【連載3か月記念】閑話 怪しい薬には裏がある 6
グエエエエエエッ!
けたたましく叫びながら黒グリフォンが高速で滑空してくる。
騎士志望者の端くれとして、ついセドリック王太子をかばってしまったマリナ(ジュリア)は、芝生の上に彼を押し倒すような姿勢で守った。
……守った、と言えば聞こえはいいが、実際は何もなかったのである。
黒グリフォンはセドリックを狙っていたのではなく、マリナ(ジュリア)が大口を開けて食べていたケーキを食べに下りてきたのだった。縁に花模様の刺繍がある白いテーブルクロスがかけられたガーデンテーブルが揺れる勢いで降り立ち、皿をガチャガチャ言わせてケーキを突いた後、黒い嘴をクリームでべたべたにして飛び立っていった。
――甘党?
一部始終を見て呆気にとられていたマリナ(ジュリア)の下で、セドリックが苦しそうに声を上げた。
「……っ、マリナ……」
はっ!
「王太子殿下、申し訳ありません!重かったでしょ?」
「い、いや、重くはなかったよ?」
――殿下、真っ赤になってる。やっぱり重かったんだな。
「本当に?」
「本当だよ」
「なら、よかったです」
マリナ(ジュリア)は口を開けてにっこり笑う。王太子が「む、胸が、顔に……」と呟いていたが、ケーキの惨状を目の前にしたマリナ(ジュリア)には聞こえなかった。
「あーあ、これじゃ食べられませんねー」
「……コホン。マリナ、今日は君に、温室を見せたいな」
――おんしつ?あ、花を育てているのか。参ったな……。
マリナ(ジュリア)は植物の名前が分からない。常日頃植物図鑑を眺めて、植物好きのハロルドとも対等に話ができるマリナなら訳もないだろうが、自分は桜とひまわりとチューリップくらいしか知らない。こちらの世界の植物は日本と同じ名前のものと、そうでないものがあるようで、頭が混乱して全く覚えられなかったのだ。
「行こう」
さり気なく手を引かれて、マリナ(ジュリア)はガラス張りの温室に足を踏み入れた。
色とりどりの熱帯の植物を育てている小部屋は、天井から入ってくる日差しで蒸し暑い。暑くて眩暈がしてきた。
「……あっちで休んでいいですか?」
マリナ(ジュリア)がふらふらとベンチに座る。気遣うそぶりを見せてセドリックが腰に手を回してきた。
――ちょっと、くっつきすぎじゃない?
離れたいが、眩暈が収まらずに立ち上がれない。
「大丈夫?マリナ。熱はない?」
マリナ(ジュリア)の額にかかる切り揃えられた前髪を分けて、セドリックは自分の額を当てた。
「……うん。平熱みたいだね」
――で、殿下、そこは手でよくないですか?
言いたいことを言う元気も出ない。眩暈もあるが、眠い、猛烈に眠い。ひとりでに瞼が下りてくる。
「ふふ。眠いのかい?僕に凭れかかっていいよ」
――では、遠慮なく。
考えるのを放棄したマリナ(ジュリア)は、隣に座るセドリックの肩に頭を乗せた。
「……おやすみ、マリナ」
微睡みの中でセドリックの声がし、額に柔らかいものが触れた。
◆◆◆
「はあ、はあ、はあ……」
アリッサの身体は普段運動をしていないせいか、走るとすぐに息が切れた。エミリーも運動はしていないが、魔法を使うので体力はあると思う。
「何なの、身体能力低すぎ!」
しかも、どうやらアリッサの方向音痴は身体に染み付いているもののようだ。アリッサ(エミリー)は初めて来た図書館の知らない通路を抜けた先の、通用口に出てしまった。
「建物の外周を回れば、馬車には行ける?」
通用口から外を窺うと、二人の人物が話をしているのが見えた。
「どうしてあの薬を売ったんだ!あれは試作品だぞ」
「売った代金は渡しただろう?お前が高価な魔法書が欲しいと言っていたから、あれも売っていいものだとばかり……」
「兄さんと二人で試してから、量産しようと思っていたんだ」
「……悪かった、謝るよ。次からはお前に聞いて売りに行くよ」
こちら向きに立って謝っている男を見たことがある。
――コーノック先生?どうしてここに?
宮廷魔導士の装束を着た先生は、仕事を抜け出してきたようだ。休み時間が終わるから戻ると言って走って行った。
二人の会話から、もう一人の男が何かの薬を作って、コーノック先生が店に売ったらしい。魔法薬作りは金になると聞いた。高価な魔法書が買えるくらい珍しい薬だったのだろう。
「……作り直しだな」
男が呟いたのを聞き、アリッサ(エミリー)は扉を閉めて身を隠した。こちらに来る。
コーノック先生が悪事に加担しているとは考えにくいが、聞かれてまずい話だったらどうしよう。
――通用口から出るのは諦めるか。
アリッサ(エミリー)は、姉好みのふわふわしたスカートを持ち上げ、今来た通路を駆け戻って行った。
◆◆◆
「どこ行っちゃったの、私……」
他人が聞いたら頭がおかしいと思われそうなセリフを吐きながら、エミリー(アリッサ)は館内をうろうろと歩いていた。エミリーの身体は、中二階や中三階がある複雑な造りの建物でも迷うことなく歩いていける。一方、方向音痴のままであろう自分の身体で、エミリーは苦戦しているだろう。
「見つけないと、一生ここから出られないかも……」
流石に大袈裟だ。だが、誤って人通りの少ない通路や小部屋に入ってしまったら、誰にも見つからずに数日過ごす可能性もある。
中二階から下を見る。司書達がせわしなく行き来しているのが見える。
「いない……」
と、突然、眩暈に襲われた。
色彩豊かな天井画が描かれた高い天井が、視界に飛び込んできて歪み始める。
「あ……」
――時間切れ、なの?
エミリー(アリッサ)は力を振り絞って、近くにいた職員に縋りついた。
「ハーリオン家の、……従者を呼んでください……はや、く……」
彼が驚いて助け起こすより早く、エミリー(アリッサ)の意識が途切れた。




