閑話 ヴィルソード侯爵の手紙(連載1か月記念)
以前、1か月記念で掲載したものです。
入れる場所を考えた結果、ここになりました。
「ただいま、アンジェラ。……今日は気分よく過ごせたか?」
ヴィルソード侯爵家の玄関に、大男が大股で入ってきた。この家の主、オリバー・ヴィルソードである。
「ええ。私だって毎日寝込んでいるわけじゃないわよ」
小柄な美女が駆け寄り、彼の上着を緩めた。
「顔色もいいな。安心した。三日も留守にすると心配でたまらなくてな」
ごつごつした掌で頬を撫でられ、アンジェラは目を細める。
このところアンジェラはすぐに気分が悪くなり、自室に籠っていることが多かったのだ。三年前から仲良くなったハーリオン侯爵夫人に滋養強壮の魔法薬をもらうようになってからは、かなり体力もついて活発に動いている日もあったのだが。以前の虚弱体質の妻に戻ってしまったのか、いつ倒れるかと、オリバーは出かける際も気が気ではなかった。
「……アレックスは、練習か?」
「何言ってるのよ。アレックスは学院に行っているでしょう?」
「あ、ああ」
口をぽかんと開けてオリバーは頷いた。
「そうだったな。先月から……う、うう……」
突如太い指で目頭を押さえ、ぼろぼろと大粒の涙を零し始めた。
「どうしたの、オリバー」
「寂しい……俺は猛烈に寂しいんだよ、アンジェラ」
「仕方ないわよ、生徒は全員、寮に入るきまりがあるんだもの。アレックスが一人息子だからって入寮しなくていいことにはならないのよ」
「君は寂しくないのか?俺達のたった一人の息子が、知らない奴の群れで戦っているのだぞ」
「何でも戦いに結び付けようとしないの。家にいたって、時々来る騎士達は随分年上だし、友達もジュリアちゃんしかいないでしょう?交友関係を広げるには学校に行くべきよ」
「……そうだな。君も学生時代の同級生とつきあって……」
「昔の話を蒸し返さないでよ!」
「虫?カエル?」
オリバーはしかめ面をしたが、目を見れば何も考えてなさそうだ。
「アレックスから手紙が来てるわよ。部屋で読みましょう」
アンジェラはオリバーの手に小さな手を重ね、まるで少女のように微笑んだ。
◆◆◆
父上、母上、お元気ですか。
父上は元気だと思うので心配していません。母上は心配です。
ジュリアの母上からま法薬をもらったと聞きました。
効果があるといいなと思いました。
王立学院の剣技科は、毎日練習試合ができて楽しいです。
今日は三人と練習試合をしました。全員に勝ちました。
昨日は四人と練習試合をしました。全員に勝ちました。
一昨日は三人と練習試合をしました。全員に勝ちました。
(中略)
十四日前は四人と練習試合をしました。全員に勝ちました。
今日までの練習試合で負けていません。
明日もがんばります。
ジュリアはネオブリー家のレナードとなかよくなりました。
俺もなかよくしています。
ジュリアとレナードにはなかよくしてほしくない気持ちでいます。
ジュリアはこんやく者の席には俺がいると言っていました。
信じられません。本当ですか。
また手紙を書きます。
お元気で。特に母上。
アレックスより
◆◆◆
「……頑張って書いているじゃないか」
オリバーは再び泣き出した。今度は感激の涙だ。
どっかりと三人掛けの椅子に腰かけて、隣に座ったアンジェラが差し出す手紙を覗き込んでいた。
「そうね。一頃より上達したわ。それにしても、内容は練習試合の結果とジュリアちゃんのことだけね。レナードの話なんか、二週間前も同じことを書いていたわよ」
「うむ。そうだったな」
太い腕を組んで、オリバーは渋い顔をした。涙がだらだらと流れているのを、アンジェラがハンカチで拭いてやる。
「返事はあなたが書くって言っていなかった?書いたの?」
「……書いていない。書こうと思ったが、書けなかったんだ」
「まあ」
アンジェラは驚いて目を丸くした。幼い顔立ちが一層幼く見える。
「婚約の件は、ハーリオン侯爵家から正式に来ているのでしょう?どうして教えてあげないのよ?」
「恋愛にうつつを抜かすようでは、練習の妨げになるだろう?」
「ハア?」
「剣の練習を取るか、恋人とのデートを取るかと言われたら、君ならどうする?」
「どうって……私は剣の練習はできないもの」
「そうだな。俺なら迷わずデートを取るぞ!」
るぞ……ぞ……、と声が響く。
オリバーは握りこぶしを高々と上げ、力強く宣言した。
白い目でアンジェラが睨む。
「……」
「……いや、うん。学生時代の俺なら、そうしただろうな、と」
「だからって、息子には悶々と悩めと?意地悪ね」
「あ、う、意地悪?」
「ジュリアちゃんは剣技科でしょ。二人で練習すれば、練習もデートも叶うわ。一石二鳥よね」
「う……ま、そう、だよな」
「今日こそ手紙に返事を出すのよ?分かった?」
一つ年上の妻に念を押され、ヴィルソード侯爵は渋々「分かった」と言った。
「ふふ、いい子ね、オリバー」
アンジェラはオリバーの赤い髪をわしゃわしゃと撫でた。
「こら!俺はアレックスじゃないぞ!……いくら同じ赤い髪だからって」
腕を掴んで止めさせる。手首を引っ張られてアンジェラの姿勢が傾き、オリバーの膝の上に抱きかかえられた。
「きゃっ……ちょっと!私はアレックスじゃないわよ?膝に乗せるなんて」
「……寂しい」
「アレックスがいなくて寂しいのは、私も同じなのよ?」
「そうだな。だが……寂しい……」
熊のような大男の騎士団長がしょんぼりと眉尻を下げ、妻によしよしと頭を撫でられている。騎士の誰かに見られたら沽券にかかわる。
「寂しいのもあと半年足らずよ。すぐに忙しくなるわ」
「ん?」
「あのね……」
侯爵の膝に乗ったまま、侯爵夫人は頭を下げさせて耳元に囁いた。
「え、ええええええっ!ななな、何だって!?」
「驚きすぎよ、オリバー」
「だって、アレックスの後は無理だと……いや、君の体調が心配だ。耐えられるのか?ああ、明日からの遠征は全部中止だな。俺は絶対王都を離れんぞ!」
◆◆◆
アレックスへ
手紙ありがとう。
元気でやっているようでよかった。
試合がんばれよ。
ジュリアとなかよくな。
ついしん
騎士団のえんせいは中止にした。
アンジェラが心配だ。
父より
◆◆◆
男子寮の一室で、実家から届いた手紙を読むなり、アレックスは真っ青になって侍女のエレノアに尋ねた。
「母上の具合はそれほどに悪いのか?治癒魔導士は呼んでいるのか?どうなんだ?」
握りしめた手紙に爪が食い込み、指先は白くなるほどだ。
エレノアは執事から届いた自分あての手紙にざっと目を通し、アレックスににっこりとほほ笑んだ。
「全く心配ないとのことです。奥様は、第二子ご誕生に向けて、毎日せっせと産着を縫われているそうですわ」
「へ?だいにし?うぶぎ……ハア?子、子供?」
「はい。アレックス様もこれでいよいよお兄様ですね。おめでとうございます」
「あ、うん。ありがとう……」
今回も、婚約について父から明確な答えは返って来なかった。
ジュリアとなかよくとはどういう意味だ?いつも父の手紙は短すぎて要領を得ない。
アレックスはくしゃくしゃになった手紙を何も置かれていない机の上に放ると、溜息をついてベッドに身を投げ出した。




