62 悪役令嬢はサボりを咎められる
「おかえり、マリナちゃん」
一時間目が始まる前に、何とか教室へたどり着いたマリナをアリッサが笑顔で出迎えた。
登校するとすぐにレイモンドと別れマリナと教室へ入るのだが、今日はマリナが先に魔法科教官室へ行ったため、レイモンドが教室までアリッサを送ってくれたのだ。素敵な婚約者を従えて現れたアリッサにクラスメイト達は騒然とし、隣の二組の生徒まで覗きに来たほどだった。
「廊下でフローラに会ったわ。アリッサとレイモンドのツーショットを見逃したって悔しがっていたわよ」
「フローラちゃん……」
数少ないアリッサの友人であるフローラは、図書館で愛を育んだ二人に憧れているのか、まるで芸能人を追いかける記者ように動向を知りたがる。
「後で根掘り葉掘り訊かれると思うわよ。ふふっ」
「マリナちゃんも訊くんでしょ?」
「ええ。当然よ。夜の報告会を楽しみにしているわ」
「レイ様がね、今日は一緒に帰れないって、王宮のご用事があるって本当?」
――何だったかしら?
マリナは数秒考え込んだ。生徒会のスケジュールは完全に頭に入れている。
「確か、アスタシフォンの留学生を迎えての晩餐会の予行があったわ」
「練習するの?」
「例年国賓扱いでしょう。今回は特に、一行の中に王子様がいらっしゃるって」
「そうだったわ。侯爵家以上のお妃様を探しに来るのよね」
セドリックからもたらされた情報以上のことは、レイモンドでも掴めなかったようだった。留学生は男子三名で、アスタシフォン国王子の他、一人は騎士の息子、もう一人は伯爵家の息子だということ以外は。
「普通科と剣技科に入ることになるのかしら。王子様が魔法科や剣技科に留学した例を聞いたことがないもの」
「三週間もいるのよね。歓迎の晩餐会には、生徒会からは王太子様とレイ様とマリナちゃんの三人しか行けないよね。大丈夫?」
眉を寄せる妹の手を取り、マリナはにっこり笑った。
「心配してくれてありがとう」
「ねえ、マシュー先生はどうだったの?協力してくれそうだった?」
「それがね……部屋にはいらっしゃらなかったのよ」
「遅刻?」
「部屋の前で少し待ってみたけれど来なくて……それで、ね」
マリナは顔を赤らめ、アリッサに手招きをした。顔を近づけろという意味だ。
「なあに?」
「……見たのよ」
声色が怪談を始める時のそれに似ていて、アリッサは恐怖に慄いた。
「オバケなの?」
「ううん。……その、濡れ場を……」
「ぬ……!」
口を手で押さえる。姉の口から濡れ場だなんて言葉を聞くとは思わなかった。
「先生方の……?」
「違うわ。一人は先生だと思う。もう一人は……」
言いかけて、歴史担当の学院長が入室してきたのに気づき、マリナは急いで席についた。
◆◆◆
「無理をしないで、休んでいてください」
「うん……」
キースに言われた通り、エミリーは机に腕を置いて顔を伏せた。
「一回休んだくらいで、あなたの実力は落ちたりしませんよ」
「うん……」
何を言われても気休めにしか聞こえない。キースには詳しい事情は話せないが、話せないからこそこうして元気づけてくれる彼に申し訳なく思う。
「おとなしく寝ていてくださいね。寝るのは得意でしょう?授業中みたいに」
――一言余計よ!
軽く苛立ったが、エミリーの顔には出ない。気分が乗らないせいでいつにもまして表情が変わらないのだ。
「行ってきます」
「うん。頑張って」
キースが教室を出ていくと、魔法科一年の生徒達はエミリーを残していなくなった。
――寝よう。
机に伏して目を閉じた。
昨日、自分につけられた魔力抑制の腕輪を外した時、マシューはとても焦っていた。泣き顔も見られてしまった。隷属の魔法がなくても、気まずくて顔を合わせにくい。授業を欠席したのは正解だったと思う。
コツコツコツコツ……バン!
――何!?
机から顔を上げると、足音の主は既にエミリーの目の前まで来ていた。
「俺の授業をサボろうとは、どういうつもりだ?」
椅子に座ったエミリーに視線を合わせ、脳髄が痺れる低い声でマシューは囁いた。
――!!!
ガタッ。
立ち上がって教室の隅に逃げる。
――まずい、マシューを殺してしまう……。
「こ、来ないで!」
「……どうした?授業への遅刻を咎めるつもりはない。逃げるな」
「いいから、こっちに来ないで!アイリーンに教えなくていいの?」
マシューの目が眇められる。
「私一人に構ってないで……」
「お前の方が大事だ。俺にとって、一番大事なのはお前だ、エミリー」
――こんな時にさらっと殺し文句を吐かないでよ!
成り行きで言ってくれたのだとしても嬉しい。嬉しくて心臓が止まるかと思った。
「大事って、あの、私に構わないで!」
コツ、コツ……。
靴音が響き、間合いを詰められているのが分かる。
「お願い……来ないで……私……」
――マシューを殺したくない!
エミリーは強く願って瞳を閉じた。




