09 悪役令嬢は練習試合をする
「アレックスとジェレミーが二人でいたことなどありません。私は入学式の前から、アレックスと行動を共にしていました」
「ふうむ」
先生の目が細められ、視線がジェレミーに注がれる。
「ト、トイレで言われたんだ!」
――まだ食い下がるの?
「言いがかりも大概にして!潔く負けを認めなさいよ!」
「うるせえ、女は引っ込んでろ!」
「何で引っ込まなきゃならないの?戦いの場では男も女もないって」
「……んだとぉ?」
「何よ」
「どうも俺に叩き潰されてえみたいだな?ああ?」
ジェレミーがジュリアの制服の襟元を掴み、ぎりぎりと引き絞った。
「やめろ!」
「やめなさい」
二人の声が同時に聞こえた。先生の鍛えられた腕がジュリアの前に出され、アレックスがジェレミーの手を叩き落とした。
「ここは訓練の場だ。私闘は認めん」
「でも、先生、こいつはアレックスの名誉を貶めたんです!黙ってなんかいられません」
「もういいんだ、ジュリア」
両腕を優しく引かれる。アレックスはジュリアを後ろに下がらせようとした。
「放して、アレックス。……私闘は認められないのなら、練習ならいいんですよね」
「練習ならな」
「では、私と練習試合をしようか。どうだ、ジェレミー?二戦連続はきついか」
「フン。女の一人や二人、瞬殺だぜ」
破壊力を出すために重さを重視した剣を持ち、ジェレミーが不敵に笑った。
「……だそうです。先生、よろしいですか?」
ロディアス先生は白いひげを上向きに整え、楽しそうに二人を見ている。
「入学試験でも実技を見たが、この二人の特性は実に対極だ。皆もよく見ておけ」
観客席にいる生徒達に呼びかけ、ジュリアとジェレミーを中央に立たせる。
「ジュリア、剣は?」
アレックスに言われてはっとする。
――席に忘れた!
座席を振り返れば、レナードが細身の剣を高々と掲げ手招きしている。
「剣も持たずに試合とはな。流石侯爵家のお嬢さんは違う」
ジェレミーが剣を抜いて構え、始めの合図を待たずに斬りかかってきた。
「ウルァアアアア!」
「卑怯だぞ!」
アレックスが止めるのも聞かず、辺りを薙ぎ払うように大ぶりな剣を振り回し、ジュリアを追いかける。
切っ先を躱しながらジュリアはレナードがいる観客席へ向かい、闘技場の周囲を囲む自分の背丈ほどの壁を駆け上り、投げられた細身の剣を受け取った。
「サンキュ!」
意味が分からず首を傾げたレナードに鞘を投げ返すと、壁の上から闘技場へと飛ぶ。
――形勢逆転っ!
「うわぁっ」
頭上から斬りかかられ、ジェレミーは思わず仰け反る。ジュリアを追いかけ回していたが、脚が体重に耐えられず、全く追いつかない。
「こっちから行くよ!」
ジュリアの細身の剣が光を受けて輝き、ブーツが地面を蹴った。
「うわあああ!」
「何だ?」
「あれ、あれは……」
叫んだのはジェレミーではなかった。剣技科の生徒達が皆同じ方向を見て口を開けている。
「ジェレミー、ジュリア、試合は中止だ!皆はこの建物から出るな。いいな!」
そう言い残して、ロディアス先生は訓練場から飛び出して行った。
◆◆◆
マリナの顎にかけられた手が、不意に離れた。
「……会わないように、していたのに」
ハロルドは苦しげに顔を歪め、書架に手をついて視線を落とした。
――私に、会いたくなかったってこと?
「二年前、侯爵家を出た時から決めていました。あなたに会うまいと。このまま会わなければ、時間が全てを忘れさせてくれると」
「忘れたい、のですか?」
――記憶をなくしたままなのではないの?
「学院へ入学して、数か月経った頃でしょうか。あなたが正式に王太子妃候補になったと、レイモンドから聞きました」
王妃主催のお茶会と、王太子の十五歳の誕生パーティーのことだろうか。側近の筆頭に数えられる公爵家のレイモンドは、どちらにも出席していた。寮で隣室のハロルドと親しくしていると彼は言っていたから、パーティーの話題も出たのだろう。
「あなたを王太子に取られたくない。学院へなど来なければよかった。あなたをパーティーに行かせないように、私の部屋に閉じ込めてしまえばよかったと、何度も思いました」
――監禁はまずいでしょ!
マリナは半歩後退した。背中が書架に当たり、退路がないと知る。
「そして思ったのです。……ああ、前にもこんな気持ちでいたなと」
ハロルドの青緑色の瞳が昏く輝く。凄味を増した美しさと相まって恐ろしい。
「気のせいでは、あり、ません、か……」
――怖い……でも、目が離せない……。
「いいえ。これほどに黒くて激しい感情を忘れるはずがありません」
首の横を撫でられ、親指の先がマリナの喉に当てられた。
「いつかあなたを手にいれられると、愚かにも夢見ていた頃の私は、まだ非力な子供でしたね」
義兄は目を細めて美しく笑った。
「……ですが、今は違います。私はあなたの時間を永遠に止めることもできるのですから」
――永遠に止める!?殺すってこと?
「マリナ、あなたは誰にも渡さない」
ハロルドの指に力が入ったのが分かった。同時に端正な顔が近づき、耳を息がくすぐる。
白い首筋に熱い唇が触れた。
◆◆◆
教室へと廊下を歩いていたアリッサが、自分の方向音痴ぶりに絶望したのは、図書室を出ていくらも歩かないうちだった。
「マリナちゃんと一緒に来ればよかった……」
どうして先に戻ろうなどと思ってしまったのだろう。
普通科一年の教室はどこかと訊ねて教わったのはいいが、目印になる特別教室とは違う場所に出てしまった。どこで間違ったのかも分からない。
誰か知り合いが通れば、教室まで連れて行ってもらえるのだろうが、入学したばかりであまり知り合いがいない。図書室へも戻れない。
「どうしよう……」
本を抱きしめ、涙が溢れそうになる。
壁に凭れて俯いていると、遠くから足音が聞こえてきた。
「アリッサ様ぁー!」
オレンジ色の髪を靡かせ、フローラが令嬢らしからぬ速さで駆けてくる。
「フ、フローラちゃ……」
「大変です、アリッサ様!魔法科の演習場で魔法事故が」
「ええっ」
この時間は一年生が魔力測定をしている。昨日エミリーから聞いていた。妹は無事なのだろうか。
「先生方が現場へ向かわれて、私のクラスも自習になりましたのよ。アリッサ様が教室にいらっしゃらなかったので、こうやって探しに参りましたの。……あら?マリナ様は?ご一緒だと思いましたのに」
「図書室で別れたの。私、教室へ戻ろうとして迷ってしまって……」
フローラはアリッサの手を引き、図書室への道を歩き出した。
「私達の教室とは別の棟ですもの。帰りつけるわけがございません。それより、早くマリナ様を連れて、医務室へ行かれたほうがよろしくてよ」
「医務室!?エミリーが怪我を?」
「エミリー様が魔法科の先生に抱かれて運ばれて行ったと、知り合いの魔法科の生徒から聞きました。怪我の程度は存じませんが、運ばれたのは嘘ではないと思いますわ」
早口で伝えながらも、フローラは息が上がることもなく休まずに歩き続けている。
「マリナ様は図書室にいらっしゃいますのね」
「うん、多分。もしかしたら教室に戻ったかも……」
方向音痴の自分が迷っている時間があれば、マリナは教室と図書館を二往復できるだろう。
「この角を曲がれば図書室ですわよ」
ぐいと手を引かれ、アリッサは廊下を曲がった。




