30 悪役令嬢はヒロインに喧嘩を売られる
食事を終えたアリッサを教室まで送りながら、レイモンドは終始にやにやしていた。
「楽しそうですね、レイ様」
下から覗き込むと、眼鏡の奥の緑色の瞳が細められる。
「今日の昼食は久々に面白かったな」
「面白い?」
――よくわからないわ。マリナちゃんはあんなに真っ青になってたのに。
「ハリーお兄様を昼食に誘ったのは、レイ様なのですか?」
「あいつの方から一緒に昼食を取ろうと誘ってきたんだ。セドリックが入学する前は、いつも二人で食べていたからな。たまにはいいかと思って」
レイモンドの気まぐれで、胃が痛くなるような展開が生まれたのだ。アリッサはマリナに申し訳ない気持ちだった。
「セドリックには言っていないが、ハロルドはマリナをとても心配していたんだ。無理に付き合わされているんじゃないかって。昨日の一件もあったからな」
公衆の面前でマリナがセドリックにキスされたと知り、ハロルドが心穏やかでいられるはずはない。何らかのアクションを起こすだろうとは予測していたものの、直接王太子と口論するとは思ってもみなかった。
「誰もセドリックを止める人間がいなかったんだ。ハロルドがマリナを連れ出したことで、あいつも今までの自分を見直すだろう」
「そうでしょうか」
「ん?」
「私は、王太子殿下が意地になって、マリナちゃんを自分のものにしようとするような気が……嫌な予感がしてたまらないんです」
「俺も気をつける。アリッサもなるべくマリナについているんだ。セドリックにもマリナにも不名誉な事態だけは避けなければな」
「はい!頑張ります!」
決意に満ちた目でレイモンドを見ると、彼は少しだけ笑った。
◆◆◆
「これといったことは……」
エミリーはぼそぼそと歯切れ悪く答えた。魅了の魔法の話をしたなんて言えるわけはない。王太子ら他の攻略対象者は、三人の姉達が婚約者や婚約者もどきになっていて完全にフリーではないため、アイリーンはライバルがいないマシューを先にオトそうとしている。接点を持ちやすい担当教官で、教官室に引き籠りの彼は居場所も分かりやすい。ゲーム攻略には都合がよかったのだが、現実にはアイリーンに付け入る隙を与えてしまっている。
マシューが担当している生徒はアイリーンとエミリーの二人だけで、エミリーを邪魔に思うアイリーンは、マシューのいないところで毎日のようにエミリーに難癖をつけてくる。これではどちらが悪役令嬢か分からない。
「ふうん。どうせ、マシュー先生を脅かして、誑かして、試験の点数に色をつけてもらおうってところでしょ。あなた、この間の測定テストを受けていないのよね?私の次だったから」
ピキ。
エミリーのこめかみに青筋が浮き出た。
――誰が誑かすだって?誑かしてんのはお・ま・え・だ・ろ!
テストを受けていないのは、アイリーンが装置を壊したからであって……ああ、反論するのも面倒くさい。いろいろあったし、午後の授業をサボって寮に帰って寝たい。
「(昼寝する)時間がないからお先に失礼。ごきげんよう」
令嬢らしくスマートに挨拶するも、アイリーンにローブを掴まれる。
「話は終わってないわよ」
「……」
――なんだ、しつこいな、このスッポン女。
「あなた、回復魔法が使えないんですって?」
「ハイ」
「光魔法属性が壊滅だって聞いたわ」
「ハイ」
お前は光魔法以外壊滅だけどな、と心の中で付け加える。
――うんざり。
これからお決まりの魔力自慢が始まるのだろう。返事するのも面倒だ。とりあえずハイハイ言っておけばいいか。エミリーは心底面倒になって、アイリーンの話に適当に相槌を打つことに決めた。
「私なら、教室中の皆を一瞬で回復できるわよ」
「ハイ」
私なら、教室中の皆を一瞬で殲滅できる……おっと。
「私ほどの魔力の持ち主は他にいないと思わない?」
「ハイ」
「ああ、マシュー先生は別よ?」
「ハイ」
「マシュー先生は魔力が高いから、きっと長命なんでしょうね」
「ハイ」
「私も魔力が高いからきっと長命ね」
「ハイ」
こいつ長生きするのか、やだなー。死ぬまで何回顔を合わせるんだか……。
「マシュー先生はずっと独身でいるつもりかしら」
「ハイ」
「私くらいの魔力があれば、妻に望まれるかもしれないわ、ふふ」
「ハイ」
「だから、練習時間にあなたがいるのは邪魔なの」
「ハイ」
「次から欠席してもらえる?あ、もしかしてあなた……」
「ハイ」
「マシュー先生が好きなの?」
「ハイ」
「ええっ、ちょっと、それは困るわ。全力でつぶすわよ」
「ハイ……ん?」
何が困るんだ?とエミリーは思った。直前の会話が思い出せない。ゲームならログ機能で読み返せるのに。現実の会話をスキップするからこうなってしまった。失敗だ。
「あの、何で、つぶされなきゃならないんですかね」
「当たり前でしょ!恋のライバルは早々につぶさないと。明日から本気出していくわよ」
「恋って、……はあ!?」
「見てなさい、エミリー・ハーリオン。マシュー先生のハートを奪うのは私よ!」
高らかに宣言したアイリーンは、ピンク色の髪を靡かせて校舎の方向へ走って行った。
「教官室に用事があったんじゃないのか?」
エミリーが振り向くと、先ほどまで部屋の中にいたはずのマシューが戸口に立っており、口元を押えながらエミリーをちらちら見ている。普段から顔色の悪い彼が、心なしか頬が赤いのが気になる。
「帰ったから、たいした用事じゃなかったんでしょうね」
アイリーンの後姿を遠くに見て、エミリーはふう、と息を吐いた。疲れた。光魔法がどうとか言ってた気がするけど、それがどうして恋だのなんだのって話になったんだっけ?
「……エミリー」
「……」
「エミリー!」
少し大きい声で呼びかけられ、肩を掴まれて、エミリーは我に返った。
「ひっ、あ、すみません」
肩を掴むマシューの手のひらが熱い。無意識に魔力が漏れているようだ。エミリーにはマシューの魔力の波動は心地よく感じられるが、問題はそこではなかった。
「本当なのか?……さっき言っていたことは」
風が吹いて髪が流され、マシューの赤い瞳がエミリーを射抜いた。
◆◆◆
「ジュリア……俺、やっぱ、無理!」
アレックスがペンと紙を放り投げた。
床にコロコロと転がったペンをレナードが拾い上げる。
「忍耐力が足りないぞ、アレックス。……喝!」
真面目な顔でアレックスの額にチョップをするジュリアだったが、手元にある紙には三行しか書かれていない。
「人のこと言えないでしょ、ジュリアちゃんも。どれどれ……私が生徒会会計に立候補しました剣技科一年のジュリア・ハーリオンです……って、これしか書いてないの!?」
レナードが「マジか!」と絶叫しながら髪を掻き毟る。
「何書けばいいの?趣味とか特技?どっちも剣なんだけど」
「俺も」
「アレックスもかー。気が合うね、私達!」
「お、おう……」
楽しそうに微笑むジュリアと、前の席に後ろ向きに座って向かい合っているアレックスが、剣の話で脱線しそうになり、レナードが慌てて話を戻した。
「剣技科の生徒の大半はそうだろうね。で?もっと他に書くことあるでしょ?」
ジュリア達三人は、昼休みと五、六時間目の座学の授業中にこっそり演説文を考え、放課後にまとめようと約束していた。が、もとより文章力のないジュリアとアレックスには、いい演説文が思い浮かぶはずもなく、頼みの綱のレナードも六行しか書けていない。皆似たり寄ったりだ。
「どうせ原稿を作ったって、ジュリアはそのまま読まないんだろ?」
「原稿から目が離せないのはカッコ悪いもん」
「じゃあ、要点だけ書いておくのはどうかな。まず、自己紹介。次に、選挙に出た理由……」
「さっすがレナード、頭いいね!」
「演説は剣技科から始めるんだろ?うちのクラスはいつでもできるから、二年と三年の教室に行って、明日の休み時間に演説させてもらえないか頼んでくるよ」
机に手をついて勢いよく立ち上がり、レナードは教室を出て行った。




