106 悪役令嬢と二股男
「マリナお嬢様、髪飾りはいかがいたしましょう」
アビーは宝石箱を開き、色の合う髪飾りをいくつか見繕って提案する。
「お嬢様方のお部屋から持ってまいりましたので、アリッサ様やエミリー様のものも……」
エミリーは髪飾りをつけないので、髪飾り用の宝石箱はマリナとアリッサのもので占められている。セドリックからもらったサファイアの髪飾りを手にして、マリナは目を伏せた。
「そちらになさいますか?……華やかな意匠で、石の色がドレスの色に合いますね」
「……これにして頂戴」
「かしこまりました」
お洒落に疎く、恋愛に鈍感なジュリアにも、ドレスの色がハロルドの瞳の色だと気づかれてしまった。おそらく、セドリックも気づいてしまうだろう。髪飾りだけでも彼のものを身に付けなければ……。
――身に付け、『なければ』?
マリナは自分の内に芽生えた疑問に蓋をして、背筋を伸ばして居住まいを正した。
ドアがノックされ、外から声がかかる。
「用意はできましたか?マリナ」
ハロルド優しく艶っぽい声がする。上機嫌の彼は、いつもの陰のある様子とは異なり、堂々と明るい話し方だった。司会者としてはこの方がいいのだろう。
「今、参りますわ」
こちらがドアを開けるより先に、外側にドアが開かれた。
「……よく似合いますよ」
青緑色の瞳を細めて、ハロルドが溜息をついた。
貴公子の正装をした彼は、贔屓目に見なくても完璧だった。光沢のある白地に銀糸で細かな刺繍を施した膝丈の上着は、細身の彼をさらにすらりと見せている。膝下までの半ズボンは濃い紫色で、襟元のクラヴァットを留める大粒のアメジストと合わせていた。
明らかに自分の色を纏った義兄に、マリナは何も言えなかった。
「まあ、ハロルド様!素敵ですわ!」
後ろで絶賛するアビーの声を聞き、はっと我に返る。
――私、見とれてた?
「ありがとう、アビー」
美しい微笑を浮かべたハロルドは、ぼんやりしていたマリナの手を取り
「行きましょう。お姫様」
と声を弾ませた。
◆◆◆
廊下を少し進んだ先で、フローラに連れられた涙目のアリッサを見つけ、マリナは声をかけた。
「どうしたの?ドレスに着替えないと間に合わないわよ」
「マリナちゃん……」
「アリッサ様、マリナ様もこうおっしゃっていることですし、ここは諦めて……」
「嫌よ、あれがないと……」
何かがないらしいとマリナは思い、アリッサに近づいて耳元で尋ねた。
「……イヤリングがないの?」
「うん……宝石箱にもないし、鍵のかかる引き出しにもなくて。レイ様に、イヤリングをつけて舞台に上がってほしいって言われたのに……」
レイモンドも厄介な注文をしたものだとマリナは思った。彼の言うことに盲目的に従ってしまうアリッサは、イヤリングを見つけないでは支度もできないだろう。
「後で落ち着いて探しましょう?今日は他の物を代わりに使って」
「うっ、ううう……」
「ね?泣いたら目が腫れてしまうわ。舞台に上がるのにそんな顔をしていたら恥ずかしいわよ」
マリナは持っていたハンカチで妹の目元を拭い更衣室へ向かわせた。
「フローラさん、アリッサをお願いいたしますわね」
「はいっ!お任せくださいっ!」
ぐずぐずしているアリッサの背中をぐいぐいと押し、フローラが更衣室へ入ったのを見届けて、マリナは再びハロルドの手を取った。
◆◆◆
「ハーリオンさん、コーノック先生が職員室まで来るようにって」
クラスの女子生徒が恐る恐るエミリーに声をかけた。横を向いて机に頭を乗せたまま、エミリーは無表情で黙っている。
「あの……聞こえた?」
「……行かない」
えっ、と女子生徒は驚き、それでは自分が伝えなかったことになるからと困っている。見かねたキースが彼女に礼を言い、眉を下げてエミリーを見つめた。
「何を不貞腐れているんです」
「不貞腐れてない。だるいだけ」
「先生のところに行かなくていいんですか?彼女が可哀想ですよ」
「だったらキースが代わりに行ってきて」
「お断りします。僕、コーノック先生は苦手なんです」
こういう時だけ苦手にするのはずるいと思う。エミリーは顔を顰めたが、誰も気づいていないようだ。
「……」
エミリーは何も言わずに机から起き上がり、教室の窓へと歩き出す。
「エミリーさん?何を……」
キースが見ている前で窓を開け、二言三言呟いて風に乗せた。
「……これでいい」
――魔王だろうが何だろうが、知るか!
黒いローブをばさりと翻し、エミリーはまた自分の机に戻ると、顔を伏せた。
◆◆◆
数秒の後、開け放たれた廊下の窓を通り、職員室のドアから風が流れ込んでくる。
魔法科教師は全員、魔力の気配を感じ取り、顔を上げた。
「風魔法……」
「誰が」
口々に呟く中で、マシューだけはエミリーの魔力の感触を肌で感じ取り、うっとりと吐息を漏らした。が、すぐに耳元で、彼にだけ分かる音量でエミリーの声がした。
『……二股男は、最低。顔も見たくない』
職員室に呼んだのは、朝の一件を弁明するためではなかったが、彼女はマシューの顔も見たくないのだ。俯いて震えていると、背後からメーガン先生が様子を覗った。
「どうしたの?具合でも悪いの?」
世話好きのおばちゃん先生は、若い一人暮らしのマシューを息子のように思い、何かと気遣ってくれる。風魔法を感じた後に、絶望したように俯いた彼が気になったのだ。
「いえ……何でもありません」
「もしかして、今の魔法が?」
マシューは何も答えない。
「私達には何も聞こえませんでしたが、伝令魔法でしたかね」
「コーノック先生にだけ聞こえるように絞るとなると、かなりの腕前ですな」
「私も若い頃は秘密の伝言を送ったものですよ。まあ、失敗して皆に聞こえましたがね」
「はっはっは。そりゃはずかしいな」
魔法科の中年男性教師達が楽しそうに恋の失敗談を話していたが、マシューには何も聞こえなかった。




