20 悪役令嬢は怪我人を気遣う
木の傍に倒れているキースは、幹に当たった時に額に擦り傷を負い、僅かに鼻血を出した状態で倒れていた。
「これはやりすぎだわ」
過去には二度、闇魔法で亡き者にしようとしたエミリーでさえ、キースが可哀想に思えた。マシューの魔力で吹っ飛ばされても無事なのは、アレックスの父ヴィルソード侯爵くらいのものではないだろうか。常人では太刀打ちできない。
見たところ、大きな怪我はなさそうだ。しかし、治癒魔法が使えない自分には、黙って見ている他はない。
「困った……」
医務室に連れて行こうにも、小柄なエミリーにはキースを担ぐ力はないし、マシューがやるように転移魔法で医務室へ送るのも難しそうだ。傍らに座って脚を崩し、額にかかる紫の髪に触れる。傷口からは思ったよりも出血している。ハンカチを取り出して押さえると、痛かったのか「うう……」と小さな声がし、金茶の瞳が薄く開いた。
「……エミ、リー、さ、ん?」
「気づいた?」
自分がどこにいるのかも分かっていないらしい。キースは少しだけ周囲を見て、すぐにエミリーに視線を留まらせた。額の傷に触れたハンカチを持つ手を掴む。
「……血、出てたから」
エミリーは慌てて手を引っ込めた。
「ありがとうございます」
手をついて、ゆっくりと起き上がろうとするキースの背を支えると、彼はふっと優しく笑った。
「優しいですね、あなたは」
「私が騒いだから、マシューにぶっ飛ばされたんだし」
「転移を失敗したのは僕です。あなたはもっと、僕を非難して然るべきです」
「そうね」
立ち上がってローブとスカートについた草を払う。芝生は所々枯れ始め、枯草が黒いローブに纏わりついている。
「てっきり、魔法で懲らしめられるのかと」
頭を掻いたキースは、情けない顔ではははと笑った。
「懲らしめられたいの?」
「練習場でなら、いくらでも。あなたとの練習は面白いですからね」
そう言いながら自分に治癒魔法をかける。光がきらきらとキースの全身を巡る。
「便利ね、自分で治せて」
「そうですね。あ、でもほら、エミリーさんが怪我した時は、僕が治しますから」
魔法科には他に友達もいない。実際、キースと行動を共にすることが多い。
「あなたと……一緒にいればいいのね」
「はい!是非!」
満面の笑みで首を縦に振っている。エミリーには少し見上げる高さの身長なのに、キースは時々弟のようだと思う。いや、自分より誕生日が早い彼を弟と呼ぶのは失礼だろうか。
――弟でなければ……犬か?
「ほら、手」
「え……」
「戻るんでしょう?また変なところに転移したくなかったら、繋げば?」
「は、はい!」
差し出した手をキースが嬉しそうに掴んだ瞬間、エミリーは転移魔法を発動させ、白い光が二人を包んだ。
◆◆◆
「マリナちゃん、遅いね……」
アリッサが眉を八の字にして、フローラの手を引いた。
「マリナ様なら心配ありませんわ。万事うまく……あら?」
開け放たれたままになっていたダンスルームの入口に人影が現れ、一年普通科女子生徒がきゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げた。
「さあ、着いたよ?」
王太子セドリックはマリナを抱き上げたまま、顔を近づけて囁いた。マリナはセドリックの胸に顔を向けていて表情が分からない。
「お姫様抱っこ……!」
「んまあ!流石はマリナ様ですわね!」
緑の瞳を輝かせて感激しているフローラを横目に、アリッサはどうしてこうなったのかと頭を抱えた。
「……立てる?」
セドリックはゆっくりとマリナを床に下ろした。
「ええ、多分……あ」
かくん。
脚に力が入らない。
――恥ずかしい!まだこんなだなんて。
「ほら、掴まって」
セドリックはマリナの腰に手を回して立たせようとする。
何とかふらつく足を奮い立たせ、マリナは壁際の椅子に座った。
「ごめんね、マリナ。……初めて君の方から来てくれたから、嬉しくて」
マリナは黙って下を向いている。耳が真っ赤になっている。
「昼休みに、また、ね?」
赤くなっている耳に囁かれ、頬に何かが触れた。
ふっ、と幸せそうに笑い、一年女子の悲鳴を背に王太子はダンスルームを去って行った。
「マリナちゃんがあんなになるなんて……」
「二年の教室で何があったのでしょうね。腰が抜けるほどの……」
普通科の二年と三年は同じ階に教室がある。王太子の振る舞いは、普通科の三年にも知られたはずだ。ハロルドが知ったら嫉妬するのではないかと、アリッサは不安を覚えた。
「アリッサ様、マリナ様が授業を見学なさることを、先生にお話しされては?」
「マリナちゃんは皆勤賞を狙ってるの。欠席なんて……」
「だ、か、ら。見学ですわ。こんな状態で男子生徒と組ませたら大変ですわよ。ふらついて抱きついたりしたら……まあ、男子生徒は喜ぶでしょうけれど」
セドリックが黙っていないだろうとアリッサは思った。
「うん。先生に言ってくるね」
ダンスホールに入ってきた教師へ駆け寄るアリッサの背中を目で追い、
「本当に、素直で可愛らしい方……」
とフローラは愉しげに呟いた。




