29 悪役令嬢は生徒会役員に立候補する
普通科のある南棟の一階まで来ると、流石に脚にこたえたのか、ハロルドは立ち止まってマリナを振り返った。
「勝手に連れ出してしまって、申し訳ありません」
優しく穏やかな声音にはもう、セドリックに対して露わにしたような怒りの気配はない。
「いえ」
通路を避けて階段の裏側に歩いていく。掴んでいた手は、優しくエスコートするようなものに変わっていた。
「大丈夫ですか」
「はい」
ここは連れ出してくれた礼をいうべきなのだろうか。あの場にいたくなかったのは本当だが、いたくない理由の半分は目の前の義兄にある。
「途中からあなたの顔色がどんどん青ざめていって、小さく震えていたので心配しました。食事のマナーが完璧なあなたが食べ物を落とすなど、見ていて痛々しく……」
マリナが何も言えないでいると、ハロルドはセドリックへの敵対心を随所に滲ませながら、今日の昼食での会話を辿った。
「夜着を……見られたというのは本当ですか」
――そこか!
マリナは眩暈に襲われそうになった。
「はい。以前王宮に一晩泊まった時に」
「王族しか知らない隠し通路から、あなたの部屋に忍び込むなど、未来の国王のすることではありませんね」
確かに。あの時はドン引きだった。
「ええ。私も驚きましたわ」
「そうでしょう」
セドリックを批判しているハロルドも、王宮で王太子と出会ってしまって落ち込むマリナを慰める口実で、夜に寝室を訪ねようとしたことがあった。
――同じ穴の貉じゃない。どっちもどっちだわ。
「昨日の話は、レイモンドからも聞いています。あなたが一人で思い悩むことはありません。相手が王族であろうと、あなたの意思を曲げる必要はどこにもないのです」
繊細な指がマリナの手に触れ両手で挟まれる。
「マリナ」
愁いを帯びた青緑色の瞳に熱が籠る。
「あなたが私を頼って手紙をくださったこと、嬉しく思います。……話の続きは、また今夜」
恭しく手の甲に口づけると、穏やかに笑ってハロルドは人ごみに紛れた。
「待って、ハリーお兄様」
――手紙って、何のこと?
訊ねようとした時には、彼の姿を見失ってしまった後だった。
◆◆◆
「失礼します」
アレックスが生徒会室のドアを開け、中にいる誰かに呼びかけた。
ドアが開いたところからして、昼休みに仕事をしている生徒会役員がいるようだ。
「どうぞ」
レイモンドやセドリックの声ではない。ジュリアには聞きなれない声がした。中に入ると、普通科の制服を着た男子生徒が一人、書類に目を走らせているところだった。
――こんな人、生徒会にいたかな?
ジュリアが首を傾げた。付き添いのアレックスが彼に話しかける。彼は二年生で、マクシミリアンという名前らしい。
「生徒会役員選挙に立候補したいんです」
「君が?確か、レイモンド副会長に誘われていたよね」
「立候補するのは僕ではありません。ジュリアです」
「ジュリアさん?ええと、マリナさんやアリッサさんの……」
「マリナとアリッサの間、ハーリオン侯爵家の次女です。クラスはアレックスと同じ、剣技科一年です。特技は……」
「それは言わなくていいって」
アレックスが小声で止める。
「立候補するのは、書記ですか、会計ですか?どちらも一人ずつ立候補を届け出た生徒がいますので、どちらに立候補しても選挙戦になりますね」
書記に立候補したのはキースだろう。会計に立候補したのは、おそらく……。
「立候補したのは二年生ですか?上級生相手で勝ち目がないかな……。剣技科から立候補したとは聞いていないし……」
困ったように呟いて、ジュリアはマクシミリアンから情報を引き出そうとする。
「どちらも一年生ですよ。それも、魔法科の」
――やっぱり!
「選挙の後はすぐに、文化祭やアスタシフォンからの留学生への対応などで忙しくなります。私個人としては戦力になる方に生徒会役員になっていただきたいのです。ジュリアさんには役員になる覚悟がありますか」
「もちろんです!」
覚悟を問われると疑問ではあるが、アイリーンを生徒会に入れないため、ひいては自分達が没落死亡エンドに向かうのを防ぐために、ジュリアは精一杯取り組む覚悟はあった。
「わかりました。では、こちらの用紙に名前とクラスを書いてください。希望する役職は……」
「会計です」
「ここに会計と書いてください。私から顧問の先生に届けます」
ジュリアはさらさらとペンを走らせた。
「よし。……よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
アレックスも隣で頭を下げた。
立候補届出書類を確認したマクシミリアンが頷くと、二人は「失礼します」と声を揃えて言い、生徒会室を後にした。
◆◆◆
魔法科教官室から出ていくらも行かないうちに、エミリーは校舎の陰に佇む人影に気づいた。
「……アイリーン」
「ちょっと、まちなさいよ!」
陰気な魔法科教師マシューの説教の後は、こいつか。
ふわふわしたピンク色の髪を左右で少しずつ結った(自称)美少女は、毎日気合の入った化粧を施し、マシューの部屋を訪れているのだった。
「げ」
「すごく嫌そうな顔しなくてもいいわ。私だって要件は手短に済ませたいの」
そんなことを言って、結構長かったことが何回ありましたかね、とエミリーは内心毒づいた。ヒロインであるアイリーンは、悪役令嬢であるハーリオン四姉妹に対して自分の意見を述べる時に、多少芝居がかり自分の世界へ入り込んでしまうところがあった。マシューの前でのブリッコとは大違いの厳しい視線がエミリーを突き刺す。
「……何?私は特にあなたと話すことはないけど」
「あら。私達、同じ先生が指導教官ですもの。あなたが何を指導されていたか、お聞きしてもいいでしょう」
――あああああ!面倒くさい!
頭を掻きむしりたくなる衝動を抑えて、エミリーは無表情でアイリーンを見つめた。




