18 悪役令嬢と崩れたシナリオ
マリナが二年の教室に行っている間、アリッサはフローラとダンスホールへ向かって歩いていた。
「ありがとう、フローラちゃん」
「まあ、突然どうなさったんですの。わたくし、お礼を言われるようなことをしておりません」
「ううん。こうして一緒に教室移動してくれるだけで、感謝してるの。ほら、私、自分の家でも迷っちゃうの。方向音痴だから」
「全く気づきませんでしたわ」
フローラは緑の目を丸くしている。
「いつもはね、マリナちゃんと一緒に行動してるから……。来年クラス替えで別々になったらどうしようって、毎日悩んでるの」
「校舎の平面図を持ち歩いたらいかがです?」
「自信がないわ。帰りだって、校舎から寮まで一本道だって皆が言うのに、一人で帰れないと思う……」
アリッサの声が少しずつ小さくなり、見かねたフローラは肩を叩いて励ました。
「外周を通る道は一本道ですけれど、ところどころ庭園に入る横道がありますでしょう?横道が気になってしまうようでしたら、真っ直ぐ寮まで抜ける中庭のほうが迷わないと思いますわよ。距離も近いですしね」
「そうなの?」
「ええ。……今度、レイモンド様にお聞きになってみては?きっと喜んで教えてくださいますわ」
「レイ様に?」
三年生のレイモンドなら、近道は熟知しているはずだ。生徒会の帰りに一緒に帰ろうと誘ってみようか。
「分かったわ。少しずつ練習してみる!」
「その意気ですわ。何事も、練習あるのみ、ですわよ!」
うんうんと頷き、アリッサはダンスホールのドアに手をかけた。
◆◆◆
魔法科訓練場にあったマシューの魔法の痕跡は、メーガン先生の予想通り、転移魔法のものだった。エミリーは気配を確認したが、行き先の見当はつかない。
「……帰った?これから授業なのに?」
――どこに?
訓練場から校舎がある辺りを抜け、広い庭園に出る。
庭園を抜けた先には王立学院の教職員用独身寮があったはずだ。エミリーは乙女ゲームの行先選択画面を思い出し、方向を見定めた。
少し進むと、同じ造りの小さな家が十一軒並んでいた。こちらで間違いはなさそうだ。
「どの部屋かしら……」
マシューがいるのなら、彼の魔力が持つシトラスミントの香りがする。一軒一軒戸口を見ていけば分かるだろう。
――と。
「うわあっ」
「!!」
ドサドサッ。
エミリーはいきなり芝生の上に押し倒された。芝生自体は硬くはなかったが、背中を打って結構な衝撃だった。
「痛っ……」
身体に重みを感じて腹の上を見れば、自分の胸に顔を埋めている紫の髪が見えた。
「きゃあああああ!」
「……ぶふっ、はっ、エ、エミリー!?」
いつもはエミリーさんと呼ぶキースが、真っ赤になってこっちを見ている。また転移魔法を失敗したのだ。
「やだ、どいてよっ!」
倒された衝撃で黒いローブが捲れあがり、スカートが短いエミリーの制服が見えている。慌てて起き上がろうとしたキースの手がエミリーの腿に触れた。
「脚、触らないでっ!」
「す、すみませんエミリーさ……ぐっ」
――え?
キースの身体が草地の向こうへ弾け飛び、身体に感じていた重さが急になくなった。
「大丈夫か!エミリー」
呼びかけられて見上げると、そこには赤い瞳を光らせて荒い息を吐く黒いローブの魔法科教師が、こちらに向かって手を差し出していた。
◆◆◆
「セドリック様……私、どうしてもお会いしたくて……お昼休みを待てずにこうして来てしまいましたの」
フローラに提案された通り、マリナは≪想いを募らせた婚約者≫の演技をした。胸にしがみついてはみたものの、顔を上げる勇気はない。心臓の音が聞こえるが、自分のものなのかセドリックのものなのか、舞い上がりすぎて区別ができない。
――恥ずかしい!恥ずかしい!猛烈に恥ずかしい!
声が震えてだんだんと声が小さくなってしまい、クラス全員に聞こえたとは到底思えない。皆に聞こえなければ噂にならず失敗である。
セドリックの様子をちらりと見上げれば、蕩けそうな顔でこちらを見つめている。
――ダメ、限界!
「ご迷惑ですよね。……では、……ぐふっ」
胸を押して離れようとした瞬間、背中に腕を回され強く抱きしめられた。
お蔭で口から大量の息が溢れた。何か出そう。食事の前でよかった。
「僕も、会いたかったよ、マリナ!」
マリナの頬に手を当て、セドリックの顔が近づいてくる。
――ち、近いってば!
「セ、セドリック様。次の授業……が、んっ……」
熱に浮かされたセドリックに唇を貪られた。押し返しても腕の力は一向に緩まない。
「コホン。あ、あの……殿下?」
教室の前で目のやり場に困った教師が咳払いをし、唇が離れた。
「わ、私、次の授業に……っ!」
セドリックから離れようと後退し、マリナは膝に力が入らなかった。その場にぺたりと座り込んでしまう。
「大丈夫?僕が一年の教室まで連れて行ってあげるよ」
「次はダンスなんです」
「うん。それならダンスホールだね」
そう言うとセドリックはマリナの背と膝裏に手を回し、軽々と持ち上げた。線が細く見える王子キャラなのに、何なのだこの力は。って、お姫様抱っこ?
「きゃっ。だ、大丈夫ですから、下ろしてください」
「掴まっていて。急ごう」
セドリックは聞く耳を持たなかった。
――余計に晒し者じゃない!恥ずかしすぎて気絶しそう!
すれ違う女子生徒達が驚いてきゃあきゃあ言っているのが聞こえた。セドリックのクラスメイトなのか、男子生徒の冷やかす声も聞こえる。
真っ赤な顔を見られないように胸に顔を寄せると、セドリックがくすくすと笑う。
「行先は、ダンスホール?……それとも、僕の部屋?」
――ななななな、何だってえ?
部屋って何だ!そもそも男子寮に女子は入れないでしょう!?いや、王族の特権で何でも許されるのだったらどうしよう。王太子妃になんかなったら発狂エンドにまっしぐら、既成事実作りに持ち込まれたら妃にされて即アウトだ。
「ダンスホールですっ!皆勤賞目指しているんですからね」
「うん。そういうだろうと思った」
真面目な君も可愛いね、と軽口を叩きながら、王太子はマリナを抱きかかえて歩き出した。




