34 公爵令息は中庭で靴を脱がす
【レイモンド視点】
学院長の話の長さには、ほとほと呆れた。
歴史学者である彼は、王宮でセドリック王太子に勉強を教えており、俺もセドリックに付き合って一緒に学んでいたが、話が脱線して長くなるのだけは勘弁してほしいと思ったものだ。
今日の打ち合わせもすぐ終わるだろうと高をくくっていたら、下校時刻をとっくに過ぎてしまった。生徒会室にいた二人は寮に帰ったのだろうか。
階段を上がり、生徒会室の前まで来ると、中から楽しそうな話し声が聞こえた。聞きなれた可愛らしいアリッサの声と、いつもより饒舌なマクシミリアンの声だ。
――この男、こんなに話す奴だったか?
疑問に思いながらドアに手をかけた。
「あ、レイ様!おかえりなさい!」
入室した俺に瞬時に気づき、アリッサが弾んだ声をかけた。
「遅くなってすまない」
数歩軽く走り、彼女を腕に抱き寄せる。
「あ、あの、レイ様?」
マックス先輩が見ていますよ、と小さな声で俺を咎める。
――知ったことか。
「俺にこうされるのは嫌いか?」
「き、らい、じゃないです……」
真っ赤になって視線を彷徨わせながら呟いた。二人きりならここでキスするところだが、生憎今は邪魔な男がそこにいる。
「レイモンド副会長、打ち合わせはいかがでしたか」
マクシミリアン・ベイルズは、抑揚のない声で俺に問いかけた。アリッサから手を離し、打ち合わせの資料を中央の机に置いてマクシミリアンを見た。
「滞りなく済ませた。俺に確認したい事項とやらも、王宮に出入りしていた学院長にはほぼ知った内容だった。俺が行かなくても良かったのではないかと疑ったくらいだ」
学院生徒会側の代表として、こいつが先生に俺を推挙したのだ。王宮での儀礼なら、学院長も承知しているはずだし、セドリックは数えきれないくらい場数を踏んできている。俺を生徒会室から、いや、アリッサから遠ざけたいだけなのではないのか。
「そうでしたか。問題なく進みそうですね。安心しました」
「俺が出席して、問題など起こるわけがないだろう」
「ええ、そうですね」
マクシミリアンは灰色の瞳を細めて微かに笑った。優しそうだと女子に人気があるらしいが、何を企んでいるのか分からない。食えない奴だと思う。こんな奴とアリッサを二人きりにしてしまった。アリッサに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「さて。下校時刻も過ぎた。ここを施錠して帰るぞ」
「はい!」
帰り支度を済ませていたアリッサは、椅子の上から鞄を取る。
「あの、レイ様……遅れてくるって言ってたマリナちゃんが、来なくて、だから……」
「分かった。送っていく」
アリッサはいつもマリナと一緒に帰っている。姉妹の仲が良いのはその通りだが、方向音痴で一人では帰れないという理由もある。
「ありがとうございますっ」
上気した頬。喜色満面とはこのことだな。何て愛らしい。
「礼には及ばない……いや、礼をもらうとしようか。後でたっぷりとな」
俺は指先でアリッサの前髪を撫で、額に軽く口づけた。
◆◆◆
生徒会室の鍵の返却をマクシミリアンに頼み、俺達は先に校舎を出た。既に真っ暗になってしまった寮までの道は、朝とは違うものに見えるようで、アリッサはきょろきょろと落ち着かない様子だった。
「夜は、いつもと別の場所に見えますね」
「そうか。迷いそうか?」
「はい。もう、今どこにいるのかも分かりません。毎日マリナちゃんと帰っていた道なのに」
不安そうな顔で、俺の制服の袖をぎゅっと握る。こちらを見つめる瞳も頼りなげで、たまらなく庇護欲が掻き立てられた。
「心配するな。……ああ、このままだと夕食に遅れてしまうな」
「えっ……」
「早く戻らないと皆が心配するだろう?……中庭を抜けて行くか」
「はい」
俺の提案に素直に頷く。
放課後、夕暮れ時の中庭の意味を知らないのだろう。アリッサは疑うそぶりもなく俺についてきた。
庭園の中は、所々に魔法灯があり、ぼんやりと辺りを照らしているものの、基本的には薄暗かった。目を凝らして見れば、そこかしこに生徒達が愛を囁き合っている。男子寮と女子寮はそれぞれ異性の立ち入りが禁止されているから、校内で二人きりになれる場所は自ずと限られる。彼らの気持ちも理解できる。
「暗いですね。……キャッ」
石畳につま先を引っかけ、アリッサが前に倒れた。咄嗟に俺が支えて膝を擦り剥くには至らなかったが、立ち上がろうとして顔を顰めた。
「どうした。捻ったのか?」
「少し……でも、寮までなら大丈夫です。歩けます」
「無理をするな。悪化したらどうするんだ。……ほら、掴まれ」
腕に掴まったアリッサの背と膝裏に手を回して抱き上げる。
「ひゃっ……レイ様、お、下ろしてくださ……」
「君の要望は受け付けない。俺は俺のやりたいようにやらせてもらう。いいな?」
彼女に顔を近づけて囁く。アリッサはこくこくと頷いた。
◆◆◆
手近な四阿まで運び、椅子に座らせ靴と靴下を脱がせた。婚約者同士でなければ、令嬢が脚を見せるなど考えられないことだ。学院の制服は膝より長いスカートと膝下までの靴下で、女子生徒の脚が見えないようになっている。
「腫れているようにも見えるが……比べてみないと分からないな」
もう片方の靴と靴下を脱がせる。痛めていない足を見る必要などない。
左足を撫で、足首の様子を確かめる。
「こちらは何ともないか」
「はい」
痛めた右足を撫で、少しだけ足首を曲げてやると、「痛っ……」と声が聞こえる。捻ったのは間違いない。腫れは酷くないようだ。
「指先は動かせるか」
アリッサの白い足の指が動く。
「大丈夫だな。寮で手当てをしてもらうといい」
「はい。ありがとうございます」
再び靴を履かせて抱き上げる。
「落ちないように掴まっていろ」
どうしたらよいのか分からず、もぞもぞと動くアリッサに苦笑して、俺は寮への道を急いだ。
◆◆◆
女子寮にアリッサを送り届け、寮の自室へ戻ると、セドリック付きの侍従が俺を待ち構えていた。
「レイモンド様!で、殿下は?」
「先に帰ったんじゃないのか?」
「まだお戻りになりません。生徒会活動の後、レイモンド様とご一緒に戻られるとばかり思っておりました」
「……まったく」
どこをほっつき歩いているんだ。あの馬鹿は。
「……探してくる。セドリックがいないことは、他の生徒に知られないように」
「承知いたしました」
うちの使用人が答えて、侍従と何やら話を始めた。
学院の中から出ていないのなら、すぐに見つかる。道に迷うはずはない。可能性があるとすれば……。
――昼間の件でいじけてるのか?
俺は溜息をついて、寮の部屋を飛び出した。




