67 悪役令嬢は相席をする
「お願い!レナード!後でパンおごるから!」
ジュリアは教室の床に土下座した。隣でアレックスも同様に膝をついている。
「やめてくれ、二人とも」
レナードが二人の目線に合わせて膝をついた。ジュリアがさらに頭を下げ、レナードに対抗する。
「頼む、レナード!お前だけが頼りなんだっ!」
アレックスがレナードの制服を掴む。
「ったく、大げさだなあ。アスタシフォン語の宿題をやってこなかったくらいで」
「バイロン先生が、三回忘れたら罰を与えるって言ってたじゃない。私、今日で三回目なんだよ。写させてよ、レナード!」
「あの人、レイモンドさんよりずっとおっかないよ!」
「……うーん。写すのは勉強にならないんだけどね」
「そこを何とか!」
ジュリアが手を合わせて拝んだ。
「いいよ」
「本当か?」
「放課後にジュリアちゃんと二人っきりで練習させてくれるなら」
猫目を細めてレナードが笑う。アレックスが眉間に皺を寄せ、ジュリアは首を傾げた。
「そんなんでいいの?」
「うん。……アレックスもいいよね?」
「俺は嫌だ。二人きりなんて認めない。お前達を見張るからな!バイロン先生に罰を与えられても、宿題を忘れたと堂々と宣言する!」
土下座状態から立ち上がったアレックスは、選挙の演説練習で身に付けた凛とした表情と態度で言い切った。
「……後半、何か違うよね」
「うん。宿題をやればいいだけの話だよね……」
「俺は宿題なんかやらないぞ!二人とも、食堂だ!食堂に行くぞ!」
何かが吹っ切れたオーバーアクションのアレックスが教室を出ていき、放置できないと思ったジュリアとレナードは彼の後を追いかけた。
◆◆◆
「ジュリア、俺は、お前との愛に生きるぞ!宿題を忘れて罰を受けても、必ずお前をレナードの手から取り戻してみせる!」
金色の瞳が爛々と輝く。明らかに変なスイッチが入ってしまったようだ。
「恥ずかしいからやめてよ、アレックス」
「戻ったら最初のところだけでも宿題をすればいいよ。バイロン先生は名簿順に当てるから、ジュリアは一問目、アレックスが二問目だろう」
「そうだね。たまに逆から当てるんだよね」
「二分の一の確率に賭けてみる?それとも、名簿の最後から当てられてもいいように、宿題を写したい?」
「どうしようかな……あれ?」
食堂の入口で空席を探し、ジュリアははたと立ち止まった。
「マリナとハリー兄様じゃん。何やってんだろ……」
テラス席へ出るドアの近くで、ハロルドがマリナの腕をとり、顔を見合わせて微笑んでいる。仲の良い兄妹にしか見えないが、おかしいのは微動だにしないことだ。
――絶対、何かトラブってんじゃ……。
アレックスとレナードを置いて、ジュリアはずんずんとマリナ達に近づいた。
「マリナと兄様も今からお昼?」
「そ、そうなの」
「はい」
何事もなかったかのように二人はジュリアを見た。マリナは完全に顔が引きつっている。ハロルドの瞳に暗い影が落ちている。彼の復讐リストにジュリアの名が加わった気がした。
「私達も今来たとこなんだ。皆で一緒に食べようよ」
「そうね!それがいいわ!」
マリナがジュリアの手を取り、ありがとう、というようにゆっくりと目を伏せた。
◆◆◆
「晩餐会の、予行練習?」
ジュリアは大きめに切った肉を口に入れた。
「ほれれ?(それで?)」
「今晩は王宮に行くの。会長と副会長だけ参加を許されているから、行くのは三人よ。アリッサは行けないわ」
「ふーん。生徒会も大変だな」
アレックスは興味がなさそうだ。どんどん手を動かして料理を口に運んでいる。
「アスタシフォン王国からの使節団か……うん、やっぱり宿題はやらないとね」
「んぐ!」
咳き込んで水をぐいっと飲み、アレックスはレナードを睨んだ。
「その話はやめろ!」
「宿題がどうしたんですか」
「アレックスの奴、アスタシフォン語の宿題をやらないって言い張っているんです。今日で忘れたのは三回目なのに」
「まあ……ジュリアは大丈夫なの?昨日は机に向かわないで寝たようだけど」
「うっ!ゴホゴホ……」
ジュリアも水を飲んだ。
「私は、何とかする」
「留学生も来るようですから、外国語の勉強は欠かせませんね。……そう言えばマリナ、あなたは晩餐会に出るのですから、アスタシフォン語は流暢に話せるのでしょうね?」
「えっ……」
フォークを持つ手が止まった。ハロルドは知っているのだ。マリナの語学レベルを。
「え、ええ……」
日常会話などと言えるレベルではない。単語も辞書がなければさっぱりだ。
「おや、自信がないのですか?晩餐会の本番までに、私が特訓して差し上げますよ。これでも留学しようとした身ですから、公用語は少し自信があります」
「へえ、いいじゃん。教えてもらいな……っぐ」
適当な相槌を打ったアレックスの足を、ジュリアのブーツが踏みつけた。
「決まりですね。では、自習室を借りておきます。図書室は声を出せませんからね」
では、と言い残し、ハロルドは一礼して去って行った。
◆◆◆
完全に義兄の姿が見えなくなってから、ジュリアは白い目でアレックスを見た。
「何余計なことしてんの!」
「え?別にいいだろ?教えてくれるって言うんだからさ」
「アレックス、少しは空気を呼んだほうがいいよ」
レナードがこめかみを押さえた。
「ハロルドさんのマリナちゃんを見る目、どう見たってヤバいだろ」
「レナードも分かったんだ?兄様と初対面だよね」
「気づかない奴がおかしいだろ。丸いテーブルで、うっかりマリナちゃんの隣に座りそうになっただけなのに、『殺すぞ』みたいな目で睨まれた……」
そんなホラーな展開になっていたとは、ジュリアは気づかなかった。巻き込まれただけの級友に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ごめん……ハリー兄様、ちょっとマリナのこと好きすぎてさ……悪い人じゃないんだよ?私達にも優しいし」
「ジュリアちゃんが言うならそうなんだろうね。しかし、二人で勉強はまずいよ」
「まずいのか?」
アレックスが腑に落ちない様子でジュリアを見た。
「レナードと私が二人きりで練習するって言った時、どう思った?」
「嫌に決まってるだろ」
「……そういうことだよ。王太子殿下はマリナちゃんに裏切られたと思うだろうね」
「じゃあ、ハロルドさんの勉強会を断ればいいんじゃないか?」
「断れないわ……」
テーブルに肘をついて顔を覆い、今にも泣き出しそうな声でマリナが言った。
「……よし、分かった!」
椅子から立ち上がり、腰に手を当てたアレックスが、自分の胸をドンと叩いた。
「俺に任せておけ、マリナ!絶対大丈夫だ!」
はっはっはと笑いながら、アレックスは食堂を飛び出して行った。
「……まださっきの続いてたんだ……」
「絶対大丈夫じゃない方に金貨二十枚賭けるぜ」
「不安すぎて仕方ないわ……」
マリナは再び項垂れた。




