74 悪役令嬢と青いドレスの企み
「すみません!遅くなりました!」
生徒会室のドアがやや乱暴に開けられ、紫色の髪の少年が飛び込んできた。
「ああ、あなたでしたか」
キースを見たマクシミリアンの瞳が一瞬冷たく輝き、すぐにいつもの温和な笑顔に変わった。
「キース君……」
――助かったわ!二人きりでこの部屋にいるのは耐えられないもの。
「帰りがけにドウェイン先生に掴まってしまって」
「何か悪いことでもしたのですか」
「い、いいえ!……エミリーさんがどこに行ったのかと、しつこく訊かれて」
「エミリーちゃんが?」
アリッサの顔色が変わった。妹に何かあったのだろうか。
「一時間目の魔法実技の時から具合が悪かったようで、授業に出ず教室に残っていたのですが、倒れて医務室へ運ばれたそうです。担当教官のマシュー先生から、寮に帰っているので心配ないと聞いています」
「そう、寮に……」
マシューに会ったら彼を殺すように魔法をかけられていたはずだ。二人とも大事ないなら、魔法は発動しなかったのかもしれない。だが、授業に出ず寮に帰ってしまったのは気にかかる。居所をしつこく訊いたドウェインがどうしたのかも。
「あ、ドウェイン先生には言っていませんよ。マシュー先生から口止めされましたから。エミリーさんとは朝に会ったきりだと、ドウェイン先生には言いました。……なかなか信じていただけませんでしたが」
キースは頭を掻いて情けない表情をした。
「遅くなった事情は分かりました。今日は会長と副会長がいないのですから、私達だけで作業を進めておかないといけません。これからもっと忙しくなります」
「はい!頑張ります。どんどん仕事を割り振ってください」
「もとよりそのつもりです。入ったばかりだからといっても容赦しませんよ」
マクシミリアンは瞳を細めて笑った。
――よかった。いつものマックス先輩だわ。
やはり、先ほど人格が変わったように思われたのは何かの間違いだったのだ。
◆◆◆
学院の更衣室はドレスアップ空間である。前世で通った学校の更衣室のように、壁一面に並んだ棚に制服を押し込む手狭な部屋ではなく、たくさんのドレスをかけておけるクローゼットと、五つの化粧台を備えた明るくて広い部屋だった。リリーが寮から持ってきた青いドレスを着せられ、マリナは化粧台の椅子に腰かけていた。
「まあ……なんてお美しいんでしょう!」
オードファン公爵家のベテラン侍女ハンナは、丸々とした身体を揺すって、きゃっきゃっと少女のように喜んだ。
「リリーさんの手際がよかったからよ」
同じく公爵家のベテラン侍女のマーゴが、厳めしい表情をふっと緩めてリリーを労った。三人はしばらくお互いの活躍を褒め合っていたが、マリナの一言で話をやめた。
「ねえ、リリー。髪飾りはどうしたの?」
下ろした髪を緩く巻かれ、ハーフアップにした銀髪は、それだけでも十分に美しかったが、ドレスを着た時には髪飾りをつけていた。
「申し訳ございません、お嬢様。レイモンド様からは、後から届くとだけ……」
リリーが頭を下げた。ハンナとマーゴも詳細は聞かされていないようだ。
「分かったわ。このまま車寄せに」
行くわ、と言おうとした時、更衣室のドアがノックされた。
「マリナ?着替えは終わった?」
「セドリック様?」
「入ってもいいかな」
「え、あ、どうぞ……」
頬を染めたセドリックが入室し、マリナは立ち上がって礼をした。三人の侍女は壁際に控えた。王子として正装したセドリックは、溜息が出るほど素敵だった。制服の時よりもカッコ良さが五割増しになっている。
「き、着替え中……ではないみたいだね」
マリナの服装に上から下まで目を走らせる。一体何を期待していたのだろうか。マリナは想像もしたくなかった。カッコいいなどと思ってしまった先ほどの自分を恥じた。
「はい。三人があっという間に着替えさせてくれました」
「髪も綺麗に結ってもらったんだね。……髪飾りは」
「これから届くと伺っておりますわ」
「うん。だから、持ってきたよ。後ろを向いてくれる?」
少しだけ髪の毛が引っ張られた感じがして、パチンと音がした。
「……ああ、ぴったりだね。思った通り、君によく似合うよ」
指先で後頭部に触れると、硬くて冷たい感触がする。バレッタのような大きさだ。つけられる前に実物を見たわけではないが、触って分かった形には覚えがあった。
――これって、ヒロインにあげる髪飾りよね?
乙女ゲーム『とわばら』では、王太子セドリックに告白され、彼のルートに入る時にこの髪飾りを渡される。確か、金でできた凝った土台に、サファイアがふんだんに使われている一見して高価だと分かるものだった。
「見えませんわ」
「おいで」
セドリックはマリナの手を引いて鏡の前に座らせた。手鏡を使って髪飾りを見せる。
「君は青が好きだから、青い石にしたんだ。……どう、かな?」
――イラストの通りだわ。でも、これって……。
攻略対象者からアクセサリーをもらうイベントは、実は重要な分岐点だった。喜んでそのまま素直に受け取れば、そのキャラクターの個別ルート確定なのだが、「こんな高価な(大事な)ものを受け取れない」などと一度辞退する選択肢もある。辞退しても結局渡されてしまうので、彼を攻略した証としてヒロインの手元には残る。逆ハーレムルートに入るには全員からアクセサリーをもらわなければいけない、と噂には聞いていた。
「マリナ?」
つい考え事をしてしまった。セドリックが青い瞳を不安げに揺らしながら、鏡越しにこちらを見つめている。
「す、素敵ですわ……ありがとうございます。セドリック様」
――辞退する暇もなかったわ。
前世でゲームをプレイしていた時も、マリナはセドリック以外の攻略対象者からアクセサリーをもらったことはない。勤勉な性格が災いし常にパラメーターが基準を超えていたため好感度がみるみる上昇し、何故か王太子ルートに入ってしまっていた。妹達と攻略するキャラクターを分担していたが、他の攻略対象者を狙おうと考えたこともあった。レイモンドやアレックスと多少仲良くなっても、中庭デートイベントが起こるのは必ずセドリックであった。様子を見ていた妹達に「王太子に呪われてるね」と言われたくらいだ。
「喜んでもらえて嬉しいよ。……ドレスは青にするようにと、レイから伝えてもらったし、ぴったりだね」
――し、知らなかった。
マリナは笑顔をセドリックに向けながら、内心穏やかではなかった。レイモンドが二人の侍女を手配したのは、ドレス選びのこともあったのか。リリーはマリナに青ばかり着せるわけではないし、マリナも秋らしい色を選んでほしいと思っていた。ロイヤルブルーのドレスは素材だけは秋らしいビロード地だが、露わになった肩の辺りのデザインや色はあまり季節を感じさせなかった。これはレイモンドを経由したセドリックの指示によるものだったのか。
――何か、だんだん追い込まれてる気がする……。
「さあ、行こうか。車寄せでレイが待っているよ」
笑顔で差し出された掌に指先を乗せ、マリナは表情を引き締めた。




