10 悪役令嬢は水浴びをする
顔面蒼白になりながらアレックスに手を引かれ、ジュリアはバスタブがある部屋へやってきた。いつも自分を剣でやりこめている相手の弱点を知った(と思っている)アレックスは、鼻歌交じりに服を脱ぎ始める。
「ちょ、ちょお、待って、アレックス!」
いくらなんでも目の前で全裸になられるのはきつい。こっちは九歳女児、前世も合わせるとほぼ三十歳だけど。少年のストリップショーを見る気はない。
「何だよ」
「水、水入れてないよ?」
「そんなの、魔法で出しゃいいだろ」
シャツのボタンを外したアレックスは、あばら骨の見える胸をさらけ出した。
「アレックス、水魔法できるの?」
「俺は火の方が得意だな。ジュリアン、水魔法は?」
「おれ、は……魔法はちょっと」
ジュリアは魔法がほぼ使えない。父の灰皿に水をかける程度の魔法なら出せるが。スプーン一杯が限界だ。
アレックスがドアを開け、近くを歩いていた使用人に声をかけると、頷きながら戻ってきた。
「水を頼んできた。すぐに来るだろう。ほら、脱げ」
ジュリアの服を引っ張る。胸元をぎっちり握りしめ、ジュリアが身を固くすると、アレックスは仕方ないなというように肩を竦め、自分のシャツを脱ぎ捨てた。
失礼します、と声がかかり、侍女が入ってくる。助かった、とジュリアは思ったが、ヴィルソード侯爵家のハイスペック侍女はものの数秒でバスタブに水を張ると、頭を下げて出て行った。
「み、水って、桶で持ってくるんじゃなかったの?」
早い。あっという間もなかった。
「うちの使用人は魔法が使える者が多いからな。水魔法を使えるのは……十人くらいいるかな」
「そ、そんなに?」
「父上も母上も、魔法はあんまり得意じゃないからさ。いろいろ不便だろ」
「だよねー、だよねー。魔法は便利だもんねー」
ジュリアは魔法の話で場を繋ぎ、何とか水浴びを止めさせる作戦に出た。
「お前だって、他の三人と一緒に魔法の勉強すればいいじゃん。ハーリオン侯爵になるんだろ?将来魔法が使えないと困るぞ」
「うちは、ほら、妹が魔法得意だから大丈夫!」
「妹だって、いつか嫁に行くんじゃ……」
「どうかなー?ちょっと癖あるからなあ」
話しているうちに、アレックスはジュリアをバスタブの近くまで押してきていた。ベルトに手をかけて脱ぎだしたのを見て、ジュリアは慌てて廊下側を向いた。
バシャン。
「ふー、生き返るなー。ジュリアン、お前も入れよ」
「い、いいからいいから。二人で入るには狭いし」
「あの父上も余裕で入れるくらいだ。うちのは広いぞ、大丈夫」
全然大丈夫じゃないよ、とジュリアはバスタブに背を向けたまま立ちすくむ。
「アレックスの父上は大きいもんね。肩幅なんかうちのお父様の二倍くらい……」
「って、口はいいから手動かせよ。脱・ぐ・ん・だ・ろ」
「はははは。ちょっと、この、うん、ボタンが変わってて難しくて……」
服のせいにして脱げないことにしてしまおう。
「取ってやるよ。貸してみろ」
アレックスがバスタブの中に立ち上がり、ジュリアを振り向かせてブラウスの胸元に手をかけたとき、
「坊ちゃま」
ドアが開き、執事が声をかけた。
「ハーリオン侯爵様が、お帰りになられるそうにございます」
◆◆◆
「なんだってそんな、男のふりなんかしてるんだい?」
帰りの馬車の中。ハーリオン侯爵は娘に寄りかかられながら尋ねた。ジュリアは答えない。アレックスとヒロインが恋に落ちたら身の破滅だから、アレックスが男に興味を持つように男として彼を誑かさなければいけない。超難易度が高いミッションを遂行中だ。そもそもヒロインて誰だって話にはなるだろうし、この世界が乙女ゲームの世界だって説明するのは難しい。無理だ、お父様に理解できると思えない。
「アレックスが男の子としか遊ばないとでも言ったのかい?」
「ううん」
「騎士は男ばかりの職業ではあるけれど、女騎士だって少しはいるんだ。無理して男にならなくたっていいと思うよ」
ハーリオン侯爵が帰り支度を始めた時、アレックスに頼まれてバスタブに水を張った侍女が、少しお待ちくださいと彼を止めた。お二人は水浴びをされていますと言われ、侯爵はつい声を上げてしまった。まだ九歳とは言ってもジュリアは侯爵家の令嬢で、嫁入り前の、もっと言えば婚約者もいないような子供である。親友の息子でも裸の付き合いなど許すものか!侯爵の様子を見た執事が迅速に対応して事なきを得たが、男同士と男女では友達づきあいの方法も変わってくる。
父の葛藤にジュリアは気づいていなかった。
「……アレックスに、好きになってもらいたいの」
「友情を育むには、男同士でなければとでも思ったのか」
「うん」
友情っていうか、男同士の愛を育めとマリナは言ったけど。
「男女の友情だってあるんだ」
侯爵が娘を愛情の籠った眼差しで見つめると、ジュリアは姿勢を正して父に向き直った。
ここは何でも知っているお父様に聞くしかない。
「お父様」
「なんだい」
「お父様は、男の方とお付き合いされたことはありますか?」
「ん?友人なら数多くいるが。そういえばあまり家には呼んだことはないな。ジュリアは私の友達が知りたいのかね」
「ううん。そうじゃないんです」
「ジュリアにはまだ、アレックスしか友達がいないが……」
ジュリアが唾を呑みこんだ。
言っていいのか悩む。うーん、ま、変な顔されたらその時考えよう。
「男の方と、恋人同士になったことはありますか」
ガタン、ゴッ。
「うっ」
馬車が石畳の崩れた部分に乗り上げて大きく揺れ、娘の発言に驚愕したハーリオン侯爵はバランスを崩して向かい側の席に倒れ、座席に頭をぶつけたのだった。




