92 悪役令嬢はホワイトナイトに会う
「ほら、あれ。ごらんになって」
「んまあ、婚約者だからっていい気になって」
「どうせ政略結婚に決まってますわ。銀の髪は少しは珍しいけれど、顔はたいしたことないもの」
「背も低いし」
「猫背よね」
「王妃様にご挨拶したときの、あれ、ごらんになりまして?」
「おどおどしてみっともないったら、ねえ」
「あれで侯爵令嬢なのかしら」
くすくす。
アリッサはレイモンドの上着の袖をぎゅっと握る。
久しぶりに会えて嬉しい反面、彼にはみっともないところばかり見られてしまった。
「どうした、アリッサ」
「レイ様……私、もう家に帰りたいです」
「王妃様がお開きにするまでは帰れないぞ」
「でも……」
涙ぐむ瞳がレイモンドを見上げる。
「私、レイ様に相応しくないんです。令嬢らしく挨拶も上手にできないし、さっきも転んじゃったし、お話にもついていけなくて」
「挨拶は場数を踏めば何とでもなる。それにあれは、嫌味を言ってくる奴らが悪い。転んだのは足をかけられたからだろう?令嬢だからって皆ドレスや宝石に男の噂話ばかりしているわけじゃない。君と話が合う読書家もいるさ」
「レイ様……ご覧になっていたのですね」
「ああ。大丈夫だよ、俺がついている。君を害するような輩はもう家に帰ったようだよ」
レイモンドは笑顔でアリッサの頭を撫でた。彼女の胸元に輝くネックレスには水色の石が輝いている。公爵家に代々伝わる家宝であり、今日のために公爵夫人がアリッサに渡したものだ。令嬢達はネックレスの由来に気づき、単なる婚約者以上の扱いを受けているアリッサをやっかみ、悪口を言ったり転ばせたりしたのだ。
「私、不安なんです」
「君が不安に思うことなど何もない」
「オードファン公爵家は、王家に次ぐ格のお家です。外国からのお客様をおもてなしすることもあると聞きました。それなのに私、今日のお茶会でさえ、皆さんと気の利いたおしゃべりもできず……」
「慣れれば問題ないよ。さあ、アリッサ。もう少しだけ辛抱してくれるか。俺はセドリック殿下と王妃様にご挨拶申し上げてくるよ」
置いて行かれたアリッサは、心細く立っていた。
「あのう……」
「は、はいぃ!」
「アリッサ様でいらっしゃいますか?」
顔を上げると同じくらいの年齢の少女が立っていた。オレンジ色の髪を高く結い上げ、緑色の瞳が優しそうだ。少しそばかすのある鼻は愛らしく、黄色いドレスも良く似合っている。
「そうですが、私に何か?」
でも怖い。初対面の人は特に。アリッサはびくびくしながら返答した。
「ああやっぱり!公爵家のレイモンド様とご一緒だったから、もしやと思いましたけど。わたくし、ギーノ伯爵家の三女フローラと申しますの。以後お見知りおきくださいませ。身分が下のわたくしから侯爵令嬢であるアリッサ様に声をかけるなどあってはならないのでしょうけれど、家同士が親しくお付き合いしていない限り、子供だけでお会いできる機会はなかなかございませんでしょう?ハーリオン侯爵家の皆様が参加されると聞いて、わたくし、この茶会を逃してなるものかと思いまして。アリッサ様が頻繁に王立図書館に通われていると噂に聞きまして、昨日も図書館におりましたのよ。ああ、わたくし本が大好きなんですの。特に好きなのは恋愛を描いた物語で、読んでいる時はこんなに話はいたしませんけれども……」
「あっ、あ、あの……」
面食らったアリッサが小さく声をかけ、フローラははっと口元に手を当てた。
「ああ、申し訳ございません。わたくしつい、気持ちが入ってべらべらと……」
「フローラ様は、図書館に行かれますの?」
「はい。兄や姉が時間のある時に連れてってくれますの。わたくし、兄が三人に姉が二人おりまして。去年生まれた妹がまだ小さいので、父も母もかかりきりなんです。わたくしが話し出すと妹が起きてしまうというので、家族は本を読むように薦めてきたのです」
「それは……はあ……」
何と言っていいものやら。要するに本でも読んで黙っとれということか。
「アリッサ様は図書館の本をほぼ読み終えてらっしゃるとか。司書の方が感心されて、わたくしにも頑張れと」
「そんな。ただ長いこと通っているだけで」
「そうそう、この間は副館長の……ナントカ侯爵?がいらしてて、あなたのことをたいそう褒めてらっしゃったとか。これは又聞きですけれどね。前の副館長はアリッサ様を守ったレイモンド様によって左遷されたって本当ですの?キャー、愛の力って偉大ですわね。子供が大人をぎゃふんと言わせるなんて」
「ぎゃふん……」
アリッサはそれからしばらく、フローラに引き回されて彼女の知り合いに挨拶することになり、レイモンドが戻るまでそこかしこでマシンガントークを聞く羽目になった。
◆◆◆
「よかったなアリッサ。君に友達ができたようじゃないか」
「はい。少しおしゃべりが過ぎますけれど」
「君は内気な方だから、あれくらい引っ張り回してくれる子が丁度いいんだよ」
「そうでしょうか」
「ジュリアはともかく、マリナは真面目で無茶はしないし、エミリーは基本的に引き籠っている。君が外に出ていく機会を作ってくれる貴重な友人になると思うよ。何より面白いじゃないか」
アリッサは小さく肯定する。
「フローラちゃんは見ていて飽きません。表情がくるくる変わって面白いですし」
「おや?」
「え?」
「もう、『ちゃん』付けで呼んでいるんだね。姉妹以外を『ちゃん』付けで呼ぶのは初めてかな」
「はい。帰り際に、そう呼んでいいかって聞いたら、いいって言ってくれて」
いいどころか、フローラは感激してアリッサの手を取ってぶんぶん振り、最後は抱きついてきたのだ。自分も同じように呼んでほしいと言うと、彼女の中でアリッサはかなり神格化されているらしく、慣れるまではアリッサ様と呼ばせてほしいと言われた。
「レイ様。私、今日のお茶会に参加してよかったです」
「そうか」
先程までのおどおどした様子が消え、明るい顔をしたアリッサを見ながら、レイモンドは貴婦人へ変貌を遂げる婚約者を頼もしく思った。




