15 義妹の入学式
暗くてすみません。
次回から新章です。夜の更新予定です。
【ハロルド視点】
入学式の日の朝。
私の部屋の戸が叩かれ、レイモンドが顔を出した。
入学以来丸二年の付き合いになるが、彼は冷徹そうに見えて優しい。こうして毎朝、私と一緒に登校してくれるのだから。
「おはよう、ハロルド。支度ができているのなら、一緒に行かないか」
誘い文句も毎日変わらない。
無駄を嫌う男だから、新しく考えることもしないらしい。
「おはようございます、レイモンド。今日は入学式ですね」
二歳年下の四つ子の義妹達が入学してくる。
――二年ぶりに会う彼女は、どんなにか美しくなっていることだろう。
無意識に笑っていたらしい。レイモンドが見逃すはずはなかった。
「嬉しそうだな」
眼鏡の奥の瞳が細められる。
「ま、俺も久しぶりにアリッサに会えるんだ。嬉しくてたまらないが」
この二年、レイモンドの口から義妹の名前を何度聞いたことか。他の生徒がいる前では絶対口にしないが、私と二人だけの時は鉄面皮の生徒会副会長が惚気まくりだった。自分が学院にいる間に、アリッサが他の男に目移りしないよう、男の使用人は近づけないよう義父上に話したとも。何もそこまでしなくてもと思ったものだ。
「殿下も昨日から落ち着かなくてな。二言目にはマリナがマリナがと、うるさくてかなわん」
大袈裟に首を竦める。
「殿下、が?」
王太子セドリック。マリナの正式な婚約者。
マリナは王太子妃候補でしかないが、候補が一人だけの現在、実質婚約者と言っていい。
「今朝も寮まで迎えに行くと言ってきかないんだ。殿下を一人で行かせるわけにいかないだろ。俺も同行することになっている。お前も一緒に行こう」
「いや、私は……」
美しく成長したマリナを王太子が褒め称える姿を、私に見ろと言うのか。
「女子寮まで歩いていると、遅刻してしまうかもしれません。この脚では……申し訳ありません」
視線を脚に向け、レイモンドはああ、と頷いた。
「そうか。無理はしないほうがいいな。……では、また教室でな」
さっと踵を返し、彼は私の部屋から出て行った。
◆◆◆
王太子やレイモンド達が女子寮へ迎えに行くほどに、ハーリオン侯爵家の長女マリナが王太子に溺愛されているとの噂は、瞬く間に三年の教室へと広まった。義妹達は皆美しく、入学式で見かけたという男子生徒達が、レイモンドを羨んでいた。
「レイモンドの婚約者、可愛かったよなあ」
「代表で挨拶した普通科の子だろ?何かふわふわした感じでほっとけないっていうかさ」
「学院へ入学してくる年齢の割に幼くないか?壇上から降りるとき、階段で転びそうになってたし」
「いや、顔は童顔だったけど、身体は結構……」
バン!
男子生徒の机が叩かれ、噂をしていた三人がヒッと息を呑んだ。
「……死にたいのか?」
レイモンドの冷酷な声が静かな教室に響いた。
「お望みとあらば、いくらでも方法はあるぞ。伯爵家の一つや二つ、簡単に潰せるからな」
静かに生徒達を睨み、彼は私の隣の席へと戻ってきた。
「……噂になっているようだな」
「四人とも、美しいのは本当ですから」
「ああ。だが、あいつらのような穢れた視線を向ける連中を、俺は許せそうにない」
机に肘をつき、レイモンドは髪をかき上げた。
「……お前はどうなんだ、ハロルド。妹が値踏みされているんだぞ」
「私は……」
「アリッサだけじゃない。マリナもジュリアもエミリーも、なまじ注目されているだけにな」
マリナが注目されているのは知っている。男も女も、未来の王太子妃に興味津々なのだ。だが、私は彼らの視線より、王太子がマリナを独占しようとしていることの方が不快だった。
「殿下が構おうとするから、余計に酷くなっている」
「では、明日は迎えに行かなければよろしいのではありませんか」
「そうしたいのはやまやまだが、学年が違う婚約者と会える時間は限られているからな。殿下の気持ちがわからんわけではない」
ガタリ。
ドアが開いて先生が入ってくると、レイモンドは前を向いた。
◆◆◆
翌日は課題研究の時間があった。卒業を控え、三年にだけ許された自由な時間だ。
魔法科や剣技科の生徒は主に技を磨くために練習をしていると聞く。普通科の生徒はそれぞれ興味がある分野を研究し、卒業までに書き物にまとめる作業をしている。私は植物の品種改良についてまとめようと考えていた。
レイモンドによると、学院の図書室にはまあまあいい本が揃っているとのことだった。期待して植物や園芸について書かれた本の棚を見て歩く。上の段から順に書名を見ていると、背中に衝撃が走った。
誰かがぶつかり、私は書架に手をついた。
「ご、ごめんなさ……あっ」
彼女は驚いていた。
二年ぶりに会ったマリナは、別れた時より少し背が伸びたようだった。幼さが残る少女の顔が、貴婦人らしく凛としたものになり、普通科の制服に包まれた身体の線も少女のそれではない。随分と大人びた気がする。これも王太子の婚約者として、自分を磨いてきたからだろうか。
「……マリナ」
「……お久しぶりです。お兄様」
――兄、か。
唇に人差し指を当て、続きを遮る。
「私を、兄と呼ばないでください。……私はあなたの兄ではないのですから」
柔らかい唇から指を離し、私は卒業後に領地へ帰ると話した。
「あなたにお会いすることもないでしょうね。マリナ、あなたは王妃になるのですから」
侯爵家の領地管理人と王妃など、本来ならば出会うはずがない。
「……お兄様」
――ああ、まただ。
「兄と呼ばないでほしいと、言ったはずですが」
私が指で唇を辿ると、マリナはアメジストの瞳を涙に濡らした。
「……呼んでは、いけませんか?」
あくまで私を兄と呼び、王太子に貞節を立てようというのか。
苛立つ気持ちが抑えられない。
「あまり反抗的な態度を取るのは、いただけませんね」
――許せない。今にも泣きそうなその顔も。
「……いけない唇ですね」
私を兄と呼ぶ唇を塞いでしまいたくて、彼女の顎に手をかけ顔を近づける。
――ダメだ。
ここで唇を奪ってしまえば、箍が外れてしまいそうだ。
「……会わないように、していたのに」
彼女に会えば、この行き場のない思いをぶつけてしまう。
自分が恐ろしくて、彼女には会うまいと決めたのに。
「二年前、侯爵家を出た時から決めていました。あなたに会うまいと。このまま会わなければ、時間が全てを忘れさせてくれると」
「忘れたい、のですか?」
――そんなわけがあるだろうか。
何処にいてもマリナを忘れたことなどない。あなたは私の生きるよすがなのに。
「学院へ入学して、数か月経った頃でしょうか。あなたが正式に王太子妃候補になったと、レイモンドから聞きました。あなたを王太子に取られたくない。学院へなど来なければよかった。あなたをパーティーに行かせないように、私の部屋に閉じ込めてしまえばよかったと、何度も思いました」
気持ちが昂り、暗い欲望が露呈する。そんな私に恐れをなし、マリナが後ずさろうとした。
「そして思ったのです。……ああ、前にもこんな気持ちでいたなと」
――逃がさない。
「気のせいでは、あり、ません、か……」
「いいえ。これほどに黒くて激しい感情を忘れるはずがありません」
銀髪を撫で、露わになった首に指を這わせた。すべすべした細い首は、簡単に私の力で折れてしまいそうだった。
「いつかあなたを手にいれられると、愚かにも夢見ていた頃の私は、まだ非力な子供でしたね……ですが、今は違います。私はあなたの時間を永遠に止めることもできるのですから」
そうすればマリナ、あなたは永遠に私のものだ。
「マリナ、あなたは誰にも渡さない」
――まだ、あなたを殺しはしない。……今は。
彼女の首に手をかけながら、私は白い首筋に唇を寄せた。
仕事が多忙なため、しばらく7時と20時の定時更新を目指して頑張ります。




