪が形を取った。誰かがお前に魔法を使う度、姿を消していた腕輪が現れる」
「消すにはどうするの?黙っていても時間で消える?」
「いや?」
マシューは口の端を上げて、再び、フッと笑った。
――畜生、イラッとくるくらいカッコいいって反則でしょ!
エミリーが内心毒づいていると、マシューは自分の膝を叩いた。
「……ここに座れ」
「嫌」
「何故だ」
「……ど……ドキドキするからっ」
ほんのり赤くなって俯くと、マシューが息を飲んだ。
「消す方法を教えてやる」
長い腕で絡め取られ、膝の上に横向きに座らされてしまう。人づきあいをろくにしてこなかったせいなのか、マシューは他人との距離感が分かっていないのではないかと思う。
「……近すぎ」
「近づかないと消せない」
「?」
エミリーの銀髪にマシューの骨ばった長い指が絡む。後頭部を優しく撫でていたかと思うと、しっかりと抱え込まれた。目の前に黒と赤の瞳が煌めき、鬱陶しい長い黒髪が整った顔に陰を落としている。
「腕輪を消すには、俺の魔力を取りこめばいい……例えば、こうだ」
耳元で低い声で囁かれ、腰砕けになっているエミリーの唇に温かいものが触れた。部屋のドアで感じた甘い痺れが全身に広がり、辺りにシトラスミントの香りが充満した。




