11 悪役令嬢の密談 4
馬車の中でこぶを作って、私が男と……と譫言のように呟く侯爵が邸に着いた時、侍女達は旦那様が心の病にかかってしまわれたと騒然となり、執事のジョンが一喝して男達数名に主人を寝室まで運ばせると、すぐに侯爵夫人を呼びに行かせた。
夫が寝息を立てたのを確認し、侯爵夫人は自室にジュリアを呼び、事の顛末を聞き出そうとした。
「馬車が揺れたのね?」
「うん。道がでこぼこしてたみたいで、お父様が前に転がって」
「じゃあ、何で男がどうとか言っているのかしらね?」
「う」
「ジュリア、あなたお父様に何か言ったのね」
いつも通り、目が笑っていない侯爵夫人は、ジュリアの目を見てゆっくりと話す。
「お父様が」
「お父様が?」
「男の方と、恋人になったことがあるかって聞いた」
「はあ?」
ヒイイイイ!
侯爵夫人の目が三角に見えるほど吊り上がり、ジュリアは心の中で悲鳴を上げた。なまじクール系美人なだけに、怒ると迫力が半端ない。銀髪と紫目と白い肌が全体的に無機質な印象でも、今は全身で怒っているのが分かる。
「この私を妻にしておきながら、男に走るなんて!ありえない!」
怒りに震えた侯爵夫人が大股で夫婦の寝室へ戻る。侍女が後を追う。
「た、助かった……」
◆◆◆
「お母様、怖い。マジで」
ジュリアはアリッサのベッドの上で、他の三人に説明していた。
「お父様が男と付き合うなんて、無理でしょ」
「お母様に知られたら、運河に突き落とされるか、アレをちょん切られて……」
四姉妹の母は元王太子妃候補であり、夫や家族におだてられて育っただけにやたらプライドが高い。
「エミリー。はしたないわよ」
「お父様はどっちかしら」
「どっちって。うーん、≪受け≫かしら?」
「こら、アリッサ!そこ、ジュリアも笑わない!あなたが変なこと言うから、お父様が倒れたんでしょう」
「倒れたのは馬車が……」
「譫言で男、男、って呟いてる」
「今頃お母様に問い詰められていると思うわ。可哀想なお父様」
ヴィルソード侯爵邸で、アレックスとあわや全裸水浴びになりそうだった件について、ジュリアは包み隠さず姉妹に打ち明けた。
「危なかったわね、ジュリア。無理やり脱がされた挙句、女だってバレたら、騎士家系のアレックスのことだから、責任を取って婚約するとか言い出しそうだもの」
「執事さんグッジョブ!面倒くさいブラウスで助かったね、ジュリアちゃん。お母様にもっと凝ったブラウスをおねだりしようね」
「……で?どうなの。見たの?」
ニヤリ、とエミリーが唇の端を上げる。
「あー、私も気になるぅ。どうだったの、ジュリアちゃん」
見たかと言われれば見たのかもしれないが、はっきり見たわけではなく。ジュリアは返答に困った。
「分かんないっ!どうせ見たって子供なんだし!」
「そうよねー」
「うちの隣に住んでた奴も、夏になると妹と二人で庭で水浴びしてたでしょ。あれと同じ!」
ジュリアは前世の隣人を思い出した。この少年が成長してやがて、四人を死に至らしめる火災を引き起こすのだが。
「今日は未遂だったけど、成長していけば体つきも変わるし、いつかは女だってバレるよ。マリナの言うように、男としてアレックスを誑かすのは難しい。お父様なら何か知らないかと思ったんだよ」
一同は、ああーと生温い目をしてジュリアを見る。第一、質問する内容がおかしいし、質問する相手もおかしいし、猪突猛進過ぎて救いがたい。
「お父様だって普通のアラサー男なのよ。いくらイケメンで、男友達が多くても、いきなりあなた……」
「お父様は両刀ですか?って聞いたようなものね」
「エミリー!」
「分かりやすく言ったまで」
「お母様怒ってたし、夫婦喧嘩になっちゃうよぉ」
アリッサが熊のぬいぐるみを抱きしめ、目に涙を溜めている。家族の仲が険悪になることに人一倍敏感なのである。
「分かった。私、行って謝ってくる!」
「ジュリア!」
ベッドから飛び降りたジュリアが走り出すと、運動不足の三姉妹は追いつくことができなかった。
◆◆◆
ジュリアが両親に謝罪する時間は、相当かかると思われた。マリナ・アリッサ・エミリーはそれぞれのベッドに横たわり、部屋を消灯して寝る準備を整えていた。
バン!
勢いよくドアが開かれ、息を荒くしたジュリアが飛び込んでくる。
「あら、随分早かったわね」
「お父様寝ちゃってた?」
「ハア、ハア、ハア……」
「別に走って戻ることないのに」
「いや、あの、は、早く戻りたくてっ」
三姉妹は、日頃庭を走り回っているジュリアが、こんなに全力疾走して顔を赤くしているのを見たことがなかった。
「何かあった?」
入口近くのエミリーのベッドに座ったジュリアを囲むように、三人が座った。
「お父様とお母様の部屋に行こうとしたんだ。そうしたら、行くなって侍女が止めるから」
「強行突破したんでしょ」
「うん」
「ジュリアちゃんの足の速さには誰も勝てないものね」
「うん。で、さ」
「お母様、怒ってた?」
「怒って、はいなかった。部屋の傍まできたら、中からお母様の……声が聞こえて」
ジュリアの声が次第に小さくなる。
「声が?」
マリナが首を傾げる。
「ふうん。アレでしょ」
エミリーがにたりと笑う。
「アレってなあに?」
「喘ぎ声ね」
「なっ!」
こくん、とジュリアが真っ赤になってカクカクと頷くと、マリナが声を上げて赤面し、アリッサがぬいぐるみの首を絞めた。
翌朝。
家族でとる朝食の席に侯爵夫妻は現れず、姉妹とハロルドは子供だけで食事をした。
事情を知らない義兄は、侯爵が病に倒れたと思っていたが、執事から現状を知らされ真っ赤になって俯いていた。
「ジョンてば、絶対オブラートにくるまないから」
「お兄様意外と初心なのね」
「マリナに対しては手が早そうだけど」
「何言ってるのよ」
こそこそ話をしながら義兄に視線を向ければ、青緑の瞳がこちらを見ている。
小さく溜息をついてマリナは野菜を口に運んだ。




