62-2 悪役令嬢はサボりを咎められる(裏)
【マシュー視点】
医務室で目覚めた俺は、エミリーがドウェインに連れて行かれたと聞いて、悪い予感しかしなかった。
ドウェインは俺より三つ上で、炎と風と闇の三属性を持つ魔導士だ。俺が学院に入学するまでは天才ともてはやされていたらしい。宮廷魔導士の試験を受けずに学院の教師になる道を選んだと本人は言っているが、魔力量も多くないしこれといった特技もない。俺は試験に落ちたのではないかと思っている。
学院に復帰してから、ドウェインはやたらと俺につっかかるようになった。特に、五属性持ちのエミリーを教えるために、俺が学院長に請われて戻ったと知って、憎悪の籠った目で睨まれた。奴の怒りの矛先がエミリーに向かうのではないかと危惧していたが、やはり最悪の事態は起こってしまった。
生徒指導室の前に立つと、ドアにドウェインの魔法がかかっていた。触れようとすると炎の幻影が俺の腕を焼き尽くそうとする。簡単には入らせてくれないらしい。封印魔法を無効化して力づくでドアを開けた。
「おや、思っていたより回復が早かったようだ」
嫌味な男は俺を見るなり唇の端を上げた。
「……ドウェイン先生。話を聞くにしては長すぎると思いますが」
「丁度終わったところでしてね。……腕輪の鍵はほら、これですよ。後はお任せします、コーノック先生。あなたの可愛い教え子ですから」
魔力も成長途中の生徒に、魔力抑制の腕輪をつけただと?
赤い左目に魔力が集まるのが分かった。
「……相変わらず嫌味な奴だ。魔法を使ったのがお前ではないと、俺からも説明しておく。今日は帰れ」
すぐにエミリーを開放してやろう。俺はそれしか考えていなかった。
生徒指導室に入ってから、彼女の声を聞いていない気がして、椅子に座ったエミリーを見た。美しい白い顔に、無数の涙の跡がついている。
「……泣いているのか?いや、それより、その服……」
普段はローブを脱がないエミリーだ。制服が脱がされかけて、脚もかなり見えていた。
――なんてことだ!
動けない、何も言えないのか……魔法が?
「何かされたのか!?……ああ、先に腕輪を外すぞ」
外した腕輪が落ちるとエミリーは俺の前から消えていた。
◆◆◆
明日は一時間目が魔法実技の時間だ。時間割が変更になっている。
丁度いい。エミリーと話をしなくては。
魔法科の生徒達は、授業の初めに魔法科練習場に集まり、そこから担当教官と共に練習に向かう。練習場に入ろうとした瞬間、背中に衝撃が走った。
「マシューせんせ!」
甘ったるい声を出したアイリーンが、俺の背中に抱きついてきたのだ。
身体を蛇が這いまわるような魔力の波動が俺を包み、もう少しで意識を保てなくなりそうだった。さらに、アイリーンからは別の波動を感じる。ぬかるみに足を取られた時のような……この波動は、ドウェイン?
何故アイリーンからドウェインの魔力を感じたのか分からないが、不快なことこの上ない。
すぐにもエミリーの魔力に癒されたくて、俺はアイリーンを振り切り練習場に入った。
黒いローブに銀の髪のエミリーを探す。どこにいても一目で見つけられる自信はあった。
しかし、集まっている生徒達の中に彼女はいなかった。
「マシュー先生?早く練習しましょうよ」
追いついてきたアイリーンがしなを作る。
「自主練習していろ」
――これ以上慣れ合ってたまるか!
魔法科一年の教室に入ると、エミリーが机に伏せていた。
顔色を見ようと机の高さに頭を下げた。
「俺の授業をサボろうとは、どういうつもりだ?」
ガタッ。
俺に気づいたエミリーが、脱兎のごとく教室の隅に逃げた。
――そこまで逃げなくてもいいだろうに。
「こ、来ないで!」
「……どうした?」
昨日、ドウェインに痴漢行為をされた所為だろうか。エミリーは必要以上に怯えているように見えた。仲がいいと思っていただけにショックだ。
「いいから、こっちに来ないで!アイリーンに教えなくていいの?」
嫌な女の名前を聞かされ苛立った。
「私一人に構ってないで……」
お前だから構いたくなるんだ。
「お前の方が大事だ。俺にとって、一番大事なのはお前だ、エミリー」
「大事って、あの、私に構わないで!」
壁に縋りつき、こちらを見て叫ぶエミリーは、いつもの無表情が少しだけ崩れている。
彼女にこんな顔をさせられるのは俺くらいのものだろうと思うと高揚感に襲われる。
「お願い……来ないで……私……」
間合いを詰めて一歩ずつ踏み出す。
「危ない!」
目の前でエミリーの身体が急に力を失い崩れ落ち、咄嗟に抱きとめた。
「……体調が悪いのか?」
横たわるエミリーの顔色は青ざめていた。人形のように動かない。
白い手も頬も、触ってみても冷たい。急速に冷えていくのが分かる。
口元に耳を近づけて呼吸を確かめる。
――息をしていない?
「おい、エミリー!しっかりしろ!」
ブレザーの前を開け胸に耳を当てる。何も聞こえない。
――嘘、だろう?
魔力の波動を感じなくなったエミリーを抱き、俺は転移魔法を発動させた。
◆◆◆
「ロン!助けてくれ!」
医務室のロンは兄の同級生で、幼い頃から将来を嘱望された光魔法の天才だ。騎士団付きの治癒魔導士として実戦に出るより、学院に残りたいと言った変わり者だが。多くの生徒を治療してきている。エミリーの症状にも明るいかもしれない。
一縷の望みを託して俺はエミリーを診せた。
「脈もなし、呼吸もなし……か」
ロンの表情が真剣になった。
「直前まで俺と会話していたんだ。教室の隅まで走って行った。元気そうに見えたが」
「……強い、暗示ね。見えない?」
「暗示?」
「そ。この子が闇魔法メインだから分かりにくいけど、闇魔法の暗示がかかっているとしか思えないの」
光属性のロンには、闇魔法がはっきりと確認できるらしい。
「闇魔法の暗示……隷属か」
「多分ね。隷属の魔法は、術者の意に反した時が怖いっていうじゃない。隷属させられた者が死んだように……」
「エミリーは死んでいない!」
「はいはい。死んではいないわ。呼吸も心拍も停止させて、身体が時間を止めているのね。この子が術者に命令されたのは、誰かの命を奪うことなんじゃないかしら。その誰かの命を奪う代わりに、自分の命を奪われて、ううん、差し出してしまったんだわ」
――命を差し出した?
「……教室で彼女、何か言っていた?」
「俺に来るなと言っていたが……まさか……」
――俺を殺せと命令されていたのか?
「どうするの?」
にやにやしてロンが俺の腕に肘鉄をくらわした。
「助ける」
「ふうん。光魔法はあんたの闇魔法で無効化しても、この子にかかってるのは闇魔法よ?」
「光魔法の、浄化で」
「あたしにやれというの?」
「ああ。頼む」
「嫌ぁよ。自分でやんな」
長い髪を肩から払い、ロンはエミリーのベッドから離れた。
「光魔法の『魅了』を解くには、魔法の効果以上に相手を魅了すればいいの。では、闇魔法の『隷属』は、どうすればいいと思う?」
はあ。
――面倒くさい奴だな。
何をさせようとしているか薄々感づいていたが。
「相手を隷属させればいいんだろう?」
「ご名答。奴隷、つまり虜にすればいいの。……ほら、カーテン閉めてあげるから、さっさと魔法解いてやんな」
ロンに背中を突き飛ばされ、俺はエミリーが眠るベッドに両手をついた。
そのまま数分経ったと思う。
人形のように美しい寝顔を見ながら、俺は逡巡していた。
意識のないエミリーを虜にするだと?
「ロン。俺はどうすればいい?エミリーは眠ったままなんだが。話もできないぞ」
「……ったく」
バサッ。
カーテンが乱暴に開けられ、ロンが俺の隣に立った。着崩したローブがバサバサと音を立てる。
「魔法科教師?聞いて呆れるね。キスの仕方も知らないの?」
「はっ?……キス、だと?」
聞き間違いだろうか。
「さっさとキスしてやりな。目覚めてもメロメロになるくらいに」
「待て待て待て、俺は、その……」
「自分が死んでもいいから、マシュー先生を守りたいっていう、健気な教え子の気持ちに応えてやってもバチは当たんないわよ」
「バチは当たらないが、生徒に手を出したらクビになるだろうが」
「クビになるのと引き換えにしても惜しくないくらい、ものすっごい美少女じゃない。こんな役得、もう一生ないでしょうよ。あんたがやらないなら、あたしが……んぐっ」
ローブの中に着ていたシャツの襟首を掴まえ、ロンを引っ張った。
「やめろ!」
「意気地なしのくせに、一丁前に独占欲はあるんだ?」
――そうだ。ロンの言うとおりだ。
俺は意気地なしで、エミリーを他の誰かに渡したくないと、恋人でもないのに独占欲ばかり膨らませている。
「廃魔の腕輪を外されてまで、あんたはこの子のために学院に呼ばれたんでしょ?ここで死なれたら卒業どころの話じゃないわよ。ほら!」
バシッ。
再び叩かれる。仕草は女のようだが、力は男そのものだ。地味に背中が痛い。
「この子のお姉さんを呼んで来るから、しばらくお願いね。……それと」
ふふ、とロンは笑った。
「医務室のドア、封印しといてあげるから。ごゆっくり♪」
治癒魔導士の遠ざかる足音を聞き、俺は再びベッドに両手をついた。




