19-2 魔法科教師は授業をサボる
【マシュー視点】
廃魔の腕輪をつけられてからの二年間は、俺にとって無為な時間だった。魔法使いを廃するとはよく言ったものだ。王立学院を辞めて実家に戻り、家の蔵書を読み漁る日々を過ごした。
コーノック家は代々魔導士の家系だ。蔵書も殆どが魔法に関するものだ。読んでいても実践できないのがもどかしく、探究心が消化不良になりそうだった。
ある時、兄が任務で川の治水工事に赴くことになった。景色がいいところだから、魔法を使わなくても楽しめると俺を誘った。のほほんとした兄の言葉に騙されたと気づいたのは、渓谷を濁流が走る現場に着いた時だ。どこをどう見ても観光を楽しめるような場所ではない。
「……これを、やるのか?」
「そうだよ。任務だからね」
「任務って、派遣された魔導士は二人だけだろ?」
兄の他には新人がついてきただけだ。目の前の濁流に尻込みしており、役に立つのかすらわからない。廃魔の腕輪がなければ、兄を助けてやれるのだが。
「他の皆が出払っているから仕方ないさ。今日は王宮でセドリック殿下の十五歳の誕生パーティーだって、爵位のある魔導士は皆休みをとっているんだ。魔導士団長も孫の晴れ舞台を見たいだろうさ」
「孫?」
「うん。セドリック殿下の一つ下で、側近になることが決まってる。十五歳の誕生パーティーで殿下の婚約者が正式に決まり、合わせて側近もお披露目されるんだよ」
「兄さんもパーティーに出て、終わってから来ればよかったじゃないか」
「そうだねえ。教え子の晴れ姿を見たい気持ちはあったんだけどね」
――教え子って……。ああ、エミリーの姉だな。王太子妃になるのか。
「晴れ姿……」
「側近はダンスを披露することになっているんだよ。ジュリアもアリッサもエミリーも、それぞれ側近の子と踊るようだし。学院に入る前に婚約するんじゃないかな」
俺はもやもやした。何でもやもやしたのか分からない。
こんな気持ちになったのは初めてだ。
――裏切り?
王宮の地下牢で俺をかばって倒れたエミリーを思い出す。
あれほど懸命に闘っていたのは、俺に特別な感情があったわけではなく、単なる憐みだったのだ。
◆◆◆
夏の終わりの頃だった。
何度読んだか分からない魔導書を読み、魔法を発動させる様を思い描いていた俺に、突然の来客があった。
「久しぶりだな、マシュー君」
学院長は帽子を脱いで白髪頭を見せた。前より髪が増えたように思う。
「お久しぶりです。どうされました、我が家にご用ですか」
「コーノック家、というよりは、君に用がある」
「私に?残念ですが、この廃魔の腕輪がある限り、教壇には立てそうにありません」
「ああ。そうだったな。だが、いずれ外してもらうから安心しなさい」
――これを、外す?
そんなことができるのだろうか。王の許可なしには外せないと聞いた。訝しむ俺を見て、学院長はにやりと笑った。
「実は、新学期から王立学院魔法科に、桁外れの能力を持った生徒が入学してくるんだ」
――エミリーだ!
「現在の魔法科教師陣は優秀だが、五属性の生徒を指導できる実力は持ち合わせていない。彼女の能力を十分に伸ばしてやれるのは、君しかいないと私は思っている。王は私が必ず説得するから、学院に戻ってきてはくれないか」
廃魔の腕輪を外され、エミリーを指導できるだと?間近で指導すれば、興味深い五属性持ちを観察できる。こんな好条件に飛びつかないわけがない。
「はい。ご期待にそえるよう努力します」
「うむ。よろしく頼むぞ、マシュー君」
◆◆◆
王宮で廃魔の腕輪を外され、王立学院の独身寮へ着いた時には、入学式は終わった後だった。翌日から授業が始まると聞いていたが、魔法の肩慣らしも準備もできていないので、魔力測定は欠席させてもらうことにしていた。
しかし、学院内で強力な魔力の発動を感じ、俺はしまったと思った。
――何かが起こっている!
案の定、青ざめた魔法科教師が転移魔法を使って俺を呼びに来た。すぐに魔法科訓練場へと転移魔法を発動させる。
身体に纏わりつくような湿った魔法の気配がする。全身を蛇が這っているかのような不快感が俺を襲ってきた。
目の前には金色、光魔法で出した大蛇がうねり、生徒達を結界で守っているエミリーを呑みこもうと牙をむいていた。
「危ない!」
俺は訓練場の中央まで走り、闇魔法でドラゴンを生じさせた。ドラゴンの形をした闇の塊をだ。ドラゴンは大蛇に火を吐き、怯んだところで一飲みにした。
「な、んでぇ?どうしてマシューが……」
人の名前を呼び捨てにしている生徒を睨み付けると、俺はエミリーの傍へ寄った。
光魔法に耐えて強い結界を張ったせいか、魔力を消耗しきったエミリーは、黒いローブを着て訓練場の砂地に倒れていた。
そっと抱き上げて医務室へ運ぶ。
人形のように美しい顔立ちはそのままで、地下牢で別れた時よりも身長が伸び、はだけたローブから見える手足もすらりと長い。知らない間に大人になったのだな。
――しかし、何だこの制服は。スカートが、み、短い。短すぎる!
◆◆◆
翌日。
魔力の回復を優先して授業を抜け出した俺は、独身寮のベッドで寝ていたが
「きゃあああああ!」
という叫び声を聞いて飛び起きた。
窓の外を見れば、制服姿の男と黒いローブが見える。
――エミリー!?
慌てて部屋から出ていくと、エミリーが嫌、やめて、と言う声が聞こえる。
――あの野郎!
瞬時に無詠唱で風魔法を発動させ、痴漢野郎を向こうへ飛ばす。大木にぶつかって落ちたようだ。
「大丈夫か、エミリー?」
髪も服も乱れたエミリーは、顔を紅潮させて荒く息をしている。
黒いローブから見える脚は、腿の部分だけが白く際立つようだ。余計に目が行ってしまう。
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました」
乱れた髪を整えてやる。敬語を使われるのは性に合わない。特に、エミリーに。
「……そうか。ならいい。あいつにはもう一撃くれてやるか」
――息の根を止めてやってもいいんだが。
「やめてください。彼は友達なんです」
敢えて俺と距離を取ろうとしているのだろうか。
「友達?お前を押し倒すような奴がか。……二人の時は俺に敬語を使うな。このへんが痒くなる」
友達だと言うが、まるっきり信じられない。
はっ、まさか……。恋人達の痴話喧嘩か?
こんな人が来そうなところで押し倒さないで、とか……。
俺は眩暈がしそうになった。エミリーは大人になるのが早すぎる。
「キースは転移魔法が下手なの。私の上に転移したのも、もう三度目。怒るのも面倒」
「三度目……」
転移魔法の失敗も、三度もああいうことをしたのでは、確信犯だと疑いたくもなる。
身体に教え込ませるしかないようだな。
俺は魔法球を発生させ、少年に狙いをつけた。
「やめて。本当に」
「分かった」
今度会ったら締め上げてやるか。
「ところで、お前はどうしてここに」
「あなたを探しに来たのよ。魔法実技の授業なのに帰ったから」
――授業のため、か。
魔法科の教師なのだから、授業に出て当然だと言えばそれまでだが。
エミリーにはもう少し別の答えを期待していた自分がいた。
魔法科の生徒は受け持ちの教師が決められている。魔力測定の後に職員会議を行い、魔法の属性や強さ、適性から、担当教官を決めている。そう言えば今年は会議に出ていなかったな。
エミリーは俺がピンク髪のアイリーンの担当になったと言った。
――最悪だ。
あの蛇が這いまわるような魔力を、毎日傍で感じなければいけないなんて、何の拷問だ。
「光属性とあと二つかそこいらしか持っていないのに、何で俺が担当に……」
「彼女の暴走を止めたから」
「そこか……」
――終わった。
エミリーを助けたいあまりに、余計なことをしてしまったようだ。独り言を言っていると、
「私も」
と呟く声が聞こえた。
――はっ。そうだった!
「私の担当も、よ。五属性の私に教えるために呼ばれたんでしょ」
「あ、ああ、そうだったな!」
救いの神を見た気がした。
顔を上げると、エミリーが膝を揃えてしゃがみこみ、小首を傾げて俺を見ていた。アメジストの瞳が瞬き、銀の髪がさらりと揺れた。
――!!!
可愛い……。
いや、ダメだダメだ。エミリーを可愛いなんて思ってはいけない。
生徒だぞ、今日から。俺の。
「改めて、よろしくお願いします。……と、昨日はありがとうございました」
ふっ、と微笑んだ彼女に、俺は何も言い返せなかった。




