59 悪役令嬢の作戦会議 6
ドアの方向から封印魔法を無効化した音が聞こえる。
瞳を動かせないエミリーは、もはや音だけが頼りだった。
ガタッ。
「おや、思っていたより回復が早かったようだ」
「……ドウェイン先生。話を聞くにしては長すぎると思いますが」
マシューの眉間に皺が寄っている。ミントの香りがする。ドアを開けた時に魔力を使ったのだ。
「丁度終わったところでしてね。……腕輪の鍵はほら、これですよ。後はお任せします、コーノック先生。あなたの可愛い教え子ですから」
金色の鍵をマシューに手渡し、ふっと笑ってドウェインは生徒指導室を出て行った。
「……相変わらず嫌味な奴だ。魔法を使ったのがお前ではないと、俺からも説明しておく。今日は帰れ」
椅子に座るエミリーを凝視し、マシューは目の色を変えた。
「……泣いているのか?いや、それより、その服……」
人形のように動かないエミリーは、アメジストの瞳から涙を零している。黒いローブは床に落ち、制服のブレザーのボタンが外され、リボンを外されたブラウスも第二ボタンまで開いている。短いスカートはずり上がり、肌の露出を極端に嫌うエミリーには耐えがたい状態になっていた。
「何かされたのか!?……ああ、先に腕輪を外すぞ」
マシューはエミリーの手首を掴み、腕輪の鍵穴に鍵を差し込んだ。
――ダメ!腕輪が外れたら、マシューを誘惑して殺してしまう!
ガチャリ。ゴトッ。
腕輪が床に転がった瞬間、エミリーは転移魔法を発動させ、マシューの目の前から消えた。
◆◆◆
「今回は、私達の負けだわ」
女子寮の一角にあるハーリオン侯爵令嬢の私室で、例によって四人の作戦会議は開かれた。
「負け?アイリーンだって落選なんだし、引き分けじゃないの?」
「甘いよ、ジュリアちゃん。ジュリアちゃんとエミリーちゃんは、先生に呼ばれたでしょう?何もしてないのに!」
アリッサは今日の事件に珍しく怒っていた。無実の姉と妹が、ヒロインの画策で容疑者扱いされたのだ。
「……最悪だ」
エミリーはネグリジェ姿でベッドに蹲った。
「具合が悪いの?エミリー」
「ううん」
「先生に問い詰められたのが嫌だったんだよ。エミリーを連れてったのは、魔法科の気持ち悪い男だったよね」
中身が見えない箱の中に手を入れたら蛇に触ってしまったような顔をして、ジュリアは身震いした。
「こら、ジュリア。言いすぎよ」
「ドウェイン先生は……私、ちょっと苦手かなあ。悪魔っぽくて」
「アリッサも!」
「……明日から登校しない」
末妹の登校拒否発言に、姉三人は驚いて詰め寄った。
「は?学校行かないの?」
「サボるのはいけないわ。授業中に寝ていてもいいから、行くだけ行きなさいよ」
「学校に行かないと、マシュー先生にも会えないんだよ?」
アリッサの口から彼の名を聞き、エミリーはいよいよぐったりした。
「……私、マシューを殺してしまう」
エミリーが生徒会室に現れず、生徒指導室から直接寮の部屋へ帰っていた時には、三人は特に不思議に思わなかったのだが、改めてドウェインとの一部始終をエミリーから聞き、今日の事件が思わぬ形で後を引いていることに唖然とした。
「ドウェイン先生が、……何だっけ、えっと、冷蔵庫?」
「隷属の魔法よ。魔法が抑えられた無抵抗なエミリーに、最低の魔法をかけたのよ」
「マシュー先生を殺しちゃうなんて、エミリーちゃんは……」
「殺させない。……会えば誘惑して殺してしまうなら、二度と会わない。授業も出ない」
「そんなあ。好きな人に二度と会えないなんて、つらすぎるよぉ」
アリッサはエミリーの代わりに涙を流す。自分が同じ魔法にかけられ、レイモンドと二度と会えないとなったら……想像しただけでいくらでも滝のように涙が出た。
「ねえ、その魔法、どうにかして解けないの?アレックスの時みたいにさ」
「そうね。調べてみる価値はあるわ」
「キース君に教えてもらえないかなあ?お家にたくさん魔導書があるって聞いたもの」
「無理」
項垂れたエミリーは、聞こえるくらい大きい溜息をついた。
「私がマシューを避けても避けなくても、キースにはどうでもいいもの」
「っていうかさ、エミリーがマシューとうまくいかなくなったら、自分がエミリーの彼氏になれると思うんじゃない?あいつ思い込み激しいもんね」
「うーん。それなら、マシュー先生に聞きにいく?エミリーちゃんは行けないから、マリナちゃんか私が」
「どうしてそこに私は入って来ないの?」
「ジュリアは魔法の話をされても理解できないでしょう?」
む、とジュリアの顔が厳しくなる。
「そりゃ、そうだけどさ。私だってエミリーが心配なんだよ」
「ありがとう。気持ちだけ貰っておく」
「話を聞いてみて、方法が見つからなかったら、思い切ってキスしてもらえばいいじゃん……って、痛っ、何すんの!」
耳を引っ張られてジュリアがマットレスに倒れる。真っ赤になったエミリーが唇を震わせてジュリアを見下ろしていた。
「……できるわけ、ないっ!」
両手に紫色と朱色の魔法球を発生させる。
「ちょっと、それ、ぶっ放す気じゃないよね?」
戦闘モードの二人の横で、マリナとアリッサはひそひそと話していた。
「そっか、エミリーちゃん、キスしたことないんだっけ……」
「この間自分がキスしたものだから浮かれているのね、ジュリアは」
「アレックス君も、この頃ジュリアちゃんにくっつきすぎだと思うの」
「あら、あなたとレイモンドも相当なものよ、アリッサ」
「むう……ねえ、マリナちゃんは殿下といちゃいちゃしたい?」
「……今、それを言う?私達、あえて距離を置いているのに」
「ねえ、どうなの?」
「アリッサはレイモンドにキスされたいの?抱きしめられたいの?」
「うん。ついでに、ちょっと意地悪されて、すっごく甘やかされたいなあ……」
――コイツは……。
夢見る瞳のアリッサの横でマリナは頭を抱えた。
「マシューからキスされるわけないでしょ!」
ひらりとジュリアが躱し、エミリーの魔法球が床に当たって消える。
「されないなら、こっちからしてやればいいじゃん!」
「恥ずかしすぎる!」
もう一つの魔法球が壁に当たった。魔法の威力はあるのだろうが、混乱と運動不足からエミリーの投球はド下手だった。
「エミリーよりマシューの方が魔導士として上なら、何とかしてくれるよ、っと、あっぶな……」
「エミリー!ジュリア!いい加減にしなさい!」
マリナが腰に手を当ててベッドの上に仁王立ちしている。
「マリナちゃん……」
「マシュー先生には明日、私が聞きに行くわ。ジュリアはからかうのをやめること。ついでに人前でアレックスとベタベタするのもやめなさいね」
「は?私、ベタベタしてないよ?」
「……ウザイくらいしてる」
「剣技科は男の子ばっかりなんだよ?他の皆にアレックス君が恨まれちゃう」
「それから、アリッサ」
「私も?」
「選挙の結果で、会計は一人になってしまったでしょう?セドリック様は役に立たないし、レイモンドや私も他の仕事で出かけることが多くなるわ。大変だと思ったら、無理しないでマックス先輩やキースを頼りなさいね」
マクシミリアンの名前を聞き、アリッサの表情が曇った。
「ん?何かあった?」
ジュリアが覗き込んできた。愛嬌のある紫の瞳が瞬きを繰り返している。
「ううん」
「エミリーは、登校はすること。朝のうちに私が話をしておくから、解決策を見つけるまではマシュー先生の魔法実技の時間は欠席するしかないわね」
「だよねー。仕方ないか」
「……アイリーンが」
シーツが皺になっている。エミリーが強く握りしめているせいだ。
「マシューとアイリーンが一対一になる……」
呟いて寝具を引き被った。姉妹が彼女に寄り添う間もなく、魔法で自分のベッドに転移すると、エミリーは辺りを闇に包んだ。
やっとこの章が終わります。




