105 悪役令嬢と退屈な教師
アスタシフォンの王子が侯爵令嬢を妃にしようとしていると聞き、さらに王子が剣技科に留学してくると知り、ジュリアはずっと気になっていた。王家に嫁ぐマリナ、宰相を務める筆頭公爵家に嫁ぐアリッサ、強大な力を持つ五属性魔導士のエミリーより、自分は扱いやすい駒なのではないかと。アレックスとは恋人同士ではあるが、婚約しているのかどうかも定かではないし、王子が剣に興味を示しているならジュリアとも話が合うだろう。アスタシフォン語は全く理解できないと言っていいが、自分が嫁がされる可能性は大きい。
アレックスの思いつきではあったが、留学生が帰るまで男として生活すれば、絶対に妃に選ばれないだろう。姉妹には悪いが、王子の花嫁候補から外れてしまいたい。
「失礼します……」
ジュリアは職員室のドアを開け、中を覗きこんだ。
モデル系美女のフィービー先生を探す。
――よかった、いた。
浅葱色の髪を背中に流し、椅子の背もたれに身体を預けて脚を組み、アンニュイな雰囲気を漂わせている。ジュリアに気づくと、手に持っていた小さめの本を机に投げ出し、濃紺色の瞳を輝かせて前のめりになった。
「ジュリアさん、待っていたわよ」
「おっと……」
先生は余程退屈していたのだ。もっと早く来ればよかったかなとジュリアは思った。
「遅くなってすみません」
「いいの。……ふふ、だって、これからもっと楽しいことが……」
「楽しい?」
「ううん。こっちの話よ」
フィービー先生の小さな顔がとびきりの笑顔になる。授業中はクールな印象の先生が、こんなに笑うなんて。
「制服を貸してくださるって、アレックスに聞いて」
「用意してあるわ。これでどうかしら」
机の隅に置いてあった紙袋から男子の冬服を取り出す。ジュリアに背中を向かせてブレザーを当ててみる。
「そうねえ、少し肩幅が余るかしら」
「私は女子の中では肩幅がある方なんですが、男子用ですもんね」
「どうにかなるでしょ。それから、これ」
スラックスを当ててみる。長さはよさそうだがウエストは詰めなければいけない。
「ベルトで調節します」
「それがいいわね。……うん。カッコよく着こなせそうね」
ジュリアが紙袋に制服を詰めていると、フィービー先生は再びにこにこしてこちらを見ていた。
「寮のことなんだけど……」
寮の監督者は、男子寮と女子寮それぞれ数名の教師が毎月当番制で受け持っており、アレックスの話によれば、今月は男子寮の担当がフィービー先生なのだという。つまり、先生の許可があれば、男子生徒のふりをして生活できるかもしれない。
「……無理ですよね。いろいろきまりがあるって」
「男子は女子寮に入れない、女子も男子寮に入れない、ってきまりよね」
「はい」
「あれね、根拠がないみたいなのよ」
「へ?」
ぽかんと口を開けたジュリアの肩をぽんぽんと叩き、先生はくすくすと笑った。
「間違いが起きないように、って生徒会で自主的に作ったものみたいで、特に明文化された規則ではないの。生徒達は先輩から聞いて、そういうものだと思っているし、寮の職員も大多数がそう思っているけれどね」
「じゃあ……」
「ジュリアさんを一時的に男子寮に入寮させられるのよ。男子生徒としてね」
「本当ですか!」
姉妹の部屋は特別に四人が一緒だが、基本的には寮は個室である。王子に女とバレる心配はない。クラスメイトにはレナードとアレックスが散々釘を刺しておくと言っていたし、ジェレミーが『あいつは女なんだぜ』などと王子に告げ口したところで、女っぽい同級生をからかっているだけのように思わせれば何とかなる。
「ええ。でもね、少し問題があって」
「使用人のことなら、父に連絡して……」
「違うわ。部屋がないのよ」
――え?
「寮の部屋が学年で階が別れているのは、男子も同じよ。家柄が良い三年生から順に部屋を決めていき、一年生は残った部屋になるの。場合によっては相部屋にね」
筆頭公爵家のレイモンドと、筆頭侯爵家のハロルドが隣室なのは聞いていた。二人は一年生の時から個室をもらっていたはずだ。
「侯爵家は個室だから、誰かに部屋を明けさせないと、ってことですか?」
「今年の一年生は男子が多くてね、個室を使っている生徒はほんの少ししかいないわ」
「では、兄のハロルドの部屋に……」
義兄はマリナ一筋である。血がつながらない兄妹でも、自分とは間違いが起こるわけがない。知らない生徒と同室になるより安全だ。
「私も考えたのよ。でもね、ハロルド君の部屋にベッドを増やすと、彼が歩きにくいのではないかしら」
「……確かに……危ないですね」
「侯爵家が使う部屋は決して狭くはないのよ。バスタブがある浴室もついているし、お風呂上がりの格好を見られて、女の子って気づかれることもないわ」
――お兄様に湯上りの服装を見られるのか。微妙……。
「ジュリアさんがよければ、なんだけど……」
「はい」
「アレックス君と同室になってみない?」
「はい……って、ええっ!?」
ジュリアの叫び声に他の教師が一斉に注目した。
「連れてきた使用人も、ジュリアさんのことをよく知っているから、大丈夫だって聞いたわ」
侍女のエレノアとは仲良くしてきたつもりはある。しかし……。
「アレックスは乗り気なんですか?」
「そうよ。私が提案したら、『ジュリアを守れるのは俺しかいない』って使命感に燃えていたわ。自分から『俺の部屋に来い』って言うのは恥ずかしいから、私から言ってもらえないかって」
――何だって!?
「……そう、ですね……他に方法がないかも」
「男装を諦めてもいいのよ?私としては、男装してほしいけど。……学院でこんな面白いこと、なかなかないもの」
◆◆◆
ジュリアは渡された紙袋を手に、とぼとぼと更衣室へ向かった。
――アレックスと、同室に……。
それがいいことなのか悪いことなのか、まだ自分の中で答えが出せない。今ならまだやめられる。
ノックをして更衣室に入ると、目の前に美しい光沢がある青緑のドレスが飛び込んできた。
「……マリナ!?」
「あら、ジュリア。あなたも着替えるの?」
「って、そのドレスどうしたの?リリーは休みでしょ?」
マリナから視線をずらすと、アビーが大きな背中を丸めて裾を整えているところだった。
「アビー……お兄様のお支度はいいの?」
「はい。息子がお手伝いしております。ご心配なく」
「ジュリアはドレスに着替えなくていいのよ?」
「あ……うん。それなんだけど、男子の服に着替えようかな……って」
留学生がいる間だけの作戦を打ち明けると、マリナは
「嘘でしょ……」
と呟いて頭を抱えた。




