【連載3か月記念】閑話 怪しい薬には裏がある 4
一頻り剣の稽古を終え、アレックスが休憩しようと言い出した。
ジュリア(マリナ)は自分の動きに満足していた。剣の使い方は定かでないが、ジュリアの身体は敏捷性も体力も十分で、まるでマンガのように軽やかに技が繰り出せる。
「今日のお前、めちゃくちゃだけど、すごかったな」
語彙を知らないアレックスが精一杯に褒めてくる。
「そうか?」
「俺も久しぶりに気合が入ったっつーか」
椅子の脇に鞘に入れて剣を置き、アレックスはシャツのボタンを外して胸をはだけ、
「あちー」
と手で仰いだ。
少年ではあるが、幾分鍛えられた胸筋と完璧に八つに割れた腹筋が目に入る。
――きゃっ!
マリナは一度目を背け、何事もなかったかのように視線を戻し……つい凝視してしまった。
「どうした?俺の腹筋が羨ましいのか?」
「は?何でそうなるんだよ!」
――ガン見していたのがバレた!?
筋トレの話になるのだろうか。詳しいところは分からないから勘弁してほしい。
「ジュリアンはいつまでも細いからなあ。少しは筋トレしろよ」
――予想通りだわ。
「俺はいいんだよ。筋トレしない方が、身体が軽く……ちょっ」
アレックスがジュリア(マリナ)の隣に座り、押し倒して赤いベストを捲り、ワイシャツの下に手を潜らせようとする。
「全然腹筋ついてねーじゃん」
「やめろ、触るな!」
ジュリア(マリナ)は真っ赤になってアレックスの手を退けようとする。胸に巻いた布を見られでもしたら大変だ。
「や、あっ……」
くすぐったくて変な声が出てしまい、ジュリア(マリナ)はしまったと思った。アレックスの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「ジュリアン……?」
金色の瞳が戸惑いに揺れた。
◆◆◆
「僕は君だけを愛するよ、マリナ」
天使のような美少年、セドリック王太子は目の前の令嬢に向かって愛の告白を続けていた。
肝心の令嬢はと言えば、紅茶をすすりながら、三つ目のケーキにフォークを刺しているところである。口の周りにはクリームがついており、もごもごと口を動かしては
「ほーれふか(そうですか)」
どうでもよさそうに相槌を打っている。
自分の世界に酔っている王太子は、マリナがおかしいことに気づいていないのか、
「初めて君を見た日から、君のことばかり考えているよ」
とマリナ(ジュリア)を見つめた。
「そんなにケーキが好きなの?」
口がケーキでいっぱいになっているマリナ(ジュリア)は、激しく首を縦に振る。
「そう……それなら、王宮に住まない?毎日ケーキが食べられるよ?」
――ケーキ食べ放題?いい!
とは思うものの、自分はマリナの姿だった。マリナだけがケーキ食べ放題になるらしい。
「ジュリアやアレックスが来た時も、ケーキがいっぱいあると嬉しいです」
「分かった。皆で分け合いたいんだね」
できれば自分が一人占めしたいな、と思ったジュリアの頭上に黒い影が現れた。
パッと跳ね返ったように顔を上げる。
「黒グリフォンか?」
「お逃げください、危険です!」
侍従の声が聞こえた。マリナ(ジュリア)は即座に椅子から立ち上がり、セドリックの腕を引っ張った。
「逃げよう!殿下!」
「え、ああ……」
空を見上げていたセドリックは、動き出すのが少し遅れた。芝生と敷石の境で足がもつれて転んでしまう。
走り始めた二人の上に黒い影が近づく。
――間に合わない!
マリナ(ジュリア)はセドリックの上に覆いかぶさった。
◆◆◆
「『君の唇は、どうして甘いのだろうね』」
アリッサ(エミリー)は引きつった顔で、甘い囁きを読み上げるレイモンドを見つめていた。
――さっきから鳥肌が立ちっぱなしなんですけど?
姉はこの遊びに付き合っているのだろうが、自分はそろそろ限界だ。物語の内容に合わせて、隙あらばキスしてこようとするのも耐えられない。
どうにかして帰る方法はないものだろうか。
「あの」
「どうした?」
恥ずかしすぎてアリッサのように『レイ様』とは呼びかけられない。声をかけても名前は呼べない。
「お腹が痛いので、帰っていいですか」
仮病で早退する生徒が先生に申し出るようだと、アリッサ(エミリー)は思う。
「悪いものでも食べた……わけではないだろうし」
「お腹を冷やしたんだと思う」
「そうか。では、温かくなるようにさすってやろう」
――は?
レイモンドの手がアリッサ(エミリー)の腹部に伸びてくる。明るい黄緑色のドレスは、あまり布地が厚くない。
「お断りします」
「遠慮するな」
「遠慮してません」
――どういう神経してるのよ、このムッツリスケベ!
手を思い切りつねってやると、レイモンドは目を細めて小さく笑う。
「抗われるのも堪らないな」
「……変態」
「ほう。俺にそんな口を利くとは、いい度胸だ」
愉しそうなレイモンドの口調に、火に油を注いでしまったとアリッサ(エミリー)は後悔した。




