94 悪役令嬢は異国の響きに翻弄される
荒々しくドアがノックされ、返事を待たずにフローラがオレンジの髪を振り乱して、生徒会室へと入ってきた。
「信じられませんわ!」
そばかすのある頬が紅潮し、緑色の瞳が怒りのために潤んでいる。
「どうしたの?フローラちゃん」
「どうしたもこうしたも……あの、シェリンズさんて、どういうおつもりですの」
「シェリンズか……」
レイモンドが目を眇めた。
「作業を始めてすぐは、ぶつぶつ言いながらも働いていたのですけれど、先輩と何やらお話ししてから、急に講堂を出ていってしまわれたのですわ」
「先輩?マックスのことかな」
「はい。集まった生徒有志の皆様に、マクシミリアン様が作業分担をなさって……」
「フローラちゃんは、作業をしなくていいの?」
「シェリンズさんがこちらに来ているのではないか、とマクシミリアン様が仰って、様子を見に参りましたの」
――マックス先輩は、アイリーンが生徒会室に来ると予想したの?
生徒会室にセドリックとレイモンドがいると知り、彼らと接触しようとすると読んだのだ。つまり、マクシミリアンはアイリーンの目的を知っているのだ。
「こちらには来ていないが」
「そのようですわね。いなくなる前にアリッサ様のお名前を呟いていたそうですから、てっきり何かあるかと思いましたのに」
「アリッサの名を?」
きつく問い詰めるようなレイモンドの口調にも、フローラは臆することなく話し続ける。
「はい。マクシミリアン様とのお話の中で、アリッサ様の話題が出たのでしょうね。『許せない』と言っていたとか」
「……怖い……」
涙が自然に溜まってきて、ペンを持つ手が震えてくる。肩に温かい感触がして、大きな手が涙を拭った。
「大丈夫だ。……君はここから動かないほうがいいな。俺の傍から離れるな」
「はい」
「ここに来ていないなら、彼女はどこに行ったんだろうね」
腕組みをしたセドリックが眉を顰める。アイリーンはアリッサが生徒会室にいると知っていたのだ。
「見当もつきませんわね」
王太子の問いかけをフローラはあっさりと受け流し、
「私もアリッサ様のお傍におりますわ。あのような怪しい輩に手出しはさせません!」
と仁王立ちで息巻いた。
◆◆◆
「こんな言葉を、言われるとは思えないのですが……」
アスタシフォン語でひっきりなしに甘い言葉を囁かれ、マリナは頭がパンクしそうだった。
ハロルドは神々しい微笑を浮かべ、耳元に唇を寄せてくる。
『あなたを食べてしまいたい……』
「ひっ」
軽く息がかかっただけでマリナは肩を震わせる。
『あなたをここに閉じ込めて……』
――アスタシフォン語なのに、発言が病んでる!
『私だけのものにしたいのです』
「な、な、何を?仰っている意味が分かりま……」
『アスタシフォン語で答えてください。グランディア語を使ったら……』
耳に何かが触れた。
――耳たぶが……甘噛みされた???
「い、今のは……」
『アスタシフォン語を使うようにと言いましたよ?』
青緑色の瞳がじっとりとマリナを見つめる。長い指先が銀髪を辿り、頬を撫でて唇に達した。
「お、おにいぃいさ……」
『次にグランディア語で話したら、噛むのはここにしましょうか』
――唇!?
『わかりました。きちんと話します。私はアスタシフォン語を勉強します』
たどたどしいフレーズにハロルドが笑い出し、マリナはつい
「そんなに笑わなくても……」
と呟いてしまった。
瞬時にハロルドが目を見張り、嬉しそうに顔を傾けた。
『言いましたよね。次にグランディア語を話したら……』
――そうだった!……って、顔が、近いっ!
美しい顔が近づき、いたたまれなくなったマリナはぎゅっと目を閉じた。
◆◆◆
「つきあってくれなくても、いいのに」
寮までの道のりをキースと共に歩いていく。エミリーの黒いローブが風に揺れている。秋も深まり、ローブだけでは寒いと感じられるようになってきた。
「いいえ。寮までお送りします。昼のようにまた、アイリーンが襲ってきたら僕が退治します」
「退治って……魔物じゃないんだから」
「魔物みたいなものですよ。無抵抗の人間相手に魔法を使ったり、殴ったりするのは」
「……そうね」
アイリーンが魔物だったら、どんなに邪悪な性質を持っているのだろう。
「エミリーさんは、アイリーンと何かあるんですか?昔から仲が悪いとか」
「あるわけないわ。うちは男爵家と付き合いはないもの」
「そうですよね。……となると、完全な怨恨か」
謎解きをする探偵のような雰囲気でキースが言う。こういう少年探偵もいそうだとエミリーは一人納得する。
「魔力測定の時の?怒られたのは私なのに」
「あれはアイリーンの魔法が失敗したことによるものでしょう?少なくとも、魔力を暴走させたと彼女もお咎めがあったはずですよ」
「……被害者はこっち」
「あとは、彼女がコーノック先生を好きなようですので」
「キースにもそう見える?」
「あれだけベタベタしていれば、誰でも気づきますよ。アイリーンはコーノック先生に構ってほしい。でも、先生はエミリーさんを気にかけている。となれば、あなたが邪魔ですよね」
はっきり言われると少し気持ちが重くなった。勝手に邪魔者扱いされて、消されそうになっているなんて、いくら悪役令嬢でも悲惨すぎる。
「だからって、光のチェーンソーで斬るのは勘弁してほしいわ」
「エミリーさん……やはり、先生に腕輪をお返しして、安全を確保すべきですよ」
――また腕輪の話か。しつこいなあ。
腕輪を外せなかったら、物理防御機能をつけてもらおう、とエミリーは単純に考えていた。




