109 悪役令嬢は揚げパンの夢を見る
ザワザワザワ……。
学院長に連れられて壇上の椅子に座ったアスタシフォン王国第四王子、リオネル・ハガーディ・アスタス殿下の姿に、講堂に集まっていた生徒達がざわめいた。肩までの長さに切りそろえられた明るい茶色の髪、ぱっちりとした緑の瞳、少女のようにかわいらしい風貌に男女問わず釘付けになった。
ジュリアの隣に座っている剣技科一年の生徒達も、口々に感想を述べている。
「おい、あれで剣技科に?」
「かなり小柄だけど大丈夫か?」
「本気だせねえよ、なあ?」
「うっかりやっつけたら国際問題だろ」
動揺する彼らの様子に、レナードが先ほどから苦笑している。
「どうしたの、レナード」
「面白いなあと思って」
「面白い?どこが?ほら、アレックスを見てよ」
ジュリアを挟んでレナードと反対側に着席しているアレックスは、いよいよ王子の世話係としての日々が始まると意気込んだ挙句、緊張しすぎて真っ青になっていた。
「さっき、吐きそうだって言ってたけど、大丈夫?」
「……ああ。問題ない。これくらいで動揺してたまるか」
「だよねえ。王子様があんなに可愛い、女の子みたいじゃね」
レナードがにやにやしてアレックスを見る。
「アレックスは女の子が苦手だもんね。ってか、可愛い系全般的にダメだよね」
「何しゃべったらいいかわかんねーし、怪我させちまいそうで力加減がわかんねーし……王子だから、女じゃないだろ。大丈夫、大丈夫だ……」
自分に言い聞かせるように呟いている。力加減が分からない相手に自分は含まれていないのだなとジュリアは思った。
一方、普通科や魔法科の女子生徒は、王子のお付きで留学した二人に注目していた。
「ねえ、あれ、ご覧になりまして?」
「流石王子殿下の近習ですわね。素敵」
「水色の髪の方は、普通科の二年生に在籍されるそうですわよ」
どこにでも情報通の生徒がいる。王子の両側に座っている騎士風の爽やか青年と天才肌の雰囲気を漂わせている少年が何者なのか、学院長から紹介される前に憶測が飛び交う。
開始時刻になり、講堂内のベルが鳴った。
噂話をしていた生徒達が一斉に黙り、アスタシフォン王国留学生の歓迎会が始まった。
◆◆◆
舞台の端に立ち、ハロルドが王子と近習二人の名前を紹介する。
「リオネル・ハガーディ・アスタス殿下」
「よろしく」
リオネルは可愛らしい容姿に似合わない横柄な態度で会場を見回し、最後にマリナに目を留めてから不敵な笑みを浮かべた。マリナが、ギリ、という音に隣に立つハロルドを見ると、作り笑顔で思い切り歯を噛みしめているようだった。
――お、お兄様、怖い……。
「ノア……殿」
ハロルドが家名を読めなかったのかと会場が一瞬ざわめく。ノアと呼ばれた騎士風の青年は、よく日焼けした肌に少し癖のある黒髪と陰のある瞳が印象的な美丈夫だ。百人の乙女がいたら九十五人が蕩けるであろう笑みを浮かべ、会場に向かい自己紹介をした。
「ノアと申します。訳あって家名は申し上げられません」
ザワザワ……。
ざわめいて当然だとマリナは思う。他国に留学するくらいの近習の騎士が、家名がないはずがない。明かせない理由を学院長以外は知らないのだ。不安になってしまう。
「よろしくお願いいたします」
ノアは深々と頭を下げた。
「ルーファス・ハガーディ・エルノー殿」
一部の生徒が再びざわめいた。王子と同じミドルネームを持つ彼は、アスタシフォン王国の慣習によれば、同じ名を持つ王族が死亡した時、冥途の案内人を務めることになっているのだ。案内人と言えば多少は聞こえがいいが、有体に言えば王子が死ねば後を追わされるということだ。生徒の中には野蛮な風習だと眉を顰める者もいた。
ルーファスは会場のざわめきをものともせず立ち上がり、伏し目がちな青い瞳を瞬かせ、
「言いたいことがあるんなら、直接言えよ。……よろしく」
と不機嫌そうに呟いた。彼がアイスブルーの髪を揺らして椅子に戻ると、続いて学院長が三人の所属するクラスを発表した。リオネル王子は剣技科一年、ノアは普通科三年一組、ルーファスは普通科二年一組に入ると。
「嘘だろ?あの騎士っぽい奴、剣技科じゃないのか?」
アレックスが通常の音量で話しかけてくる。ジュリアは口に人差し指を当て、しーっと囁く。
「ガタイがいいからって剣技科とは限らないよ。三年一組なら、レイモンドや兄様と一緒だもん、何かと安心でしょうよ」
「もう一人もセドリック殿下と一緒だもんな。そんなもんか」
何がそんなもんなのかジュリアには分からないが、アレックスは合点がいったらしい。
――こんなイベントなかったはずなのになあ……。
舞台の上で歓迎の言葉を述べるセドリックを見つめながら、ジュリアは前世の記憶をたどっていた。
◆◆◆
続いて、マリナが司会を担当する部分になった。
リオネル王子との対談形式でアスタシフォンの文化を紹介しながら、最後にアリッサのピアノ演奏の前ふりをするという流れになっている。
「アスタシフォン王国は、地域によって民族が異なり、食文化も違うと聞いております。東部では比較的辛いものが好まれ、南部では麺類を中心とした小麦を使う料理が多いそうですね。リオネル殿下のお好きな食べ物は何でしょうか。お伺いしたいと思います」
リオネルは事前にレイモンドが打ち合わせた内容で答えることになっている。これからのやり取りは全て事前に原稿が用意されているのだ。
――小麦を練って焼いたものを揚げて砂糖をまぶした……これって『揚げパン』よね?
「うーん。私は甘いものに目がなくて」
緑の瞳をキラキラさせて、リオネルはマリナを見ている。
「例えば、どのようなものをお好みでしょう?」
マリナの補助として隣に座っているハロルドが次を促す。
「ねえ、マリナ嬢。セドリック様はお好きみたいだけど……君の唇は甘いのかな?」
ピシ。
会場の空気が固まった。
――何を言い出すの、この人は!!!
セクハラ発言と言ってもいい。相手が王子でなかったら、椅子ごと蹴とばしているところだ。そもそも、リオネル王子と初対面で、セドリックがキスしてきたことが原因なのだが。
『ご冗談が過ぎますよ、リオネル殿下?』
青緑の瞳が王子を威嚇するように光り、全く笑っていないハロルドがアスタシフォン語で返したものの、マリナは次の質問を続けられそうになかった。




