77 悪役令嬢と偽物のエスコート
下校のチャイムが響く。
ペンを走らせていたキースが顔を上げ、
「もうこんな時間ですか」
と驚いた顔をした。
キースが生徒会室に現れてから、三人は私語もなくひたすら仕事をしていた。マクシミリアンも温和な頼れる先輩のままだった。
――さっきのは、先輩がふざけていただけよね?
「きりがいいところで終わりにしましょう」
抑揚のない声でマクシミリアンが二人に呼びかけ、アリッサは頷いた。
書類を片づけ終わったところで、マクシミリアンが活動日誌と鍵をキースに手渡した。
「これが日誌です。どうです?キース君。初めての活動の感想を書いてみませんか」
「いいんですか?」
「勿論です。君は書記なのですから、活動を記す責任があります」
「書きます!僕に書かせてください!」
鼻息も荒くやる気を見せたキースを見て、マクシミリアンは微かに笑いながらゆっくりと頷いた。
「やる気があるのはいいことです。……では、施錠もお願いします。鍵は職員室に」
「はい!」
あれよあれよという間に、マクシミリアンはキースに後のことを任せてしまった。
「では、アリッサさん。我々は帰るとしましょうか」
「え……」
「キース君が全て引き受けてくれましたから、ね?」
端正な顔立ちだが感情が一切読めない。ふわりと笑った彼の瞳が鋭く輝いた。
「あの……」
イヤリングを入れている制服の胸ポケットを指し、マクシミリアンはさりげなくアリッサの背中を押した。
「頼みましたよ、キース君」
「はい!」
マクシミリアンに押し出されて廊下に出ると、彼はドアを閉めてこちらを向いた。
「行きましょう、アリッサさん」
「二人だけで帰るのは、その……」
「あなたお一人では帰れないでしょう?道に迷ってしまうのでは?」
「それはそうなんですが」
ふふっ、と小さく笑い声が聞こえた。
「心配は要りませんよ。……実は、あなたが一人では帰れないからと、レイモンド副会長に頼まれていたのです」
「え……」
――レイ様が?マックス先輩に頼むかしら?
考え込む間に、マクシミリアンはアリッサの手首を掴んで歩き出す。
「マ、マックス先輩!待ってください!」
「急がないと夕食に遅れますよ」
「キース君を待っては……」
「日誌を書いているんです。時間がかかるでしょうから、先に行きましょう」
強い力で引かれたまま正面玄関を出た。歩幅の広い彼に引きずられるように歩いて、外周道路と中庭へ続く道の分岐点に差し掛かった時、アリッサはたまらず声を上げた。
「腕が、痛いですっ……!」
振り返ったマクシミリアンの顔には、優しく面倒見の良い先輩の面影はなかった。冷たい視線がアリッサに突き刺さる。
「レイ様がっ、先輩に頼んだなんて、……嘘ですよね?」
チッ。
明らかに舌打ちが聞こえた。
「また、レイ様、か……」
ギリ、と手首を掴む力が強くなる。アリッサは痛くて泣きそうだった。
「言いましたよね?私の前で、あいつの名前を呼ぶなと」
「ひっ……」
抑揚のない優しい声が、次第に怒りを帯びた激しい口調に変わった。
――さっきの、怖い先輩だ!
眉間に皺が寄り、灰色の瞳に昏い炎が宿る。秋風が彼の藍色の髪を乱し、狂気に満ちた表情に凄味を加えた。
「何、あんた。自分が公爵夫人になれると本気で思ってんの?オメデタイね」
マクシミリアンは握った手首を引き寄せ、アリッサの腰に手を回した。
――放して!
言おうとしても声が出ない。怖い。
――誰か来て!
「婚約者?そんな関係、簡単に壊れる。何なら、これから壊してやろうか?」
自分達ははた目から見たら抱き合っているように見えるだろう。人通りは少ないものの、誰かに見られたらおしまいだ。
「やめてくださいっ」
小さな声で抵抗するも、マクシミリアンは鼻先でフンと笑った。
「贈ったばかりのイヤリングを失くしたと聞いたら、あのとりすました男はどう思うだろうな。……いい子にしていたら返してやる。俺と二人で帰るんだ。……中庭をな」
耳元で囁く声がざらつく。背筋を冷たいものが伝った。
「行くぞ」
腰に回した手をアリッサの肩へ滑らせる。マクシミリアンの腕に二の腕を挟まれ、手首を掴まれたまま前へ引かれた。エスコートしているように見せかけているのだ。瞳に溜まった涙が溢れないように堪えながら、アリッサは中庭へ踏み出した。
◆◆◆
「今日の晩餐会は予行だし、出席者も少ないから、緊張しなくていいよ」
馬車の中からずっと、セドリックはマリナの手を握ったままだった。王宮の廊下を歩いている間も、指を絡めて手をつないだ状態だ。
「セドリック様、私こちらには何度も足を運んでおりますので、手を引いていただかなくても迷いませんわ」
「また、マリナはそうやって照れるんだから」
「照れてません!」
少しだけ頬を赤らめたマリナを見て、セドリックはふふっと笑った。
「おい」
超絶不機嫌モードのレイモンドが後ろから声をかけた。馬車の中で愛の言葉を囁き続けるセドリックとドン引きのマリナの向かいに座り、完全に邪魔者扱いされて不快だったのだ。
「何だよ」
「アスタシフォンの特使の前でも、そうやってイチャつくつもりか」
「今日は予行だろう?特使はいないじゃないか」
「だが、日頃の行いは、ふとしたはずみで表に現れるんだ。少しは控えろ」
眉間に皺を寄せ、眼鏡を中指で押し上げる。
「……分かったよ。うーん。そうだ、マリナ、こっちに来て」
セドリックはマリナの手を引き、近くにある部屋へ入った。
「セドリック様!?晩餐会はあちらの……」
部屋に入った途端、マリナは壁に背中を押しつけられた。顔の横にセドリックの肘がある。
「ひゃっ」
――顔、近すぎ!直視できないっ!
「晩餐会では、君に触れないように我慢するから……だから……」
苦しげに囁かれ、熱い吐息が耳をくすぐる。
「一回だけ、キスしていい?」
薄暗い部屋の中、セドリックの青い瞳が欲望に満ちて輝いた。




