12 悪役令嬢は図書館に行く
三女アリッサの物語です。10歳になっています。
グランディア王国の王都、王宮にほど近い一等地に、初代グランディア国王の弟を始祖に持つオードファン公爵は居を構えていた。宰相を務める彼は、いつ王に呼び出されるか分からない。王宮が近いのはありがたい。
「おはようございます。旦那様」
執事が挨拶する。公爵は朝食の場に息子がいないことに気づき、彼に問いかけた。
「レイモンドはどうした。まだ寝ているのか」
「いえ。坊ちゃまはお食事を済ませられ、今朝は早々と王立図書館へ向かわれました」
「またか」
「はい」
侯爵は額を押さえそのまま席に着いた。整っていないアイスブルーの髪の毛が、はらりと額にかかる。家族の団欒より本を選ぶのかあいつは。
「王立図書館の本は読みつくしたと言っていたが」
「はい。私もそのように伺っております。ですが、このところ、面白い本を見つけられたようでして」
「新しい本でも入ったのかな。外国の本は珍しいものが揃っているからな」
公爵は息子が学問へ飽くなき探求心を持っていることに満足し口髭を撫でると、そろそろ王に進言すべき時が来たなと鋭い目つきで外を眺めた。
◆◆◆
「お父様、図書館に連れて行って!」
「またかい、アリッサ。一昨日行ったばかりだろう」
「借りてきた本は読んじゃったもの。新しい本が読みたいんですぅ」
そうかそうかと頷きながら、ハーリオン侯爵は娘が借りていた本を見る。
「『ユーギディリア国戦記』?戦記物が好きなのかい、アリッサ?」
侯爵はぎょっとして尋ねる。大人の、それも一部の自称歴史家や歴史を語りたい趣味人が読むような分厚い本である。確か、一巻では終わらなかったはずだ。先日十歳の誕生日を迎えた少女が読むような本ではない。
「一番好きかと言われると、そうでもないなあ……でも、お父様」
「うん?」
「もっと面白い、心惹かれるものが、図書館にはあるの」
バラ色の頬をした甘えん坊の娘を膝に乗せ、侯爵は執事に馬車の支度を言いつけた。
「図書館は万人に開かれているが、お前のような子供が難しい歴史書を読んでいると知ったら、副館長は驚くだろうな」
ハーリオン侯爵は勝ち誇ったようにふふんと笑った。王立図書館の館長は名誉職であり、王立学院の学院長が兼ねている。普段は滅多に図書館にいないので、実際には副館長が事務を仕切っていた。
「副館長さん?」
「ああ。本が好きな生真面目な男だ。私の勤める王立博物館が新しい宝物を展示して人気があるからって、何かにつけ嫉妬している心の狭い奴でな」
ハーリオン侯爵は骨とう品や宝飾品の目利きである。歴史文化にも精通しており、名誉職ではあるが王立博物館の館長を務めている。
「きれいなお宝は女子供が見て喜ぶだろうが、権威ある学術書を多くそろえた自分のところの図書館は、成人男子の憩いの場であり、格が違うんだそうだ」
「なにそれ!じゃあ、アリッサみたいな女の子は入っちゃいけないの?」
「もう何回も通っているじゃないか。本来あそこは、入れる人・入れない人の区別はない。勿論、貴族だけの場所でもない。平民も多く通っている。アリッサは堂々と入って、本を読めるんだよ」
銀色の髪をくしゃりと撫で、侯爵は娘を連れて玄関ホールへ向かった。
◆◆◆
「どうしてだめなんですか?」
ユーギディリア国戦記の次巻を手に、アリッサは一人の男性と対峙していた。ハーリオン侯爵は図書館の隣に立つ王立博物館に顔を出すと言って、知り合いの司書にその場を頼み、しばしばアリッサを一人にすることがあった。
「それはね、子供に貸す本じゃないんだよ、お嬢ちゃん」
お嬢ちゃん、の部分に明らかな侮蔑が含まれていたのを、アリッサは聞き逃さなかった。
「図書館の入口の壁には、誰でも入っていいし、誰でも本を借りられると書いてありました。あれは嘘なのですか?」
「本を読める人なら、ね。悪いけどお嬢ちゃん、その本の内容が理解できるのかな。挿絵をパラパラめくって見ているだけじゃないのかい」
酷い侮辱だ。アリッサは外国語で書かれた本も読めるし、古代語で書かれた本もだいたい理解できている。父の顔なじみの司書はそれを知っていて、いつもは快く本を渡してくれるのに。今日に限って知らない男が言いがかりをつけてきたのだ。
「……ちゃんと、読んで、ます」
「厚い本なのに、二日や三日で返している。到底理解できているように思えないが」
「読んでるもん……」
まずい、涙が出そうだ。
ここで泣いたらますます子ども扱いされてしまうと、唇が白くなるほど噛みしめ必死に涙を堪えたが、瞬きをした時に涙が溢れた。
「……うっ……く……」
俯くと、隣に進み出る誰かの足が見えた。
「セデウス副館長は、初代国王陛下が掲げられた宣言に加えて、独自の判断基準をお持ちのようですね」
聞き覚えのある声にアリッサが顔を上げる。深緑色の瞳と視線が絡む。
「レイ様……」
読書をする時だけ身に付ける眼鏡はないが、ゲームのスチルで見た彼の面影そのままに、レイモンド・オードファンは凛として立っていた。癖のないアイスブルーの髪が、怜悧な美貌を一層冷たく見せている。
「おや、オードファン公爵の……」
宰相令息と気づいたのか、セデウスは目にいやらしい作り笑いを浮かべた。
「か弱い女の子を追い出そうとしておきながら、一方で権力にゴマをするのはいかがなものでしょう。あなたの役割は、図書館から女性や子供を締め出すことではないはずですが」
レイモンドも父である宰相の権力がなければ、副館長に追い出されていたに違いない。涙ぐんで訴えるアリッサを見て放っておけなかった。
「いやいや、私はただ……」
「彼女は多くの外国語を理解していますし、この本だって文字を追ってしっかり読んでいます。子供だから読めないと考えるのは早計ではないですか?」
ぐっ、と副館長が言葉に詰まった。読んでいないから本を取り上げようとしたのに、これでは貸さない理由が立たない。
「……分かりました。お貸ししましょう」
やった!とアリッサは瞳を輝かせてレイモンドを見た。なおも冷酷な表情で彼は副館長を睨んでいる。
「そうですか。では、彼女に謝っていただきましょうか。この場で。事の次第は我が父から、ハーリオン侯爵に伝えておきますね」
「ひぃっ。あの、これは……」
筆頭公爵家と筆頭侯爵家を敵に回すとあって、副館長は血の気が引いた顔をした。
「初代国王の言いつけを守らない者を、王立図書館に置いておけるとでも?」
レイモンド少年は可愛らしく小首を傾げ、正面の男に視線を投げた。その瞳はまるで見る者全てを凍らせるようだった。




