66 悪役令嬢は薔薇園でキスをする
アリッサがレイモンドと約束があると言って出かけてしまい、昼休みにマリナは一人で食堂へ向かうことになった。セドリックとは約束をしていないし、知り合いは多いものの一緒に食事をしようと誘える相手はいない。皆王太子妃候補の肩書に恐れをなして引いてしまうのだ。
渡り廊下を抜けて、あと少しで食堂に入るというところで、右後ろから肩を叩かれた。
「お一人ですか」
ハロルドが絵になりそうな微笑みでマリナを見ていた。
――このタイミングでお兄様に会うなんて!
二時間目の後の休み時間に、セドリックの嫉妬を何とか宥めたところだ。ここでハロルドと食事をしたら、噂だけでもセドリックは疑心暗鬼になってしまう。
「ええ……アリッサは他に予定が」
とは言ったものの、誘ってきたらどうやって断ろう。断り方に失敗すれば、ヤンデレ義兄が何をするか分かったものではない。
マリナは辺りを見回した。知っている誰か、クラスメイトはどこにいるだろう。今日だけでも仲間に入れてもらえればいいのだ。
「どうしました。きょろきょろして」
ふふっ、とハロルドは笑った。
――何なのかしら、この余裕……。
「おや、まだテラス席に空きがあるようですよ。行きましょう?」
腕を掴んで歩き出したハロルドに引かれ、マリナは渋々歩みを進めた。
――って、誘われてないし、行くとも行かないとも言ってないのに!
手を振り切れば逃げられるだろうか。逃げたら追いつかれはしないだろうが、後が怖い。怖すぎる。誰にも会わせないように監禁すると言い出されたら……。
「お、お兄様、私、テラス席はあまり……」
テラス席は他人の目が届きにくい。給仕はいるが二人きりは避けたい。
立ち止まったハロルドが振り返る。
「そうですか。では、サンドイッチを持っていって中庭で食べますか?」
――中庭!?
二人きりでデートスポットの中庭にいたら、昼間だろうが義兄妹だろうが、セドリックに疑われてしまう。彼を悲しませたくはない。他の選択肢を探さなければ……。
◆◆◆
食事の間、レイモンドは殆ど話さなかった。アリッサの代わりに何か考え込んでいるようにも見えた。誘いに来た時に感じた熱は感じられない。
「……アリッサ、これを」
不意にレイモンドが小箱をテーブルに置いた。
「開けてみてくれ」
可愛らしいレースのリボンがかけられた薄緑色の箱は、アリッサの好みのど真ん中だった。自分の趣味を分かった上で選んでくれたのだと思い、少しだけ笑顔が戻った。
リボンを引いて蓋を開け、アリッサは瞳を瞬かせた。
「……わあ……綺麗……」
箱の中身は、アメジストでできた菫のような小ぶりの花に、エメラルドとペリドットで濃淡を出した葉がついているデザインのイヤリングだった。紫色のアメジストはアリッサの瞳の色、緑色のエメラルドとペリドットはレイモンドの瞳の色を表したものなのだろう。アリッサのために宝石商に作らせたと分かる。
「ネックレスにも合う色だ。この程度なら学院内でもつけられるだろう」
貴族が通う学校だけあって、王立学院の校則はかなり緩い。アクセサリーをつけている生徒は多い。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「つけて見せてくれ」
椅子から立ち上がったレイモンドは、箱からイヤリングを取り出し、アリッサの銀髪を耳に掛けた。くすぐったくてドキドキする。
「……できた」
レイモンドの手が首筋を撫でた。
「ひゃっ……」
「もう片方だ」
イヤリングをつけ終わっても、レイモンドの手はアリッサの首から離れなかった。
「……美しいな」
「似合いますか?」
「ああ。良く似合っている」
首筋を撫でる手に手を添えると、レイモンドは目を細めて笑った。熱を帯びたエメラルドの瞳が近づき、唇が重なった。
「んっ……はあっ……レイ様……」
貪るようなキスの後、顔を真っ赤にして蕩けた瞳で見つめるアリッサに、レイモンドは苦笑した。
「その顔では教室に戻れないぞ」
「誰のせいだと……」
レイモンドはいつものクールな表情に戻っている。自分だけこんなに顔に出るのは悔しい。
「しばらくつきあってやる。他の奴らに君のそんな顔を見せられないからな」
「こんな顔にしたのはレイ様でしょう?」
「まあ、俺以外にいないな。……アリッサ」
「はい」
「食事の前に考えていたのは、他の男のことか」
急に真顔になったレイモンドは、中指で眼鏡を上げた。
「え?」
「デートが、告白が、と聞こえた気がしたが」
――き、聞こえて?私、口に出してたの?
「誰かに、告白されたのか?」
「い、いいいい、いいえ!」
緑の瞳が威圧的に輝く。本能で後ろに逃げようとするが、椅子に座ったままでは逃げられない。
「逃げるな。誰のことを考えていた?言え!」
長い指で肩を掴まれ、アリッサは目の前のレイモンドを見た。鉄面皮と言われる顔に焦りの色が浮かび、瞳は細かく震えていた。
「レイ様……」
「だから、誰のことを」
「……っ、レイ様のことですっ!」
レイモンドは眼鏡の奥の瞳を何度も瞬かせた。
「……は?」
「あ、えっと……レイ様と中庭でデートしたら楽しいかなとか、薔薇園で告白されたらロマンチックだなって……思って……」
イベントを思い返していた時、是非とも三次元で体験してみたいとアリッサは思った。ヒロインを操作しながら画面では何度も見ているが、レイモンドはデートでもよそよそしい雰囲気があった。気心の知れた今の二人とは違う。
「そうか」
短く答えてアリッサから手を離したレイモンドは、向こうを向いて黙ってしまった。
――気に障ることをしちゃったんだわ。
じんわりと涙が滲む。俯くと溢れてしまいそうだ。
ぽん。
頭の上に手が置かれた。
「泣くな。……問い詰めてすまなかった」
アリッサの目線まで屈みこんだレイモンドが、涙を溜めた眦にキスをした。
「明日の帰りは中庭を通って帰ろう。……君の要望通りに」
「はい!」
泣きながら笑うアリッサにつられて、レイモンドはまた苦笑した。




