92 悪役令嬢は実戦練習に戸惑う
「余興かあ……何かいいのある?」
余興を三組くらい探して来いと言われたジュリアとアレックスは、普通科教室の前をうろうろしていた。誰か知っている生徒が通らないかと思ったのだ。
「劇はどうだ?芝居小屋で見たやつ!」
「一日でできるわけないじゃん。台本もないし」
「……そっか、そうだよな。踊りも練習しないと難しいだろうし、後は歌か?」
「アレックス、歌は得意だっけ?」
「……う」
音痴ではないが、アレックスはどことなく歌が下手だった。抑揚がないのが原因だろうか。
「楽器はどうだ?」
「アレックスは何か弾けるの?」
「任せろ。手拍子と口笛専門だ」
手を腰に当てて堂々としているが、要するに何も弾けないのだ。ジュリアも令嬢の嗜みとして、マリナ達と一緒にピアノをやらされたことがあったが、三回目のレッスンから参加していない。
「俺らでやろうってのが間違いなんだよ。普段から何か弾いてる奴に頼めば?」
「そうだねえ……うん。一度教室に戻って、レナードに聞いてみよう」
レナードの名前を聞いて、アレックスは一瞬表情が暗くなった。
「……結局、あいつを頼りにすんのかよ」
「何?」
休み時間の雑踏の中で聞き取れず、ジュリアが聞き返す。
「……何でもない。……戻るか」
◆◆◆
エミリーの腹部にじわりと熱が広がった。
アイリーンに殴られた部分が発光し、痛みがすうっと引いていく。同時に意識がゆっくりと浮上してきた。
「ん……」
「エミリーさん!」
目の焦点が合わない。何度か瞬きをして、目の前の人物が紫色の髪をしていると気づく。
「……キース?」
「そうです、僕です。戻ってこないから探しに来てみれば、こんなところで倒れているなんて。一体何があったんですか」
「……アイリーンにやられた」
「はい?」
「腕輪のせいで魔法が使えないから、殴られても全然反撃できなかった……魔法かけてくれてありがとう。助かった」
自分の顔の表情が乏しい自覚があるエミリーは、意識して思い切り笑顔で感謝を述べた。
「は……」
口をぽかんと開けたキースが、みるみるうちに顔を赤くしていく。
「変だった?」
「変、といいますか、その……か」
「か?」
「可愛い、です」
「……」
面と向かって褒められると照れる。エミリーは視線を逸らして、
「ありがと」
と呟いた。
「アイリーンは私を目の敵にしてる。先生が見ていない隙に、腕輪を取ろうとしたの」
「魔法がかかっているのですよね。簡単には外れないのでは?」
「そうよ。魔法で私の腕を斬ろうとしたけど、防御壁に弾かれて、……結局素手で喧嘩」
キースは何度か頭を振って溜息をついた。
「貴族の令嬢が素手で喧嘩を……」
「私は手出ししていない。あっちが仕掛けてきた。……私も少しは鍛えるべき?」
「必要ないと思いますよ」
「……また殴られるのは嫌」
「僕が治療しますよ」
「治療って、殴られた後でしょう?」
「うーん……では、エミリーさんが先生に腕輪を返せばいいのではないですか?」
――腕輪を、返す?
盲点だった、とエミリーは思った。
これが恋なのかよくわからないが、マシューのことは好きだ。好きな人に腕輪をもらって嬉しい気持ちはある。だが、これが原因でアイリーンに命を狙われてしまった。明日からもどんな嫌がらせをされるか分かったものではない。とすれば……。
「事情を話せば、先生も考え直してくださると思いますよ。日常生活でちょっとした魔法も使えないのは不便ですし」
「そうね」
エミリーが同調すると、キースは瞳をきらきらさせて手を取った。
「腕輪が欲しいなら、僕が新しいのを贈りますよ」
「いらない……私、アクセサリーはつけないから」
「そんなことをおっしゃらずに!」
◆◆◆
放課後の廊下を、マリナは今日も重い足取りで歩いていた。
例のアスタシフォン語勉強会が行われるのである。セドリックはレイモンドによって生徒会室に軟禁され、リオネル王子一行への歓迎の言葉を書いている。マリナはハロルドに一対一で勉強を教えてもらうことになった。
「失礼いたします」
ドアをノックして声をかけると
「どうぞ」
と声がし、内側からドアが開いた。
「マリナ……待っていましたよ」
少し湿り気を帯びたような声だった。絡みつくような視線がマリナに注がれる。
「よろしくお願いいたしますわ」
教科書と辞書を抱えたまま、義兄を見つめて微笑む。ハロルドは長い睫毛に縁どられた瞳を細めて「こちらこそ」と応えた。
「歓迎会は明日ですね」
唐突にハロルドが切り出した。
「ええ」
「二週間かけてじっくりと学んでいただくつもりでしたが、そんな悠長なことは言っていられなくなりました。明日には言葉を聞いて理解し、質問ができなくては」
「そうですわね。リオネル王子はグランディア語がお上手でしたけど、他の方は得意ではないことも考えられます」
「王子の同行者に選ばれるくらいですから、酷くはないと思いますが、私達がアスタシフォン語を話せる方が、あちらも安心でしょう。……今日は会話を中心に練習しますよ。よろしいですね?」
「はい。頑張ります」
「では……」
ハロルドはマリナの手を取った。
――え?手を握る必要がどこに?
「王子に口説かれてもお断りできるように、練習しましょうね」
そう言うと、アスタシフォン語で
『私と結婚してくれますか、マリナ』
と吐息たっぷりに囁いた。
体調不良につき、アップが遅くなりました。




