【連載3か月記念】閑話 怪しい薬には裏がある 7
ハーリオン家の紋章がついた馬車に、司書が走り寄って行く。従者のロイドに何事か告げると、彼を伴って館内に入った。
「お嬢様は?どちらに」
「あちらです。声をかけられた者が、医務室へお連れしました」
従者が部屋に入ると、長椅子の上に横たわっていたのはエミリー(アリッサ)だった。
「エミリーお嬢様!……ああ、無理をなさるから」
外出を殆どしないエミリーお嬢様に何かあったら許さないと、侍女のリリーに脅されていた。ついて来なくていいと言われてもついて行くべきだったのだと後悔した。
「中二階から下を見ていた時に、酷い眩暈に襲われたようです。起き上がれるようになるまでここで休まれては?」
エミリー(アリッサ)は顔色が悪い。邸に連れ帰ってゆっくりしたら回復するのではないかと、ロイドはエミリーを抱き上げて馬車へ運び、帰路についた。
◆◆◆
通用口から書架のある空間へ戻ろうとしていたアリッサ(エミリー)は、どう歩いても同じところをぐるぐる回っているのではないかという不安に襲われた。
「……方向音痴、侮れない……」
身体機能がアリッサのままなのだ。空間認知能力が低いのか、廊下が全て同じに見えてくる。そして、ここを行けば戻れるかもしれないという淡い期待を抱いて、脇道に入りこんでいく。
「最悪……」
履きなれないお洒落なヒールで足が限界だ。アリッサ(エミリー)はとうとうその場に座り込んでしまった。誰かが通りかかったら連れていってもらおうと思うものの、薄暗い通路は誰も通らない。両側にあるのは、普段使わないものの倉庫になっている部屋なのだろうか、全体的に埃っぽい匂いがする。
膝を抱えて顔を伏せていると、向こう側からカツカツとブーツのような足音がした。
――誰か来る!
アリッサ(エミリー)にとって、待ち望んだ希望の光だった。
ぱっと顔を上げ、愛らしい唇から
「げ」
と呟いた。
「こんなところにいたのか、アリッサ」
白い王子様スタイルのレイモンドが、アイスブルーの髪を掻き上げ、
「やれやれ本当に世話が焼けるな」
と目を眇めた。
――迷いたくて迷ってるんじゃないわ!
それも、先刻頭突きを食らわしたレイモンドに助けられるのは悔しい。
アリッサ(エミリー)は廊下に座ったまま、膝を抱きしめて彼から視線を背けた。
「……はあ」
仕方ないな、というように肩を竦め、隣に座りこむ。
「……汚れるわよ、服」
「構わん。俺は座りたいところに座る。君の隣に座りたいと思った。だからいいんだ」
――うわ、面倒くさい奴。
眉間に皺を寄せて、表情が彼から見えないように横を向く。
「……アリッサ」
「……」
「君に頭突きをされた後、思った。俺は自分の気持ちを押しつけるばかりで、君の立場になって考えたことがなかったと」
――やっと気づいたの?
「……考えて、どうしたの?」
「君が求めない時には、キスをしない」
「いい心がけね」
改心したらしいレイモンドに視線を向け、アリッサ(エミリー)は呟いた。
「だから……」
緑色の瞳が熱を帯びて煌めいた。
「……ん?」
「君から言って欲しい。……キスがしたいと」
「はあ?」
「館内で迷っていた君を俺が発見した。恋人に見つけてもらったら、普通は甘い空気が漂うものだろう?」
「……何それ、恩着せがましい」
「恩着せ……?」
「助けてやったからキスしろとでも?」
「そうは言っていない」
「同じでしょう?」
こんな奴のどこがいいのか、エミリーは全く理解ができなかった。アリッサの好みは分からないし、ジュリアに至ってはもっと理解できない。
――魔法薬なんて飲むんじゃなかった。
レイモンドから離れたい。その一心で立ち上がったアリッサ(エミリー)は、目の前の風景が霞んでいくのに気付いた。。
「……っ!」
――立ち眩み?
普段運動をしないエミリーは、邸の中でも立ち眩みがすることがある。慣れているはずなのに、今日はやけに重い。立っていられない。
「アリッサ!?しっかりしろ!」
抱きかかえたレイモンドの腕から逃れようと身を捩ったが、離れられないままに意識が遠のいた。
◆◆◆
「ん……うう……」
ジュリアが目を開けると、少し喉仏の出たセクシーな首筋と顎のラインが見えた。
――赤い髪……あ、アレックスか。
「目が覚めたか、ジュリアン」
こちらを見た彼と思い切り目が合った。ということは、この状況は?
「うん」
「お前が具合悪いんなら、今日の練習はやめにするか?」
――私の頭が乗っているのは、もしかして?
手を頭の脇に動かした。アレックスが「ひっ」と声を上げる。
「馬鹿。んなとこ触んな!」
「ごめん」
――どこ触ったんだ?ま、いっか。
腹筋を使って起き上がると、アレックスは赤くなって、椅子の上で膝を抱えた。
「……体調はいいのか?」
「うん。全然平気」
魔法薬の効果が切れた後、副作用が出るかと思ったが何もなさそうだ。ジュリアは腕をぶんぶんと振ってみた。身体もおかしいところはない。
「……ジュリアン」
「ん?」
「さっきはゴメンな。お前が寝てる間、俺、これでも考えたんだ」
――何か謝られることをしたんだな。
後でマリナに聞いとこう、とジュリアは気にも留めない。
「男に触られるのが嫌な奴もいるって、騎士団の皆から聞いたことはあったんだ。顔が綺麗な奴は、前に触られて嫌な思いをしたことがあったりして、特に怯えてるってさ」
「ふうん」
「ジュリアンも、嫌な目にあったのか?身体を触られるのが嫌になるような、その……」
「別に?」
ジュリアはアレックスが何を言おうとしているのか、ピンと来ないまま相槌を打つ。
「お前が誰かにそんな目にあわされたなら、俺、そいつが許せない!」
「許さない?」
――何のことだろう?
「俺はお前が大事なんだ。大事な親友にそんな……」
「アレックス!」
「うわっ!」
首に抱きついたジュリアの重みで、アレックスが少しだけ反り返る。
「嬉しい!俺のこと、親友だって言ってくれて」
「ああ……うん……」
耳元で話すと、アレックスはくすぐったそうにしている。
「いいのか?……俺が触っても」
金色の瞳が揺れる。
おずおずとジュリアの背中に腕が回される。完全に抱き合っている状態になった時、遠くから石畳を歩く音が聞こえた。
2018.1.27 誤記修正




