16-2 悪役令嬢の初めてのおつかい(裏)
「王太子妃には誰がいいと思う?」
物心つく前から気さくな付き合いをしているグランディア国王ステファン四世に問われ、ハーリオン侯爵は答えに窮した。どういう意味だそれは。ステファンの息子の王太子セドリックは十一歳、自分の娘達より一つ年上ではあるが、王立学院に入るまで四年ある。王族は学院に入る前に婚約者を決めるのが通例だが、まだ婚約者を決めずともよいのではないか。同じくらいの年齢の王女は近隣諸国にはいないし、国内の貴族令嬢で家格と年齢が釣り合うのは……。
「うちの娘には、要らぬ苦労はさせたくないな」
「権力が手に入るぞ。国内最高級のドレスや宝石で着飾れる」
「要らん。娘達もまだやっと十歳だぞ。宝石にもとんと興味はない」
ふう、と国王は溜息をつく。
「つくづく欲のない男だな」
王室の親戚である公爵家を除き、貴族の最上位と言っても過言ではない爵位を持ちながら、ハーリオン家は代々政界と縁がない閑職を選んでいる。宰相とも騎士団長とも互角に渡り合える才覚があるのに、能ある鷹は爪を隠し続けて何百年、影の実力者だ。歴史のある貴族なら、この男を敵に回したりはしない。
「お前の娘達なら申し分のない妃になれるんだがなあ。ソフィアに似て美少女だと聞いている。うちのセドリックも天使のようだと言われているし、並んだら絵になるだろう」
「言っておくが、噂は当てにならんぞ。実物を見てがっかりだ。」
ハーリオン侯爵は、四人の娘を思い浮かべた。山猿のように庭を駆けまわっている次女は、先日まで自分と男友達の関係を疑っているようだった。男友達には国王も入るのだろうか。侯爵は友人を見つめた。
「どうした?」
「いや」
ないないない。絶対にない。王家は代々美人を王妃に迎えているため、代を重ねるごとに美しい王が生まれている。現国王は幼少期に少女と見紛うほどの美形であった。今でも彫像のように美しく堂々とした容姿は健在である。それでも侯爵はこの幼馴染との恋愛はなしだと思った。ジュリアの期待には応えられない。
「それとも、もう婚約を考えている相手がいるのか」
図書室に籠っていたかと思えば王立図書館に通いだした読書好きの三女が、親に隠れて公爵家の息子と逢引していたのは記憶に新しい。あの小僧の父である宰相が、癇に障る副館長を左遷したと聞いた時は少しばかりうれしくもあったが、二人が仲良くしているようだと娘のアリッサではなく彼の口から先に聞かされ、親として悔しかった。
「いや、いない」
「そうか。てっきり一人売約済みかと思った。フレディの奴が嬉しそうに話していたからな」
フレディとは、二人の共通の幼馴染で宰相のフレデリック・オードファン公爵である。王にまで根回しをしたのかと、ハーリオン侯爵は拳を握りしめた。力を籠めすぎて指が白くなっている。
「家から出たくないと言っている」
「深窓の令嬢はそんなものだろう。社交界にデビューすれば何とかなるさ」
ぐうたらでベッドから出たくないだけで魔法を究めようとしている四女が、まともに人づきあいができるとは思えない。王立学院への入学も不安要素だ。魔力が高く、魔法科への入学は必須になるだろう。長女はまあ、比較的普通と言えなくもないが。
「姉妹でいつも一緒にいて、友人もいないような子だぞ。社交性が求められる王妃になどなれるわけがない。おどおどした態度に皆がっかりするぞ」
国王は、しめしめとほくそ笑んだ。
「なら、せいぜいがっかりさせてもらうとするか。近いうちに王妃の茶会に招くとしよう」
◆◆◆
王太子セドリックは、剣の鍛錬が嫌いだった。
元々闘争心などない穏やかな性格であったので、誰かと本気で剣を交えるなど考えたくもなかった。自分は将来王になっても、前線で剣を振って戦うわけではないし、実技より戦の陣形などの戦術を覚えるほうが楽しかった。
その日も、剣の師匠である騎士団長ヴィルソード侯爵自ら、王太子の剣の練習につきあっていたのだが、ふらふらと剣に重心を取られて芯がないと喝を入れたのだ。セドリックは練習を抜け出し、剣一つまともに扱えない不甲斐ない自分への苛立ちと、もうやりたくない気持ちの板挟みになって、日の当たらない廊下で泣いていたところ、思いがけず天使に出会った。
「名前を聞いておくんだった……」
セドリックは自分の手を見た。
泣いていた理由を問われ一頻り話をした後、お励みになってくださいねと手を取られ、擦り切れて血が出ていた手のひらを回復魔法で治してくれた。
美しい銀の髪、優しい輝きを宿したアメジストの瞳。完璧な立ち居振る舞いから、どこかの令嬢であろうか。
「父が東翼で働いている、と言っていたな。確か……」
セドリックは母である王妃の居室へと向かった。
「まあ、セディ、それでそれで?」
三十歳を超えてもなお、少女のような雰囲気がある王妃アリシアは、息子の話に前のめりで食いついてきた。
「ですから、あの。それだけです」
「傷を治してくれて、終わり?」
「はい」
んまあ、と王妃は口をあんぐり開けた。貴婦人らしからぬ振る舞いではあるが、こういう天真爛漫なところが父王のお気に入りらしい。
「剣の稽古が嫌で、廊下でグズグズ泣いていたあなたに優しく声をかけてくれた。あなたはお礼を言ったの?名前は聞いた?」
「いえ、名前を名乗るのを、僕が遮ってしまったもので……」
「東翼で働いている貴族ねえ。銀の髪、紫の目の天使のような……ふふ」
王妃は扇子で口元を覆った。侯爵家に嫁いだ彼女の親友は、銀髪紫目の美魔女である。
「その女の子、四人は思い当たるわね」
「よ、四人もいるのですか?」
セドリックは愕然とした。銀髪でなかなか見ない珍しい容姿だと思っていたのに、これでは探すのが大変そうだ。
「会ってみたいわよね?四人の中から探し出せる自信はあって?」
「はい!」
元気よく返事をしたセドリックが、天使と再会するまでには、それから数か月を待たねばならなかった。