80 悪役令嬢は頭を撫でられる
またからかわれているのだろうか。
アリッサは目の前の男の真意が読めなかった。
「恋人、同士……」
言われた言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
自分とマクシミリアンは二人きりで中庭を歩いている。中庭は恋人同士が愛を語らう場である。中庭を二人で歩いていれば、恋人同士だと思われても不思議はないということだ。
「あなたにそんなつもりは露程もないと知っています。ただ、こちらに気づいている生徒もいましたし、噂にはなるでしょうねえ……」
マクシミリアンは他人事のように呟いた。抑揚のない声がこれほど嫌味に聞こえるとは。
「……先輩は、分かっていてここを通ったんですよね」
「さあ、どうでしょうね」
「噂に、なっちゃうんですか?」
「私は噂になって困ることはありません。レイモンド副会長には、あなたを寮まで送っただけと言えばいいですから」
「レイ様……いえ、オードファン公爵家を敵に回したくなかったのでは?」
「私は善意であなたを送っただけですからね。……急ぎましょうか」
アリッサの小さな手を奪うように握って、マクシミリアンは先を急いだ。
「では、ここでお別れですね」
マクシミリアンは女子寮の前までアリッサを送り届け、中庭から握ったままだった手を放した。
「……噂……どうしよう……」
アリッサはすでに泣きそうだった。腰を屈めて視線をアリッサに合わせ、紫の瞳が潤んでいるのを覗き込み、目を細めて茶目っ気たっぷりに笑う。
「交際期間が長い間柄だからこそ、たまには逆風も必要なんです。少しくらいレイモンド副会長を翻弄してもバチは当たりませんよ」
神様が許しても、レイモンドが許してくれないのではないかと、アリッサは悪い想像ばかりしてしまう。
「マックス先輩は、意地悪ですね。……優しい人だと思ってたのに……」
「意地悪、ですか?」
非難の眼差しを向けて頷くと、彼は再び声を上げて笑い出した。
「あなたの口から言われると嬉しいものですね」
「嬉しい?」
「レイモンド副会長には散々意地悪をされてきているでしょう?」
――どういう意味だろう?
「分かりませんかね。では……おやすみなさい、アリッサさん」
「おやすみなさい、先輩」
去っていくマクシミリアンの足音が遠ざかり、アリッサは寮の入口へと向かった。
ドアを開けて入るなり、フローラが抱きついてきた。
「アリッサ様!」
「わっ、フローラちゃん、どうしたの?」
「どうしたの、じゃありませんことよ。夕食にもいらっしゃらないし、わたくし心配しておりましたの。……失礼を承知で申し上げますけれど、アリッサ様は極度の方向音痴でらっしゃいますでしょう?お一人で、帰りはここまで、どうやって……」
「あ、あのね、生徒会の先輩に送っていただいたの」
「先輩?レイモンド様ですか?」
フローラは首を傾げた。
「ううん。レイ様は王宮でご用事があるの。マリナちゃんも。だから、マクシミリアン先輩に……」
「まあ!あの、マクシミリアン様ですの!」
思いがけず大きな声だったので、アリッサは驚いてフローラの口を手で塞いだ。
「声が大きいよ、フローラちゃん」
「申し訳ございません。わたくし、つい興奮してしまって……」
何を興奮することがあるのだろうかとアリッサは不思議に思った。
「マクシミリアン様と言えば、お父様が一代限りの準男爵で、世襲ではございませんけれど、貿易による功績を認められて爵位を授かったお家柄でしょう。……ここだけの話、公爵家よりも財産をお持ちだとか。王太子殿下をはじめ、目ぼしい殿方が皆≪売約済み≫の今となっては、令嬢方がこぞって狙っておりますのよ。お顔立ちは……まあ、派手さはございませんわね。背が高くて優しそう、ここがポイントなんです」
「……はあ」
力説するフローラの勢いに負けて、アリッサはまともな相槌を打てなかった。
「普通科二年の中では、学力試験は毎回王太子殿下に次いで二位。これも、殿下にわざと一位を取らせようと手を抜いているのではと、もっぱらの噂ですわ。デキる男で見た目もよくてお金持ちとくれば、身分が平民になっても構わないと思う方もたくさんいらっしゃいますわ」
生徒会室でだらけているセドリックの様子から、彼が試験で一位を取るようには見えなかった。フローラの言うとおり、マクシミリアンが手を抜いている可能性が高そうだ。
「それで、アリッサ様、どうでしたの?」
「どう、って?」
「決まってますわ、夜のデートですわよ。今宵は月夜、庭園の外周は暗くて、雰囲気がありましたでしょう?」
「私達、中庭を通って来たから……」
「んまあ!中庭を?」
再び大きくなったフローラの声を抑えるべく、アリッサは手で口を塞いだ。
「叫ばないでよ、フローラちゃん。フローラちゃんが中庭が近道だって教えてくれたんだよ?」
マクシミリアンに中庭ルートを強要されたとは言えなかった。近道だからと言い張って、変に勘ぐられないようにしたい。
「そう、でしたわね。でも……迂闊すぎますわよ」
緑の瞳が厳しく眇められる。
「うう……」
「男子寮で変な噂が広がらなければよろしいのですけれど」
――レイ様に何て思われるかしら?
アリッサは天を見上げて涙を堪えた。
◆◆◆
「……遅い」
部屋に入ると、エミリーが不機嫌そうに眉を顰めていた。
「ごめんね?夕食に遅れちゃって」
「アリッサ様、簡単なものならすぐにお出しできますわ」
「お願いするわ、リリー」
リリーはお手製サンドイッチを作りに室内のキッチンへと消えた。
「生徒会、忙しい?」
長椅子に膝を抱えて座るエミリーの隣に掛ける。
「そうね。今日はマリナちゃん達がいなかったから、余計に」
「……そう。ジュリアもいたの?」
「ジュリアちゃん?」
アリッサが首を傾げる。エミリーの表情がさらに険しくなった。
「……一緒じゃ、ないの?」
「どういうこと?もしかして……」
「戻ってない。夕飯に遅れたこともない食いしん坊が」
「エミリーちゃん、魔法で探せない?」
「……無理」
細い手首に光る銀の腕輪を見せ、エミリーは溜息をついた。
「これ……」
「見たこと、あるよね?公式設定集にあったもの」
「うん。マシューがヒロインにくれるのよね」
「何故か私がもらったの」
ぶっきらぼうに言うエミリーの頬に赤みが差したのをアリッサは見逃さなかった。
「そう。よかったわね、エミリーちゃん!」
他人の恋愛話が大好物のアリッサは、詳しく顛末を聞きたかったが、ジュリアを探す方が先である。
「魔法防御効果がある。それはいいけど、私の魔法も無効になる」
「ええっ?」
「学院内で無闇に魔法を使うなって言ってた。あいつ……余計なことを」
マシューに説明された時のことと、前後のキスを思い出して、エミリーは照れ隠しに悪態をついた。
「今から外に出るのは危険だわ。ロイドに頼んで、校舎まで見に行ってもらいましょう?」
「リリーの指示でもう行ってる。校舎と練習場を見てくるって」
「マリナちゃんが王宮から戻るまでに帰って来なかったら、マシュー先生に探してもらいましょう?アレックス君にも連絡して……」
「ねえ」
「なあに?」
「さっき、帰ってきた時、泣きそうだった」
涙は乾かしたつもりだったが、妹にはお見通しだったらしい。
「……中庭を、マクシミリアン先輩と通って帰ってきたの」
「誰?」
「生徒会の二年生。書記の」
「……ふうん。で、どっち?」
「え?」
「アリッサが通りたいって言ったの?」
「違うわ!イヤリングを取られて仕方なくっ……」
「イヤリング?……それ、レイモンドの?」
アリッサの耳に輝くそれも、公式設定集で見たことがあるアクセサリーだった。
「レイ様がくださったの。学院でもつけられるって」
「そう?結構派手だと思うけど」
装飾が嫌いなエミリーには、銀の腕輪に光る小さな石でも派手に思える。花の形なんてとんでもなかった。
「マックス先輩にも注意されたわ。だから、イヤリングを取られて……」
「自業自得」
「どうしよう、エミリーちゃん。レイ様に誤解されたら、私……」
思い返して再び鼻の奥がツンとして、涙の予感がした。
「……泣かないの」
アリッサの肩を抱き寄せ、エミリーはよしよしと頭を撫でた。




