33 悪役令嬢は近道をする
「では……手紙を書いたのはあなたではないのですか」
ハロルドは静かに訊ねた。心なしか声が震えている。
「はい。この字は私の字ではありません」
手紙を最後まで読んで机に置き、マリナは彼を見た。視線が絡む。読んでいる間中ずっと見つめられていたのか。
「確かに、随分と乱れているとは思いましたが」
「私の名を騙り、誰かがお兄様を中庭に呼び出しているのです。心当たりは?」
少し間が空いて、彼は首を振った。
「いいえ。まったく」
「そうですか……」
「私を呼び出しても、何の得にもなりませんよ」
「もしかして、お兄様のことが好きな方がいて……」
「やめてください、マリナ」
幾分強い口調でハロルドが制止する。窓枠に身体を押しつけられ、頬から顎へと滑る手に上を向かされる。
――!!
親指がマリナの唇をなぞる。
「あなたの唇から、そんな話は聞きたくありません。例え想像の中でも、私に他の女性を押しつけようとするなんて……耐えられない!」
最後は悲痛な叫びに聞こえた。マリナを見つめるハロルドの瞳に影が差し、昏く輝く。
「王太子妃の座におさまるために……私が邪魔なのでしょう?」
「そんな……」
「身分不相応な想いを抱く男など、ハーリオン家に戻って来なければよかったと、死んでしまえばよかったと思っているのでしょう?」
「……っ、思っていません!」
――死ぬなんて言ってほしくない!
マリナが小さく叫ぶと、顎にかけられたハロルドの手がびくりと震えて離れた。
「ずっと……ずっと心配していました。習い事のダンスの時も、何度もお兄様を思い出して、苦しくて……」
その先は言葉が続かなかった。苦しい気持ちがあったのは真実だが、それが何なのかマリナには言い表せない。
「……マリナ」
先程までの棘のある口調が穏やかに変わり、ハロルドは愛しそうに名を呼んだ。青緑色の瞳は優しく微笑んでいる。
「お兄様……あっ」
マリナはきつく抱きしめられた。首筋に顔を埋めたハロルドが
「許してください……」
と苦しげに呟く。声は耳から全身を駆け抜け、マリナの思考を鈍らせた。
「手紙を受け取り、あなたから頼られたと、仄かな期待を持ってしまったのです。王太子から逃れるために私に救いの手を求めたのだと」
カタリ。
小さな音に気づき、ハロルドがマリナから身体を離した。教室には二人だけで、ドアも閉まっていた。義理とはいえ、兄妹で抱き合っている姿を見られるのは……。
ハロルドの肩越しにドアを見たマリナは、去って行った背中に見覚えがあった。少しだけ癖のある金色の髪、普通科の制服……。
――セドリック様に見られた!?
◆◆◆
「うん。いいですね。うまくまとめられていますね」
マクシミリアンに褒められ、アリッサはほっと胸をなでおろした。
「生徒総会の資料は、これで全部でしょうか」
「そうですね。それから、選挙の準備があります。生徒総会の前に選挙で役員を選びます」
「立候補の届け出は明日まででしたよね」
「今日現在、三名の立候補者がいます。書記に一人、会計に二人。書記にキース君が立候補した話は校内でも有名なようで、彼に立ち向かおうとする立候補者はいないでしょうね」
「生徒会長と副会長のお墨付きだと言われていますもの」
「対抗馬が出ても、レイモンド副会長が裏で手を回して立候補を取り下げさせるのでは?」
悪戯な微笑を浮かべ、マクシミリアンは軽くウインクした。
「まあ!レイ様はそんなこと……」
しない、と言いかけて、いや、待てよと首を捻る。
「……しちゃうかもしれませんね」
「ふふ。あなたは素直ですね、アリッサさん。そういうところが、副会長のお気に入りなのでしょう」
「か、からかわないでください!」
何か別の話題を見つけなければ。
「あ、あの、殿下はまだいらっしゃいませんね」
時計を見ればもうすぐ下校時刻になるところだ。
「どうされたのでしょうね。いつもならそこの長椅子に寝転がってマリナさんを……と、マリナさんは遅れると言っていましたか」
「遅れると聞いています。でも、遅すぎると思うんです」
「殿下が下校するのにつきあわされでもしたのでしょうか。レイモンド副会長が職員室から戻ったら、鍵を閉めて出ましょう」
「はい。レイ様が戻られるまで、片づけて待っていることにします」
◆◆◆
下校のチャイムが鳴った。
「ええー?もうこんな時間?」
「始めたのが遅かったから、あっと言う間だったな」
打ち合っていた剣を下ろし、ジュリアとアレックスは脱力した。
レナードが出て行った後、演説を考えるのを早々に諦めて、剣の練習でもすれば名案が浮かぶとばかりに二人で練習場に来たのである。先客がいて、彼らが終わった後に打ち合いを始めたが、下校時刻まで僅かな時間しかなかった。
「なんか、消化不良!身体が温まってきたところなのに。もっと練習したい!」
「残ってると見回りの先生に怒られるぞ。魔法灯も消えちまうし」
「それは困る」
魔法が使えない二人には、一度消えた魔法灯を点ける技術はない。真っ暗になったらおしまいだ。渋々練習場を出た。
「日が暮れるのが早くなったな。秋だもんな」
オレンジ色から闇色へ変化する空を見上げてアレックスが言う。夕日が彼の金色の瞳に宿り、燃え立つような色に見える。
「綺麗な色……」
「だな。何色って言うんだろうな」
「暗くなる前に帰ろう。……あ、そうだ。近道して行こう?」
「近道なんてあるのか?一本道だろ」
「ふっふーん。私を甘く見ないでよ。入学してからあんまり経ってないけど、もう近道を発見したよ。走って寮に戻る時、半分くらいの時間で行けるんだ」
腰に手を当て胸を張る。
「忘れ物を取りに、か」
はあ、と溜息をつかれる。
「ちゃんと授業の前に戻ってるんだからいいでしょうが」
「教科書くらい確認して持って来いよ。毎回取りに戻るの大変だろ」
「うん。だから、毎日ある授業の分は、なるべく置いてくことにしたの」
「そっちかよ!」
中庭と外周の道路との分岐に着いて、アレックスは立ち止まった。
「近道って、中庭のことか?」
「そうだよ。道路はないけど、少し石畳はあるし、草むらを走るわけじゃないもん。真っ直ぐ行けば早い」
「う、ああ。早いのは、分かった。」
途端にアレックスの歯切れが悪くなった。
「どうかした?」
「……あのさ、ジュリアは中庭の話、聞いたことあるか?」
視線を逸らして顔を赤くしている。
「オバケ、ではなさそうだよね。アレックス、顔赤いし」
怪談なら青くなるはずだ。
「ばっ……これは、違う!」
両手で顔を覆い、顔を洗うような仕草をする。こすって取れるものではないのに。
「何かあるの?一年生は入っちゃダメで、うっかり入ったら先輩にシメられるとか」
「ダメじゃない。ダメじゃ、ない、けど……あのな」
「うん」
「中庭はデートコースなんだよ」
「へえ、だから?デートでなくても通っていいんでしょ」
「……」
アレックスはそれきり黙ってしまった。金色の瞳は下を向いたままだ。
ジュリアが中庭へ歩を進めると、黙って隣をついてくるものの、何の話題を振っても会話は成立しない。
「ねえ。何とか言ってよ」
「……」
「話、しないなら、一緒に帰ってる意味ないよ?」
思わず制服の袖を引く。アレックスが立ち止まった。
「俺は、お前にとって、親友か?」
「うん。背中を預けられるのはアレックスだけだよ」
ジュリアは屈託のない笑みを浮かべる。
「……俺は、違う」
――え?親友だと思ってないってこと?
「背中を預けられるのはお前だけだとは思ってる。一緒に戦いたい。だけど、お前が傷つくのは嫌だ。傷つかないように守りたいんだ!」
「アレックス……」
「騎士になって戦いたいお前には、迷惑なんだろ……」
伏せられていた瞳が、決意に満ちて輝く。ジュリアを強い視線が貫いた。アレックスは一つ大きく息を吐き、ゆっくりと口を開いた。
「お前が好きなんだ、ジュリア。……親友としてじゃなく、男として」
秋の冷えた風が中庭の木々を揺らした。




