64 悪役令嬢は答えを告げる
ロンとジュリアが腕組みをして椅子にかけている。マシューは二人に問い詰められることになった。
「どう見ても、エミリーにキスしているみたいでしたよ?」
「あれは、事故だ。ロンがいきなり部屋に入ってきたから……」
椅子に腰かけて俯く。後ろでまとめた黒髪が解けて艶っぽさが格段にアップしているが、ジュリアは根暗男に興味はないのでときめかない。
「へえー、キスしたんだ?で、どうだったの?気持ちよかった?魔力の相性がいい相手とキスすると、すっごく気持ちいいのよ」
「そうなんですか?」
「触れ合ったところから魔力が行き来するの。相性も勿論だけど、相手の魔力が高いとこう、全身にビリビリくるっていうか……」
感電みたいなものだろうか。ジュリアは感電した経験がない。真冬に階段の手すりで感じる静電気は別として。
「ビリビリきたら危ないですよね」
「それが気持ちいいんじゃない!癖になるのよ」
魔力が殆どない自分がアレックスとキスしても、彼も魔力が殆どないから痺れる感じはしなかった。よく分からないが、何度も感じたくなる痺れなのだろう。
「……癖になどならない。何度も言うようだが、あれは事故だ」
「妹のファーストキスを奪っておきながら、事故だと言い張るんですか?」
「往生際の悪い」
「うっ……」
マシューの顔が一気に赤くなった。漆黒の魔導士、魔王と恐れられる男が、思春期の少年のように頬を染めている。
キスされていると分かったエミリーは、マシューをよけようとしたがよけられず、混乱したまま転移魔法を使って消えた。この場にいなくてよかったかもしれない。
「事故だった割には、随分長くキスしていたみたいだけどねえ?」
水色の瞳を細めて、ロンが意味深な笑いを浮かべマシューを見た。
「……エミリーの魔力が気持ちよかったんだ」
「ほら、そうやってまた、エミリーのせいにする!」
「いや、これは……」
「認めちゃった方が楽になれるわよ?俺はエミリーが好きだ、ってね」
「エミリーは教え子だ」
「教え子になる前は、うちの寝室を覗き見してたんですよね?」
「うっ……」
「そうよね。内定もらっておきながら、王宮で働けなくなったのって、それが原因だものね」
「俺のライバルになるからと言われて気になっていただけだ!……帰る」
「あ、ズルいわよ!」
ロンの手が空を掴む。マシューは転移した後だった。
「まったく、不利になると転移で逃げる癖、子供の頃のままなんだから。……ねえ、パン食べない?四人分買ってきちゃったの。私一人じゃ食べきれないし」
「いいんですか?やった!いただきます!」
八個あったパンを四個食べ、ジュリアはロンに礼を言って医務室を出た。
◆◆◆
「こんなことなら、保留にするなんて言わなければよかったよ」
相談室と名がついた、応接セットが一組あるだけの小部屋に引きずり込まれ、マリナの腕を放して、セドリックは溜息交じりに言った。
「君には自覚があるの?」
妃としての自覚という意味なら、常に生徒達の模範となるよう努めているつもりだ。誰もがマリナを完璧な令嬢だと褒め称えている。
「自覚、と申しますのは……」
「彼の顔を見た?君に押し倒されて嬉しそうだった。彼だけじゃないよ。校内で君の姿を見かけただけで、声を聞いただけで幸せな気持ちになっている男が何人いるか。知らないだろうけど、君は皆の憧れなんだよ、マリナ」
一気にまくし立てたセドリックの表情に鬼気迫るものを感じて、マリナははっとした。
――嫉妬されてる?
以前見た悪夢が頭をよぎる。介抱してくれた騎士との仲を疑って、セドリックはマリナを浮気女だと罵った、重苦しい夢が。
「……」
何と言ったら彼の気が収まるのだろう。言葉で伝えても、全てが言い訳にしか聞こえないのではないだろうか。
「母上の茶会で、唯一人の王太子妃候補として皆に紹介してから、君を知る人間が一気に増えたんだ。それまでは殆ど公式の場に姿を見せなかったハーリオン侯爵令嬢が、噂以上に美しく聡明だと誰もが知ることになった。マリナは僕の妃になるのだと知らしめても、侯爵に結婚の許しを得ようとする貴族が多いと聞いたよ」
「……知りませんでしたわ」
父ハーリオン侯爵は娘達に無理に縁談を勧めない。嫁に出したくないだけなのかと思っていたが、セドリックの話では他にも事情がありそうだ。
「筆頭侯爵家の令嬢を妻に迎えようだなんて、公爵家のレイモンドのような、相応の貴族でなければ考えもしないものなんだけど、中には準男爵家からの申し入れもあるらしい。手に入らないと分かっていながらも、手を伸ばさずにはいられない。それが君なんだ」
青い瞳が悲しげに揺らぐ。
「もしこのまま婚約を解消して妃候補から外れたら……君は僕以外の誰かの手を取るの?」
「セドリック様?」
金髪をくしゃりと掴み、セドリックは俯いた。
「……ごめんね、マリナ。君が誰を好きでも、僕は妃の椅子に君を縛り付けるよ」
絞り出すような声だった。
「……っ!」
ドン。
マリナが胸に飛び込み、セドリックの背中が壁に当たった。
「悲しいことをおっしゃらないでください!」
「でも、君は……」
「……私が望んで、セドリック様のお傍にいてはいけませんか?」
「え……」
心臓の音が聞こえる。耳の奥にドクンドクンと響いている。
「マリナは、僕に触れられるのが嫌なんだとばかり……」
「……恥ずかしい、んです。抱きしめられるのも、……キス、されるのも。いつも誰かが見ているんですもの」
「二人きりなら?」
「二人きりでも、こ、心の準備が……」
視線を合わせたくなくて、マリナは上を見ようとしなかった。セドリックが小さく笑う気配がした。
「うん。それが君の出した答えなんだね」
「はい」
「分かったよ」
「本当ですか?」
ぱっと顔を上げると、セドリックの視線に射抜かれる。
「君が心の準備を整えられるように、僕も気をつけるよ……それで」
「はい?」
「抱きしめても……いいかな?」
頬を染めたマリナが頷くと、セドリックは彼女をふわりと腕に閉じ込めた。




