21 悪役令嬢は席取りダッシュをする
昼休みになるやいなや、アレックスはすぐに席を立ち、ジュリアの傍へやってきた。
「食堂行くぞ」
「うん。……何か、やる気だね、アレックス」
――お腹すいてるのかな。
「あ、うん。さっさと行かないと席が埋まるだろ」
適当に閉じた教科書を机の中に放り込み、ジュリアは頷いた。
「今日こそテラス席!」
「おう!」
天気のいい日のテラス席は、生徒達による熾烈な争奪戦が繰り広げられる。食堂のテラスから中庭が一望でき、これぞ優雅な貴族の昼下がり、という至福の時を満喫できるのである。席の確保は早い者勝ちである。俊足のジュリアやアレックスなら、チャイムが鳴ってすぐに走れば、ゆっくり歩いてくる貴族のご令嬢方を追い越して席を取れる。
走り出すと後ろからレナードが追ってきた。
「待ってよ、ジュリアちゃん」
「待たねーよ!」
「アレックスに言ってないだろ」
「喧嘩してないで急いで!」
ジュリアが発破をかけて、足の速い三人が食堂に着いた時、すでにテラス席は満席になっていた。
「うそぉー」
がくり。ジュリアは食堂の床に頽れた。
アレックスは全力疾走の結果、膝に手を当てて前傾姿勢になり、はあはあと呼吸している。
窓際でも壁際でもない、真ん中の適当な席を見つけて着席すると、給仕が飲み物のオーダーを取りにやってきた。
「ああー。今日の四時間目、三年生は自主研究の時間だったんだね。道理で満席になるのが早い」
冷静に分析したレナードは、生徒達のブレザーとネクタイの色を確認したらしい。
「剣技科と魔法科は練習だろう?」
「普通科は自分の研究をする時間だから、食堂に早く来たんだろうね」
「研究サボって食堂かよ?」
「ずるい……」
三人が愚痴をこぼしていると、食堂の入口がにわかに騒がしくなった。金色の髪の人物が見え、集まっていた生徒達が左右に割れる。
「セドリック殿下じゃん」
給仕が持ってきたジュースを一気に飲み干し、ジュリアが指をさした。
「指さすなよ」
アレックスが指を掴んで下げさせる。
セドリックは、テラス席から手招きするレイモンドの方へ歩いていく。
「いいなー。王族特権てやつ?」
「マリナに頼んで、同席させてもらえばいいだろ?」
「アレックスだって一応側近なんでしょ?一緒に食べれば?」
ジュリアがスープを一気飲みし、レナードが眉を顰める。
「マナーがなってないって、レイモンドさんがいちいちダメ出ししてくるんだよ。……それに、俺はお前と一緒に食事がしたい」
後半は声が小さくなっていく。
「私も。マナーを指摘されるのはやだな。アレックスの方が気が楽」
前菜を頬張りながら笑うと、口の端からクレソンがはみ出る。レナードが「はあ」と額を押さえて俯いた。
◆◆◆
同じ頃。
中庭の四阿で、エミリーは侍女のリリーお手製のサンドイッチを齧っていた。食堂があるのにサンドイッチを持っていくのかと驚いていたが、リリーは気合を入れて作ってくれた。バスケット一杯に入っているのだから、作りすぎたと言ってもいい。
四時間目が終わった後、キースに食堂へ行こうと誘われたものの、人が多い場所が嫌いなエミリーは彼の誘いを断り、一人で静かな時間を過ごしていた。
「食べきれない……」
残すのは勿体ない気がする。姉妹四人で食べるなら物足りない量ではある。第一、姉達は既に食堂で昼食を済ませてしまっただろう。
「ふあ……」
欠伸をしながら四阿のベンチに横になる。……と。
「……こんなところで寝るな」
聞き覚えのある低い声がした。
――!!
目を開ければ、黒衣の魔導士が不機嫌そうにしかめ面をしてこちらを見ている。マシューはエミリーの脚の傍に座る。慌てて跳ね起きようとして、上から身体を押さえられた。
「ちょ、何?」
――押し倒されたみたいになってるんだけど?
「……しっ。しばらく匿え」
「は?誰かから逃げて……あ、アイリーンに追われ、てる、んっです、か、先生!」
力一杯エミリーが押し返すと、マシューはあっけなく離れた。並んで座る格好になる。
「俺の行動範囲に、あいつの魔法の痕跡がありすぎるんだ。そこまでして魅了魔法をかけたいのか」
「モテ期が来てますね、先生」
「自分の意志に反して恋愛するつもりはない。校舎は罠だらけだし、……はあ、食堂にも行けない」
――そうだ!
エミリーは自分の傍のバスケットを膝に乗せた。
「これ、食べませんか」
「バスケット?」
「うちの侍女のリリーに作ってもらったサンドイッチです」
「お前の分だろう?」
「四人分作ってくれたのか、量が多くて。一人じゃ食べきれませんし」
「いつも一緒の、……あいつとは一緒に食べないのか」
しかめ面のマシューの眉間の皺が深くなった。
「キースは食堂に行くって言ってて。私は騒がしいのが苦手なので」
「……そうか。では、遠慮なく」
サンドイッチを手に取って食らいつくと、一切れを三口で食べてしまった。その後も次々に口に入れていく。
「……何だ」
じっと見られているのが気になったのか、マシューは手を止めた。
「いえ。なんか、先生も若い男子だったんだなあって思って」
「どういう意味だ」
「こんなふうに、サンドイッチをがつがつ食べるようには見えなくて。……ちょっと意外だなと」
ゲームの中では食事シーンはなかったし、根暗魔導士のマシューが普段どんな生活をしているかなんて気にしたこともなかった。生きている感じがしないキャラクターだった気がする。
――生身の、人間なんだよね。
目の前の彼はスクリーンに映る二次元の彼ではない。
「悪かったな」
不貞腐れて視線を逸らし、少しいじけた顔をする。彼とこんな会話をすることになると、前世では考えもしなかった。
「口の横、ついてますよ」
「ん?」
さりげなくマシューの唇の端についた卵サンドの具を拭った。ハーリオン家での食事の時間は、エミリーの隣に弟のクリスが座っている。つい弟にするように世話を焼いてしまったのだ。
「な!」
ガタリ。驚いたマシューが後ろに身体を引き、弾みで二人の間に置いていたバスケットが落ちた。シトラスミントの香りが辺りに漂う。
「ああっ!」
中身は出なかったが、サンドイッチは崩れてしまっている。
「何するんですか!」
「い、いきなり、口を拭ったりするから……」
「人のせいにしないで。……それと、思いっきり魔力が漏れてます。アイリーンに気づかれるのも時間の問題でしょ」
すっと立ち上がり、四阿を離れようと歩き出す。
「……お前も、魔力が漏れているぞ」
絞り出すような低い声の呟きはエミリーには届かなかった。
エミリーが中庭をから出る時、見覚えのある後姿の生徒が目に入った。
――誰だっけ?……アリッサの友達、かな。
自分と同じ方向に歩いているのだから、彼女も中庭にいたはずなのに、見かけなかったような気がする。別に親しくもないし、見かけても声をかけるわけではないのだが。
追い越す瞬間、エミリーは彼女がぶつぶつと呟く声を耳にした。もっと煩く話す少女だったと記憶していたが、一人の時は違うのだろうか。
やがて、彼女がフフッと笑う声がし、振り返るともう姿はなかった。
――え?今までそこに、いたよね?
まさか、転移魔法を使えるのだろうか。普通科の生徒なのに?
胸騒ぎを覚えて彼女がいた辺りに近づくと、刺激臭が鼻を突いた。酢の瓶を開けた時のようなにおいだ。
――魔力の痕跡だわ!




