42 悪役令嬢は恋愛詩集を渡される
「思ってたより、上手ね」
エミリーはキースの手を取り、空き教室まで転移魔法を発動させた。廊下に出て誰か生徒が歩いてこないか確認する。
「……エ、エミリーさん。はあ、はあ、……もう、無理、ですっ……」
後ろから息が上がったキースが、エミリーの肩に手を置いた。
「魔力はまだたっぷり残っているわよ」
「魔力があっても、体力がもちませんってば」
「剣技科の三年生は、流石に足が速かったわね」
他人事のようにエミリーが呟くのを、キースは涙目で聞いていた。
「また会ったら追われるんですか、僕」
「初めだけみたいよ。時期が来たら自然に効果は消えるって書いてあったもの」
「あと一週間も、僕に耐えられるでしょうか……」
「頑張って。応援してる」
にっこり笑ってキースの手を取れば、彼は真っ赤になってカクカクと頷く。エミリーはキースの操縦法が分かってきた気がした。
――単純。
「さて、次は……」
目の前のキースの顔色がサアッと青くなった。シトラスミントの香りがエミリーの鼻腔をくすぐる。慌てて手を離し振り向くと
「自習時間に魔法を乱用するとは……」
黒髪の魔法科教師が赤い瞳を光らせていた。
「ひっ……」
キースは歯が噛み合わないほどに怯えている。
――感づかれたか。仕方ない。
「私が転移魔法を使いました。マシュー先生は私の魔法に気づいたんですよね?」
背中にキースをかばう。
「魅了魔法と転移魔法の痕跡を辿ってきたら、お前達がいたんだ」
「だから、魔法を使ったのは私です」
「エミリーさん!」
「……黙って」
「そうか。説教されるのは自分一人でいいと言いたいのか」
マシューは長い腕を伸ばし、エミリーの手首を掴むと、無詠唱で転移魔法を発動させた。
「きゃっ」
「うわっ」
白い強い光が辺りに満ち、キースはぎゅっと目を瞑った。
◆◆◆
「ねえ、ジュリアちゃん」
「……」
机にうつ伏せになり、一時間目も二時間目も死んだように動かなかったジュリアを見かねて、後ろの席のレナードが肩を掴んで揺すった。
「起きなよ。次は実習だよ」
「……行かない」
「何があっても剣技の実技だけは出席していたじゃないか。どうしたの?お腹でも痛いの?」
「……違う」
「じゃあ、何なのさ。アレックスの奴も朝から機嫌が悪いし。……喧嘩でもした?」
「してないよ」
ジュリアが机から顔を上げた。天板に接していた頬が赤くなっている。
「顔に型がついてるよ」
「……別にいいよ」
「良くない。ほら、これを当てて撫でてみたら……」
レナードが質の良いハンカチを出してジュリアの頬に当て、優しくマッサージをする。
「くすぐったいよ、レナード」
「蒸した方がいいんだろうね、なかなか取れないな」
ガタリ。
最前列に座っていたアレックスが立ち上がった。大きな物音にジュリアの肩が震えた。
「……ネオブリー」
静かに低い声で、ジュリアではなくレナードに話しかけた。
「何だよ、アレックス」
名字で呼ばれて不穏な空気を感じたレナードが身構える。
「次の時間、俺と練習試合をしろ」
「命令かよ……別にいいぜ」
「逃げるなよ。何故だか無性にお前を叩きのめしたくて仕方ないんだ」
ジュリアに視線を向けることなく、アレックスは後ろの棚から練習用の剣を取り、教室を出て行った。
◆◆◆
「失礼します」
二時間目が終わり、三時間目との間の少し長い休み時間に、マリナはフィービー先生のいる職員室を訪ねた。
「待っていたわよ」
先生は椅子に腰かけてすらりとした脚を組み、授業中はまとめている長い浅葱色の髪を耳に掛けた。ゲームには出てこなかったが、モブにしておくのは惜しい二十代後半のモデル系美女である。言い寄る男が絶えないが、数式以外に興味がないと専らの噂である。
「私、授業に集中していなくて……申し訳」
「いいのよ。仕方ないわ」
途中まで反省の言葉を言いかけたマリナを止めて、先生はうふふと笑っている。何か企んでいそうだと、マリナは悪い予感がした。
「殿下が心配で授業も手につかないのよね?分かるわ、その気持ち」
「え……」
「だからね、あなたにお願いがあるのよ」
「私に?」
机の上の本と封筒を手に取り、マリナの前に差し出した。
「これを届けてほしいの。……王太子殿下に、ね」
「男子寮には私は入れません。他の方に……」
「封筒は小テストの答案だから見ちゃダメよ。本は頼まれていたものよ」
マリナは本の題名に目を走らせた。
「チェスター・リガルトの恋愛詩集?」
「ええ。直筆サイン入りよ」
王族特権でサイン本を手に入れられるのか。本好きのアリッサが聞いたら大騒ぎしそうだとマリナは思った。恋愛詩集の入手を数学教師に頼むとは、どういうことだろう。
「開けてみて」
言われるままにページをめくると、冒頭に≪フィービーに捧げる≫とある。
「あ……」
「ね?殿下に頼まれたって言ったら、彼、物凄く感激していたわ」
「これを侍従に渡せばいいのですね」
「あら、ダメよ。殿下の手に確実に渡してくれないと」
強引なフィービー先生に、マリナは少し苛立ちを覚えた。
「男子寮には入れないと言いましたよね?」
「門からは、ね……」
白い光がマリナを包む。
「なっ……」
頼んだわよ、と先生の声が遠くに聞こえ、眩しさに一瞬目を瞑ったマリナが目を開けると、そこは見慣れない部屋だった。天井の高さや窓の大きさは、女子寮の自分達の部屋と変わりないが、テーブルや椅子などの調度品はどれも美しく質の良いものばかりだ。
――もしかして、ここ……。
「……っ……マリナ?」
溜息交じりの艶やかな美声に振り返ると、天蓋付きのベッドの上から、深い青色の瞳がマリナを見つめていた。




