46 悪役令嬢は寝違えて痛めた首筋を治療される
「ん……うーん」
窓から西日が射しこむ。ジュリアは薄目を開けて伸びをした。
「あら、随分ゆっくりのお目覚めね」
白いローブの治癒魔導士、医務室の住人ロン先生がジュリアに気づき、魔法薬の瓶を片づけながら言う。
「お見舞いが何人来たかしら……五人?もっとか?皆あんたが起きないから、諦めて帰ったわ。人気者なのねえ」
剣技の練習試合でジェレミーに剣で殴られた。切られたと言うより、剣のような棍棒で殴られた感じだ。殴られた腕や肩を確認する。
「あ、怪我はぜーんぶ治しておいたから。あたしに治せない怪我なんかないわよ」
「す、すごい!全然痛くない!」
腕をぐるぐる回しても皮膚が引っ張られる感じもなければ、鈍く痛むところもない。
「ふふん。どーお?恐れ入った?」
「恐れ入ったっ!ロン先生すっごいね。今朝寝違えた首筋も痛くないし」
「元気になってよかったわ。……じゃあ、お迎えを呼んであげる」
「迎え?」
姉妹の誰かだろうか。三人には自分が医務室にいると連絡が行っているはずだ。
「風魔法で呼ぶからすぐよ」
「大丈夫です、自分で歩いて帰れます」
「こういう時くらい、彼氏を頼んなさい。ね?」
――彼氏?
アレックスには今朝、剣を突き付けられて近づくなと言われたばかりだ。きっとレナードのことだろう。放課後は上級生と練習をしている彼だ。まだ練習場にいるかもしれない。
――呼んだら、悪いよね?
「こっちから迎えに行きます。ありがとうございました、先生」
ジュリアはベッドから降りて、医務室のドアへ向かった。寮へ帰って寝てしまおう。
ギギ……。
「あっ……」
立てつけが少しおかしいドアを開けると、脇に背が高い人影があった。赤い髪がさらりと流れて、こちらに顔を向ける。
――アレックス!
呼びかけたいが、声をかけるわけにはいかない。
ジュリアの紫の瞳を見つめた彼は、夕日を映す金の瞳を眇めた。唇が僅かに開く。
また、酷いことを言われるの?
「……っ!」
――聞きたくない!
顔を背けて、アレックスがいない方向へ、ジュリアは一目散に駆け出した。
◆◆◆
生徒会執行部役員選挙立候補者
書記 魔法科一年 キース・エンウィ
会計 魔法科一年 アイリーン・シェリンズ
剣技科一年 ジュリア・ハーリオン
――ジュリアちゃんとヒロインの一騎打ち、かあ……。
予測はしていたものの、改めて掲示を見ると気持ちが引き締まる。
自分達がジュリアを応援し、アイリーンを生徒会執行部に入れないようにしなければならない。アイリーンが生徒会に入れば、忽ちレイモンドが標的にされてしまう。
――レイ様との幸せな未来のためにも、頑張らなくちゃ!
アリッサは心なしか鼻息が荒くなった。
「これで最後の掲示板ですね。ありがとうございます、アリッサさん。あなたが付き合ってくれて、随分捗りましたよ」
二年生の書記であるマクシミリアンは、昼休みにアリッサと二人で二十枚以上の用紙に候補者の氏名を書いた。立候補の締め切りが正午、翌日の登校時間までに候補者氏名を掲示するのが習わしである。生徒会長のセドリックは風邪で寝込み、レイモンドは学院長に呼ばれ、マリナは二時間目の後にフィービー先生に呼ばれてから帰って来なかった。二人きりの作業になってしまう。
「私は、紙を持ってついてきただけです。先輩に全部貼らせてしまって」
「私の方があなたより背が高い。掲示板の目立つところに貼れます。これも適材適所ですよ。昨年は私一人で貼って歩きました。二年生は殿下と私だけでしたからね、雑用を殿下にさせられないと上級生に言われまして」
王族が生徒会執行部に入ると、そういう弊害もあるのだろう。アリッサはマクシミリアンに同情した。
「今年は一年生がたくさん執行部に入ってくれました。皆さんの活躍に期待しています」
「は、はい!頑張ります!」
画びょうの箱を抱きしめて意気込む。マクシミリアンの灰色の瞳が細められた。
「あなたはもう少し、肩の力を抜いてもいいと思いますよ」
「そんなに私、力んでいましたか?」
「いえ……いつも、無理をしているように見えて」
生徒会の仕事は初めてで、書類を書くのにも毎日緊張している。手慣れたマクシミリアンから見れば、アリッサが無理をしているように見えるのだろう。
「もう少し経験を積めば、仕事にも慣れると……」
「私が言いたいのは、生徒会の仕事だけではなくて」
背の高いマクシミリアンがアリッサを見下ろし視線が絡んだ。広い背中の向こうに夕日が見える。
「レイモンド副会長といる時、緊張しているでしょう?」
「!」
「彼はプライドが高いから、何に対しても理想が高い。合わせるのは一苦労ではないですか」
レイモンドはアリッサにとって大好きな憧れの人だ。彼の理想に追いつこうと日々努力してきた。苦労がなかったわけではない。
「それは……」
「あなたが努力をしていることを、レイモンド副会長は気づいていないのでは?自分の婚約者ならできて当然、努力して当然と思っているように見えます。大勢の前であなたが失敗したら、彼はどうするのでしょうね」
ゾクリ。
アリッサの背中に冷たい汗が流れた。
――レイ様は、どうするのかしら。
「マクシミリアン先輩は、何故私にそのようなことをおっしゃるのですか。私がレイモンド様に相応しくないとお思いなのですか……」
涙が滲んだ。自分でも彼の隣に立つには相応しくないと分かっている。
引っ込み思案で社交も下手、ダンスをすれば足を踏む、超方向音痴で……。
「泣かないでください、アリッサさん」
大きな掌がアリッサの頬を撫でた。
「あなたが彼に相応しくないのではありません。彼の方があなたに相応しくない!」
マクシミリアンの静かな抑揚のない声が、はっきりとそう告げた。
唇を真一文字に結び、瞳の奥に何かが揺らめいている。
「……あ、あの。掲示が終わりましたし、生徒会室に戻りませんか」
遠慮がちに提案すると、マクシミリアンはいつもの温和な笑顔に戻り、
「行きましょうか」
とアリッサの肩を叩いた。
◆◆◆
「まだやるんですか、エミリーさん……」
校内を走り回ってへとへとのキースを引きずるようにして、エミリーは普通科の教室前を往復していた。
「……言ったでしょ。何でもするって」
「言いました、言いましたけど、限度がありますよ」
剣技科の二年生と三年生、一年生の一部にも魅了の魔法をかけ、狂ったようにキースを追う彼らを転移魔法でまいてきた。
「何かあってもマシュー先生が何とかするって」
「僕は何かあってほしくありませんが」
「魔法科は魔法防御が高くて難しいし、普通科を狙うわ」
「今度は何て言って追われるんでしょうね」
「『俺と勝負しろ!』でないことは確かね」
魔法にかけられた剣技科の男子は九割以上が勝負を挑んできた。相手を気に入ると彼らは勝負を挑むらしい。
――同じ思考回路だってのが笑えるわ。流石脳筋……。
「女子に魔法をかけたらダメですか?」
「ダメ」
アイリーンは魅了の魔法を男子にしかかけない。女子を魅了しても魔力の無駄だ。
「ダメって、僕が女子を魅了するのを、エミリーさんがダメって……」
キースの顔がだらしなく緩んだ。
――何かまた勘違いしているみたいだけど、まあ、いいわ。
「理由は戻ったら教える。ほら、教室に残っている生徒に魔法をかけて」
普通科一年一組のドアを開き、エミリーはキースの背中を押した。
間もなく、キースの魔力の波動を感じた。ココアの匂いがする。
廊下に立っていると、背中に衝撃が走る。誰かがぶつかってきたのだ。
「うっ……痛い。誰?」
相手はぶつかった衝撃でよろめき、壁に当たった音がした。
――ちょっと、こっちが悪いみたいじゃないの。大袈裟じゃない?
厳しい視線を向けた先には、茶色のブレザーと銀色の髪が見えた。
「ジュリア!?」
廊下の壁に凭れてこちらを見ていたのは、快活な姉のジュリアだった。ポニーテールに結んだ銀髪は乱れており、アメジストの瞳は涙に濡れて、目の周りが赤くなっている。
――何があったの!?
「……エミリー」
抱きついてきたジュリアが大声を上げて泣き出し、人目を気にしたエミリーは瞬時に転移魔法を発動させた。




